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 現在584本の映画のあくまで個人的な感想をアップさせていただいています。ラブコメ、ホラー、歴史映画が好きです【^_^】

フォッグ・オブ・ウォー(エロール・モリス監督)

2008-01-10 | Weblog
ストーリー;第二次世界大戦中は作戦司令部、その後フォードの社長をへてケネディ大統領時代に国防総省長官に任命。ケネディ暗殺後もジョンソン大統領につかえるが、ベトナム戦争への考え方の違いから解任され、その後世界銀行に実を転じるマクマナラ。キューバ危機、東京大空襲、そしてベトナム戦争と現役時代の話と11の教訓を静かにこたえていく…
出演 ;ロバート・マクマナラ
コメント;マムナマラ元国防長官が第一次世界大戦終了後の2歳のときの記憶から現在までを振り返る。副題には「11の教訓」となり、キューバ危機・ケネディ大統領暗殺・東京大空襲・ベトナム戦争など歴史的な事件の場にいあわせた証言者として、貴重な教訓と歴史の背景を語る。司令官は通常ミスをして3回ミスをしても4回目を避ければよいとする。しかし核戦争では一度目のミスが命取りになる。修羅場をいくつもくぐった男は第二次世界大戦では作戦司令部、その後フィードをへて国防総省、世界銀行と国際的な舞台で活躍し、現在は80歳をこえるがそれでもはっきりしたポリシーを持っている。スタンフォード大学(理工系の研究が優れているアメリカの大学)の進学を希望していたが金銭的な都合からバークレー校をへてハーバート大学に進学。倫理学と心理学に熱中するがハーバートでは統計管理を専攻。理性的な行動と倫理的な態度はこの倫理学と統計学という日本ではあまり並列して履修することがない科目の並行履修にも由来するのかもしれない。セピア色の学生当時の回顧風景は「ビューティフル・マインド」で描かれた作戦司令部や大学の風景を思わせる。マクナマラ流とも評される合理主義、とりわけデータ重視の合理主義は一種の誤解もあったのかもしれない。確かにデータ重視の合理主義者でチャートをひろげてプレゼンテーションする姿が印象的だが、この映画では自分を超えた何か、人間を超えた何かに「畏怖」する一人の人間の姿と声がある。
教訓1「敵の身になって考えよ」
 ゲームの理論にも通じる意思決定のプロセスを明らかにする。フルシチョフの最終的な目標は「キューバを救ったのはソ連だ」と主張したいこと、として行動し、戦わずしてミサイル配備の解除に成功する。ここで登場するのがフルシチョフと家族ぐるみで親交があったというトンプソン氏。フルシチョフのニーズを汲み取りつつ、ゲームにお互い勝てるような外交政策を進言している。
教訓2「理性に頼るな」(rationality will not save us)
 世界が一番核戦争に近づいたといわれるキューバ危機。カストロもフルシチョフもケネディも理性的だったが、核戦争が避けられたのは「運」だったと告白する。理性的であるがゆえに核戦争が発生することもありうると指摘。その後1992年1月にキューバのハバナでカストロと会見したときに当時のキューバにはすでに核ミサイル162台が配備されており、もしキューバに攻撃をしかけていた場合、核戦争に突入していたことを知る。この話をするときのマクナマラの表情が良い。おそらく本当に1992年までこの事実は知らなかったのだろう。
教訓3「自己を超えた何かのために」(There's something beyond one's self)
 東京大空襲などで10万人の死者をだした責任は作戦司令部にあり、その中にいた自分の責任をマクナマラは否定しない。今後この映画はおそらく何百年たっても歴史的証拠として保存されるのはおそらく承知しての出演と発言だ。自分の死といったものを明らかに意識しつつ、こうした発言を映画で展開するマクナマラには生半可なものではない倫理観を感じる。「神」という言葉はでなかったが、統計管理の技術でB29の高度をさげて犠牲者を出したことについて歴史の裁定を待つという姿勢がうかがえる。
教訓4「効率を最大限に」(Maximize efficiency)
