ごとりん・るーむ映画ぶろぐ

 現在584本の映画のあくまで個人的な感想をアップさせていただいています。ラブコメ、ホラー、歴史映画が好きです【^_^】

羊たちの沈黙(ジョナサン・デミ監督)

2008-01-03 | Weblog
ストーリー;FBIの研修生クラリスは犯罪行動心理学の権威であるクロフォードからハンニバル・レクターのところへ「会話」をするようにいわれてくる。それはバッファロー・ビルとよばれる連続殺人犯の犯行が続く中、捜査協力をいらしするための「面接」だった‥
出演;アンソニー・ホプキンス、ジョディ・フォスター、スコット・グレン
コメント;1995年に公開された映画で、当時はかなり話題になったものだが21世紀の今から振り返るとそれほど鮮烈な印象も受けない。プロファイリングといった手法が現代ではもはや日常的にもなっているからかもしれない。セキュリティやネットワークがこの10数年の間に相当進化したことがわかる。20世紀と21世紀の大きな違いはコミュニケーションツールの相違であり、いわゆる犯罪者にとってはガラス張りの社会になってきたともいえる。事実アメリカ連邦の人権局では一定の前科暦のある犯罪者のデータベースを構築し、一定の条件で地域住民に公表するといった事前的防御法をも実施している。ある一定の抑止力になることは間違いないが、「人権」といったものとの関わりで今後の動向を見守る必要性はあるのだろう。クラリスが携帯電話さえ保有していればおそらくこの物語は成立しなかったのかもしれない。またパソコンがあればこの広大な国のデータ検索ももっとスピードアップしていたのかもしれない。1990年代で携帯電話が使用されたハリウッド映画としては「パルプ・フィクション」があるが、かなり鮮烈なイメージだった。

 ハンニバル・レクターは当時のアナログ社会では類稀な「教養」を誇っていたが、現在ではどうだろうか。モバイルなどの機器が発達した中でレクターの「威容」を示すのは限られた情報から的確な意思決定とプロファイリングをおこなうその「推理」「推断」の能力だ。記憶を元に絵をかき、ボールペン一つで自由を「回復」するという問題解決能力の高さが際立っている。
 映画の「演出」その者は当時と現在とを比較すると、おそらく現在の映画のほうが画面がきれいだし、過激度はやはり相当にあがっているからかもしれないが、あまり鮮烈な印象をうけない。コリン・ウィルソンは人間の「大脳皮質」がこうした過激な犯罪を生み出すというような旨のことを述べているが、だとするとバッファロー・ビルが、プア・ホワイトという設定はちょっと納得がいかない。手口は高名なテッド・バンディを模したものと「推定」される。
 この続編として「レッド・ドラゴン」「ハンニバル」と公開されているが、予算は明らかに「ハンニバル」が一番かかっているが、映画もおそらく公開当時の「世相」となんらかの相関関係があるのだろう。世間に与えた衝撃度はこの作品ほどではなく、アカデミー賞も獲得できていない。人間の保有する大脳皮質が肥大化した場合には、とてつもなく邪悪なものをも生み出す…ということが1990年代前半に社会に意識された点は評価すべきだろうか。あるいはそれは映画の担うことではないのだろうか。

 そしてこのバッファロー・ビルの犯行動機は一見不可解でいて実は日常的でもある。人間の本質として、毎日みているものがほしくなるということはないだろうか。広告社会だのなんだのといわれるのは要はどれだけ魅力的な商品を繰り返し消費者に提示するかということにつきる。「いかに見せるか」という広告がいかに作るか、と同様にメーカーやサービス業にとっては重要な時代だ。バッファロー・ビルの真の目的となった犠牲者は「毎日」あることからバッファロー・ビルの目にふれており、そしてそれはある種のゆがんだ「欲望」を生んだ。欲望の資本主義という言葉があるがラスト間際でこの映画ではアメリカ合衆国の国旗が日光に照らされる。共産主義国家にももちろんこうした異常犯罪者は存在したはずだが、その動機はまさしく欲望の資本主義のグロテスクバージョンだった。そしてハンニバル・レクターこそはそうしたシステムを見抜いていたに違いない。

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