料理の素材を科学する!ってほどでもないけれど

食材や料理についてまとめてみました。
クイズや脳トレもありますよ。

悪実

2022年03月31日 | グルメ
【4月1日は何の日】
1870年 浜口雄幸、生まれる

【前の答】ホウボウ
Q1,ボクは北方の魚でしょうか?南方の魚でしょうか?
     →南方の魚です。

Q2,ボクにはヒレが進化した歩脚がいくつあるでしょうか?
    a,2本  b,4本  c,6本  d,8本
     →c,

Q3,胸ビレにある斑点は何色でしょうか?
    a,フレッシュピンク  b,トルコブルー  c,レモンイエロー  d,ロイヤルパープル
     →b,深い緑色の胸ビレにトルコブルーって、海中でどんな役割をしているんでしょうね。


【脳トレの答】半熟卵



【今日の話】
新ボクの季節になります。香りがいいですよね。
ボクを食用としているのは日本と台湾だけです。
これは統治時代の名残なのでしょうか。
太平洋戦争後の極東裁判でも、欧米人にボクを食べさせたことに対して、
根を食べさせる虐待を行ったとされていたほどですから世界でも珍しい食習慣なんでしょうね。
新ボクと呼ばれるものは一般的なボクが晩秋から冬に収穫されるのに対し、
大きくなるまで育てず、秋に植えたものをある程度育った頃に収穫された若取りのものです。
まだ完全に成長しきっていないため、
柔らかく風味も一般的なボクと比べ上品で優しい香りがします。
ですから新ボクは軽く茹でてサラダでも食べられます。
また、あっさりした味付けの炊き込みご飯や煮物にも適しています。
美味しいボクの見分け方は、
①太さが均一
②ひげ根が少ない
③ひび割れがない
④空洞がない
⑤弾力があるです。
泥付きの方が鮮度を保てるので、
洗う手間はありますが泥つきを選ぶといいと思います。
新ボクの栄養を逃がさないよう、次の2点に気をつけて下さい。
(新ボクだけではないですが)
一点目。皮を剥かないことです。
皮の境目に栄養がたっぷり含まれているので、
泥を軽く落としてから丸めたアルミホイルで軽くこする程度にしましょう。
二点目。水に晒さないこと。
変色を防ぐためやアク抜きのために酢水に晒すのが一般的ですが、
ポリフェノールが流れ出てしまうので、水に晒すのはやめましょう。
特に新ボクはアクが少ないので、水に晒さなくてもだいじょうぶです。

Q1,花びら餅のボクは、何に模されているでしょうか?
    a,猪  b,瓜  c,押鮎  d,大根

Q2,花びら餅の起源はいつでしょうか?
    a,平安時代  b,鎌倉時代  c,室町時代  d,江戸時代

Q3,ボク餅はあった。〇or✖?



【今日のひと言】見たり聞いたりだけでなく、試すことが大切

【今日の脳トレ】


【今週の話】夢を追った18歳

難病患者を救うという夢のため勉強に励み続けた久保田鈴之介さんのモットーは、
「思っていても、行動に移さないと何も変わらない」だった。
小児がんの一種「ユーイング肉腫」で亡くなった
大阪府立大手前高校3年の鈴之介さんは18歳だった。
彼は、難病患者の学習環境の改善に向けて取り組む理由をこう語っていた。
自らの経験から難病患者を救う仕事に就きたいという夢を持ち、勉強に励み続けた。
その死は早すぎたが、久保田さんが抱いた「夢」や「志」は多くの人に受け継がれた。
「僕よりも、つらい思いをしている子供のために・・・。」
久保田さんは高校生対象の院内学級設置を求めるメールを市に送った昨年1月、
病気をいったん克服し退院した。
その後は、週1回の通院を続けながら勉学にいそしんでいた。
できるだけ授業に穴をあけずに通院しようと、
昼休みと放課後を使って病院に通った。
母の鈴美さんが「無理せんでええやん」と言っても「戻るわ」と言って急いで学校に戻り、
剣道部では主将も務め部員をまとめていた。
しかし、昨年5月20日の夜、胸に痛みを感じ再発が分かった。
余命は3カ月から半年と宣告されていたが、将来の希望を捨てず勉強を怠ることはなかった。
見舞いに訪れた教師には「どんな課題をやればいいですか」と積極的に尋ね、
学校でのテストは痛み止めの薬が入った携帯用の医療機器を2つ持ち、投薬しながら受けた。
家族は余命宣告のことは久保田さんに伝えていなかったが、
鈴美さんは「自分の体のようすは分かっていたと思う。
それでも世界中に患者はいるから、その人のために何かできないかなって考えていた」そうだ。
昨年末にはさらに体調が悪化した。
立つことも、食事をとることもできない状態になったが、
亡くなる直前に行われた1月のセンター試験には車いすで向かい特別室で受験した。
1科目終了するごとに横になりながら、必死の思いで全教科の試験をこなした。
その頃には言葉を一言発するのも難しくなっていたが、
見舞いにきた友人たちにも気遣う言葉をかけ続けていたといい、
同級生らに「一緒に卒業しような」と励まされ、3月1日の卒業式を楽しみにしていた。
亡くなる前日も、親指をあげて「頑張る」と力を振り絞って話していたという。
2月3日に営まれた通夜には、千人以上が参列した。
葬儀には大阪市長も「提案してくれた院内高校は制度化され、入院する高校生の希望の光になった。
鈴之介君の頑張りを思い出すたび、僕もエネルギーをもらった。」とメッセージを寄せた。
剣道部の仲間たちも「闘病中でも最後まで試合に出続けた姿はみんなの心に残り続ける」と遺影に語りかけた。
卒業式では学校が久保田さんのための卒業証書を用意する予定だ。
また、がん患者の支援を目的とするチャリティーイベント
「リレー・フォー・ライフ」の大阪での開催地の一つが大手前高校に決まった。
父の一男さんは、息子が20歳になって一緒に酒を飲むことを楽しみにしていたという。
一男さんは「高校生として、自分に与えられた使命はどんな状況でもやり尽くす気持ちがあったと思う。
何に対しても逃げないという正々堂々とした生き方を貫いていた。」と静かに語った。
コメント (2)
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