人の心までなぞってるかの薄ら寒い日が続くここ数日。
厭世的になりがちでも。。。 不屈の努力をあらしめようと涙なしでは
読めぬご挨拶状が届いた昨日~ 近況をご報告いたします。
東日本大震災、あれは数え切れないほど沢山の人々にとって
想いもよらない過酷な試練の始まりでしたが、余り頑健でもなく
若くもないのに間一髪ながら命許され家も車も殆ど無事に済んだ
私ども夫婦には、もっと真面目に恥じなく活きよとの戒めもあるのかも
知れないなどと殊勝に想ったりしております。
皆さまからお寄せ頂いた身に余るご厚情を心に刻み健康と円満と
幸運とを座右の銘にもう少しこの人生頑張り楽しませて頂きます。
ご一同様のご自愛とご健康をお祈り申し上げます。
平成23年6月 ○○ ( ××歳1ヵ月 ) ○○ ( ××歳9ヶ月 )
ご主人とsusukuniさん 何ヶ月の括弧書きが沁み~~~
命許されたあの日からを丹念に活きる年齢差2歳のお二人に泣けた。
” 大槌町の瓦礫も少しずつ片づいてきました。
家の中も普通の暮らしが出来るようになり元気で頑張っております。 ”
susukuniさんの添え書もあった。
東北支援物産展の我が岩手県の美味しい物達~
塩味の支那そばはゴメンなさいだった! 正直なゴロハナで~す。
今更ながら、いやはや何とも.....
私の友人が以前勤務していた山田高校と山田町。学校はともかく、遊びに行ったときの友人の住んでいた建物、いっしょに飲みに食べに行った寿司屋、居酒屋、全て跡形も無し。
ただ「呆然唖然」ですね。
被災者さんだったのですか!?
遅ればせながら
お見舞いの気持ちを
お伝えください・・・。
気持ちだけで
申しわけないですが・・・
susukuni家は本当に幸運でした。
ある記事によると、それはそれでなにもかも無くした人たちの中で
とても居たたまれないことでもあるそうです。
せっかく残った家をそのままに引越しをしたとか。
運命とは過酷なものですね。
こうして何日、何ヶ月、何年と~ 未曾有の震災を
心に刻み続けなければですネ。
山田町ご存知でしたか~
海抜ゼロm同様のこの町も根こそぎさらわれてます。
ウニや牡蠣やホヤなど三陸の旨い肴で~
今もご友人は一杯飲みたかった無念をお持ちでしょうネ。。。
▼蘭 ちゃん
そうなんです! 彼女は大槌町民ですので被災者さんです。
susukuniさんは避難訓練のお陰で助かったと言います。
PCもダメになり新しく買うようでしたので、またブログに
優しいコメントを寄せて頂く日をお待ちしましょうネ。
お見舞いのお気持ちは十分届いてますとも~~~
▼ako さん
1階の片付けをボランティアさんにお願いした時の話です。
指示したからって見てる訳にもいかず
しかしそのペースについて行けず途中で断わったそうです。
疲れないようマイペースが一番のようでした。
近くの広場にテントを張りズッ~とボランティアを続ける沖縄の
男性に、国内外での経験談を聞いては食事を運んであげたりしてた
susukuniさんの優しい一面~ どっちがボランティア?って
笑いました。
津波最前線に出動中に犠牲となった同僚に対し自分だけが助かり
自責の念を抱く消防団員に心のケア措置をするという昨日の新聞記事。
被災された多くの方が惨事ストレス者。。。 過酷ですネ。