えすみの日記

ふつーの主婦ですが、日本の未来を真剣に考えたい!

桃太郎の意味

2011-09-25 00:03:06 | 日本
けっこう前に買った雑誌。『JAPANIZUM』創刊号。いろんな保守論壇のご意見番が寄稿してて、読み応えありました。もう、古くなってしまったので、捨てようか迷いつつ。
これはおもしろいなと思った記事を残しておきたいと思ったので、ここにアップしときます。

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オピニオン情報誌『JPANIZUM』創刊号より

作家 山口敏太郎

【神々のおたわむれ】P166~169より抜粋


日本という古き国は、古来より多くの神事が行われてきたまれな国である。宗教儀式としての神社にて神主が行う神事とは別に、伝統芸能と言う形で、庶民の間でも神への奉り事が行われてきたのだ。言い換えれば、日常生活において、無意識のうちに神事が代々継承されてきたわけであり、日本文化そのものが神道と関連が深いといえる。

例えば歌舞伎や能言は、単なる伝統芝居ではなく『神芝居』である。歌舞伎や能役者は、天照大神(アマテラスオオミカミ)の岩戸隠れの際、踊りで神々の乱痴気騒ぎを盛り上げたアマノウズメノミコトの子孫であると解釈されている。つまり、この世にひかりを取り戻した功労者の霊脈なのだ。
 その役者たちが、神々を舞台という名の社に降ろし、神の言葉を台詞として代弁し、この世を浄化する。それが本来の歌舞伎や能・狂言の役割であった。その片鱗は今も、現行の能や歌舞伎に垣間見ることができる。
(中略)

また、日本の昔話さえも神事であるというと、みなさんは驚くであろうか。思い出していただきたい。いつも昔話の『語り』で、使用される冒頭の決め台詞、

『昔、あるところに、お爺さんとお婆さんがいました』

という言葉も、翁(おきな)と媼(おうな)による神々の召還を意味している。言い換えれば、『語り』という言霊の連打で、この国を鎮撫するのが、昔話を語る行為の真意である。

それが最も顕著に現れているのが「桃太郎」である。この「桃太郎」を語ることで、日本の風水的な結界が言霊で強化され、子供たちに本能的に風水の教育が施されるのだ。

ここで、十二支を時計回りに配置することをイメージしていただきたい。桃太郎が攻めた鬼は鬼門(方位でいうと北東、時計の時間に置き換えると深夜二時前後)におり、配置された十二支のうち牛と寅が該当する。鬼が牛の角を持ち、寅のパンツを履いているのは偶然ではなく、霊や妖怪が深夜の二時に出現するのも偶然ではない。

逆に配置された十二支のうち、桃太郎の家来になった猿、鳥、犬は裏鬼門(方位でいうと南西)にいる。つまり、裏鬼門が鬼門の鬼を討つという配置がなされている。また、お爺さんが山に柴刈りに行った山とは、風水上北に配置される山であり、お婆さんが洗濯に行った川は、風水上南に配置される海である。もちろん、桃はイザナギがイザナミの使わした黄泉国の軍隊に投げつけた『魔よけの桃』を意味している。

つまり、我々日本人は子どもに聞かせる昔話さえも、巧妙に風水的仕掛けを施してきたのだ。
(後略)
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驚きですよね。
あの、桃太郎に風水の意味があったってこと、はじめて知りました。
なんだろう。先人の英知というか、昔は日常生活すべてがこういうふうに意味があったとされてきたんですよね。

風水信じるとか信じないとかはおいておいて、こういう話をよむと昔の人はすごい!と思ってしまう。

桃太郎、いまも子どもたちに読み聞かせされているんでしょうか?

ぜひとも、受け継いでいってほしいですね。

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