教訓5「戦争にも目的と手段のバランスが必要だ」(propotinality should be a guideline in war)
 ルメイという軍幹部の名前が頻出するが、東京大空襲のさいにB29の高度を7000フィートから1500フィートにさげて目標の爆撃成功率を高める。ただしその効率の最大化は呉、岡山、名古屋、横浜といったほかの大都市のほか原爆の悲劇もうんだ。戦争という目的達成のためにはらった手段として、倫理に反する行為だったとマクマナラは語る。
「戦争にも手段と目的のバランスが必要だ」と語るマクナマラは原爆も含めてそこまで日本に対する大空襲や原爆投下が必要だったのかという疑問を呈する。「俺達は戦争犯罪人だ。戦争に勝たないかぎり」というセリフの証言に逆に身が引き締まる。
教訓6「データを極める」
 第二次世界大戦が終了後、当時赤字すれすれだったフォードに入社。統計管
理学の知識をいかして、フォルクスワーゲンの購入者を分析し、フォードの商品開発の主体をもっと大衆に切り替えることに成功する。フォード一族以外でははじめての社長に就任(ただしその5週間後にケネディ大統領から要請があり国防長官に就任)。ケネディ大統領暗殺の回想シーンではマクナマラは涙を浮かべているようだ。その一方でジョンソン大統領についてはやや批判的な印象を画面からは受ける。コメントそのものは客観的なのだろうが、回想するにあたってどうしても表情や身振りといった微妙な仕草でこの二人の大統領についての思い入れも異なってくるように思えてしょうがない。
教訓7(belief and seeing are both often wrong)
 1964年8月2日と4日アメリカ駆逐艦に対して行われた攻撃をジョンソン大統領は計画的攻撃と受け止めて、北爆を開始した。しかしその後知らされた事実は片方の攻撃は事実だが片方は攻撃ではなかったというものだった(トンキン湾事件)。
教訓8理由付けを再検討せよ(be prepared to reexamine your reasoning)
 オレンジ剤(枯葉剤)の散布について語る。マクナマラは明らかに苦渋の表情をうかべている。
教訓9人は善をなそうとして悪をなす(be order to be good,you may have to engage in evil)
クエーカー教徒が反戦をうったえて焼身自殺を図る。そして新聞などではマクナマラについて「マクナマラの戦争」といった表現が目立つようになる。
教訓10「決して、とは決して言うな」(never say never)
 この頃からジョンソン大統領との路線の対立が目立ち始める。戦死者はすでに2万5千人を越えていた。最終的には5万8千人になるわけだが…。ベトナム戦争を早く停止すべきという進言をするが、解任もしきは辞任という形で国防総省を去る。
教訓11「人間の本質は変えられない」(you can't change human nature)。
 この後、マクナマラはきわめて寡黙になる。インタビュアーの質問にも答えず、車を走らせる。ただしかしエリオットの詩を引用して「いろいろと探求した結果元の場所に戻って理解できる」という。彼はその世界銀行に移り、世界の貧困と闘う。人間の本質ということとてらしあわせて戦争がなくなるともなくならいとも断言はされていないが、安易なヒューマニズムを拒否してあくまでも現実主義に立脚しつつも、その知能を最後は世界銀行で活用したわけだ。終始ケネディ大統領への郷愁が感じられるとともにジョンソン大統領へのある種の反感がフィルムににzみでているような気がした。「戦争の責任者は」「大統領だ」と即答するなど、自分の意思決定の間違いを悔いているようにもおもえる。国防総省の元トップがここまで語り、そして表情で何かを訴えかけようとしたこの映画は、人々の映像の記憶として今後数百年も語り継がれることになるのだろう。マクナマラの考えていた戦争と実際の戦争とではやはり大きな差異があり、そこでは統計学ではなくむしろ倫理学が関係してくる分野だったのかもしれない。

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