昇交点

五藤テレスコープ的天文夜話

マークX物語(2)

2012-12-12 15:14:24 | マークX物語

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第2話 マークX赤道儀の生まれ故郷・山梨県乙女高原
1970年代当時、五藤光学研究所には天文部というクラブがありました。小型望遠鏡委員会のメンバーは実は殆どが天文部に所属していたのです。従ってアマチュア用望遠鏡の開発に主題が絞られてゆくのは当然の帰結だったかも知れません。
当時、天文部のメンバーは休日を利用して車で山に星を見るために出かけていました。最初は会社から比較的近い奥多摩有料道路が観測場所だったのですが、さらに空の暗い場所を求めて、山梨県牧丘町(当時)にある乙女高原という場所に行くようになりました。ここは標高1600m、周囲は夏になるとヤナギランなどの高山植物のお花畑となる、それは美しい場所でした。すぐ近くに甲府盆地が広がりますが、当時はまだ甲府の市街光はそれほど強くはなく、本当にすばらしい星空が見られたのです。
委員会ではこの高原での観測会が話題となり、大変深刻な問題が提起されました。実はメンバーの約半数が自社の望遠鏡ではなく高橋製作所の望遠鏡を使用していました。当時、アマチュア用に特化した望遠鏡メーカーは殆ど高橋製作所のみで、他メーカーの望遠鏡は性能的にアマチュアの満足がまだ得られない時代だったのです。
「これは望遠鏡メーカーとしては恥ずかしい事実ではないか」「我々が乙女高原で使うために理想的な望遠鏡を創ろう」という機運が生まれました。その理想とする望遠鏡の開発コードネームを Mark-X として、さっそく(今様に言えば)開発コンセプトを検討することになりました。(Suzu)


マークX物語(1)

2012-12-04 12:49:23 | マークX物語

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私は1970年代の中頃、新しいコンセプトを持った赤道儀、マークXの開発に携わらせていただきました。その思い出などを何回かに亘ってお話をさせていただきます。

第1話 本当は小型望遠鏡から撤退の予定だった。
最近、五藤光学研究所の倉庫の奥から、70年代の小型望遠鏡開発会議録というファイルが出てまいりました。これがマークX赤道儀開発の経緯を記したものなのです。懐かしさでページをめくると、20代の自分に戻った思いがします。
当時わたしは企画部という部署に所属していました。60年代後半から理科教育振興法(理振)という法律によって、国内の学校は理科設備を充実させてゆきましたが、天体望遠鏡もこの法律に基づいた基準があり、いま思うと膨大な数量の望遠鏡が各学校に納入されてゆきました。ところが70年代に入るとそれが充足されて、販売量が少しずつ減少してゆくようになったのです。
企画部長は私に「役員会では小型望遠鏡からの撤退を考えているが、本当に小型望遠鏡の市場に未来はないのか、検討してもらいたい」という指示を出したのです。私は社内横断的なプロジェクトチームを立ち上げ、調査を開始しました。その結果、学校用の望遠鏡は間違いなく減少傾向が続くが、アマチュア天文家用の需要は今後伸びるとの結論に達したのでした。(Suzu) 

画像:五藤式 3吋(75mm)屈折赤道儀