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 現在584本の映画のあくまで個人的な感想をアップさせていただいています。ラブコメ、ホラー、歴史映画が好きです【^_^】

カランジル(ヘクトール・バベンコ監督)

2007-12-31 | Weblog
ストーリー;南米最大の刑務所カランジルは4000人収容規模だが約7500人の囚人が収監されていた。ヴァヴェル医師は刑務所内の大麻と同性愛によるエイズや結核などの感染病の防止のために電車に乗りカランジル刑務所に赴任する。1980年代に実際に起きた刑務所暴動事件と囚人のエピソードをつづる文句なしの名作。
出演;ルイス・カルロス、ロドリゴ・サントロ、アイルトン・ブラーサ
コメント;とてつもない名作だ。刑務所制度への抗議とかそうしたイデオロギッシュなテーマでとらえられるべき作品ではない。美術・撮影・小道具・装置そして監督すべてがとてつもないスケールでこの4000人収容規模の7500人の囚人を描く。
 実話にもとづく映画だが、実際のエピソードを織り交ぜて映画化されている。111人の囚人が軍隊の突入により犠牲となったが、ソニー・ピクチャーは「コメント等については作成者によるもの」という断り書きをいれている。囚人の証言が基礎なのでそうしたイデオロギー交じりで語られるのはきわめて不幸な映画といえる。ヘクトール・バベンコの「蜘蛛女のキス」をみたときにウィリアム・ハートの演じるゲイが夢想から現実に足を踏みいれるプロセスをきわめて興味深くみた。しかし当時のヘクトール・バベンコには、イデオロギーが先にたっており、映像的には「いまひとつ」という感想をいだいた。ブラジルのオリバー・ストーンといった印象を抱いたが、オリバー・ストーンと異なるのは、きわめて完成されたシナリオにもとづいて、モデルをしっかり確定したうえで、とてつもないこの映画を完成してしまったことだ。
 シナリオの完成度はとにかく凄い。「被害者に情けは示さない」「戻るか、それとも忘れるか」「売人は吸うなっていったのは義兄だ」「借りを返せ」「抗生物質がきかない」「赤ん坊は親の悪事を覚えていますか」「罪は治せますか」「悪党なのになぜわれわれよりもてるんだ」‥他の映画では何気ないセリフがすべてその後のシーンに生きてくる。刑務所の映画であるから、収容されるまでの状況も映画化されるが、ピストルの味気ないまでの射撃。赤ん坊の前で、しかも公衆の目の前でのあっけらかんとした犯罪。日本の公園と指して変わりがない公園で子どもと遊ぶ強盗。階段の血を洗い流すクレンザーがだらだらと床に流れていくシーンや犬と猫がお互いをみつめあうシーン。そして、ブラジルの雨の日に、ピストルを洗面器から取り出すシーン。電車が夜の刑務所を通りすぎるシーンなどはおそらく実際の電車が通過するまで撮影を待っていたのだろう。撮影にはかなりの時間とフィルムを費やしたのだろうと思う。「電車」というのがヘクトール・バベンコのこだわるシーンの一つだったに違いない。「黄疸棟」とよばれる(密告や性犯罪者が収容される棟)の様子もおそらく実際の刑務所ではさもありなんという描き方だ。直木賞作家の浅田次郎氏が「刑務所で一番嫌がられるのは性犯罪者」とある本に書いているが、この映画の中でも15歳の少女を強姦した犯罪者が、そのことが露見するや否や囚人から暴行をうけて黄疸棟に避難するエピソードを紹介している。「(強姦犯罪者に対して)死刑反対論者の俺も死刑にするのが当然さ」。そしてその犯罪者はそれでも逃げ切れずに陰惨な最後を迎えるのだが‥。日本でもブラジルでも「家」「愛」「神」を信じる光景には変わりがない。もともとは大麻や同性愛によるエイズの被害を防止するために派遣された医師がみた南米最大のカランジル刑務所の様子を描くところに一つのポイントがあるが、そうした背後のエピソードは途中で消えてしまい、時間の経過もまたある囚人が「30日後に会おう」といわれてコイン1枚を渡されて独房に閉じ込められるシーンで表現されるという心憎さだ。このコインも重要な小道具として機能する。刑務所の庭から気球を飛ばす囚人には絶望的な状況でも希望を失わずに調和を守ろうとする人間の最低限の基準が示される。最も「基準」というのもこの映画ではどうでもいいぐらいのスケールになってしまうのだが。ブラジルの川での水遊びといい、「水」という映画にしにくいものを「雨」「霧」「クレンザー」「水蒸気」といった種々の状態で映画に取り入れたアイデアもすごい。「泡」の描き方も半端ではなく、歯ブラシをめぐってのラブシーンは日本映画では考えられないほどなまめかしい。歯磨き粉を黒人女性の顔にまぶすシーンはどんなポルノ映画よりも扇情的だ。そして雨の中でさされる傘の色やテントの色が黄色の美しい模様で、これがまたブラジル、そして映画の中に彩りを添えている。
 ラストシーンには相当な気合がはいった連続で、これはもう目がはなせないシークエンス。得体の知れない水と血の結合は犬と猫がみつめあうシーンで完結する。「人間を密集させるとどうなるか」を映画で実験した作品で(動物は狭い空間ではかえって仲良くするらしい。その空間でのいがみあいは死ぬことを意味するからだ)、それが監督も意図していないとてつもない映像を生み出した。これが最初から「閉ざされた空間」ではなく「開放された空間」だったらここまでの映画にはならなかったのだろう。見てソンはないし、もう一度見てソンもない。すばらしい名作だと思う。


 この映画の中で「蜘蛛女のキス」を髣髴とさせる演技を披露したロドリゴは、その後ハリウッドの「ラブ・アクチュアリー」でローラ・ジニーとのラブロマンスを演じている。とってつもなく鍛えぬいたインテリぽいスポーツマンのデザイナー役とこの映画の「女形」との対比がまたすごい。

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