折々のうま-当たらぬでもなし

裏金じゃないよ、脱税だよ。

庶民の暮らし

2014年04月20日 07時24分20秒 | 文化
私は大衆が大嫌いだが、つましい庶民の暮らしには、
理解があるどころか、理想の境地である。

今は小金を稼ぎ、競馬で1日3、4万すっても平気だが、
いつどうなるか分からない。
これ以上、金銭感覚がおかしくならないようにしている。

かつて、祖母と地方都市の旧市街で暮らしたことがある。
両親が共稼ぎで、母が夕方に迎えに来る。
雰囲気は下町の暮らしそのもので、「男はつらいよ」や
月島の特集など見ると、胸が熱くなり、目をつぶると
待ちに待った母が迎えに来る足音が聞こえてくるような気がする。

そんな街も容積率の規制緩和で地上げの対象となった。
祖母自体は借家暮らしで私たちと暮らすようになった。
やがてバブルは崩壊し、かつて住んでいた家は、
マンションの谷間の風俗店の巣となり、やがて更地の駐車場となった。

私の子供の頃の情景は郷土出身の画家の描く版画の中にしか存在しない。

開発は人間の性かもしれない。
しかし、私が住んでいたところはアスファルトがむき出しになった
駐車場となってしまった。
そこにはラーメンを頼むと母を待っている私を気の毒がって、
決まってチャーシューをおまけしてくれたラーメン屋はない。
嫌いなのにスイカを食わせようとする青果店もない。

私は、ささやかな庶民の生活を奪った規制緩和を心から憎む。

あの暖かな商店街を壊し、ただの更地にしてしまった規制緩和を心から憎む。

この規制緩和の責は「改革馬鹿」を総理にした国民全体にある。

私は問いたい。本当にアメリカが目標なのか。
トレーラーハウスに住む人もアメリカ国民である。

ささやかな暮らしの庶民と改革に熱狂した大衆が、
私にはどうしても結びつかないのである。

改革とは成熟と洗練の裏付けがあるべきものである。

朝令暮改以前の政治の迷走ぶりを見て、
果たして国民は覚醒するのであろうか。

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