えすみの日記

ふつーの主婦ですが、日本の未来を真剣に考えたい!

【転載記事】バラマキ政治がいかに危険か その2

2010-11-07 17:08:28 | 政治について
■7.フランスの国家崩壊

 衰退と破滅への道は必然ではない。その道を引き返して再生した例は少なくない。たとえばマーガレット・サッチャーによるイギリスの再生は、その見事な例である。[b]

 ここでは、もう一つ、中西教授が紹介している1930~1050年代のフランスの事例を見てみよう。[1,p194]

 1920~30年代のフランスは、第一次大戦で多くの国民が戦死して、経済は破滅的な打撃を被った。そのため、共産主義が跋扈し、風俗は乱れ、伝統的価値観は転倒した。国民が将来への希望を失ったため、少子高齢化が進み、人口は純減傾向を見せ始め、「このままではフランス人は地上から消えるのではないか」と言われた時代だった。

 1930年代、ヒトラーとの戦争が迫ってきても、フランスの若者たちは「国家のために死ぬのは野蛮な行為だ」などという風潮に浸っていた。そして実際にヒトラーのドイツ軍が侵入してくると、多くの若者は銃をおいて戦場から脱走した。その結果、パリは4年以上にわたるナチス・ドイツの占領下におかれ、フランス人は国家崩壊の悪夢を見た。

■8.ドゴールによる再生

 ここに登場したのが、ドゴールである。「こちらはロンドン。私はフランス亡命政権のリーダー、ドゴールです」と、ロンドンから抵抗運動を呼びかけた声が、フランス人に電撃的なショックを与えた。この時から始まった「フランスの再生」は、まさに精神面の再生から始まった。

 1950年代にドゴールが大統領の座につき、「イギリスに負けるな。西ドイツなどに追い越されて良いのか。アメリカのいうことを唯々諾々と聞いていてはいけない」と国民を叱咤激励し、それまでの外交を大きく転換して「ゴーリズム」という「フランス第一主義」を掲げた。

 キューバ危機のようなギリギリの危機に対しては、アメリカと一糸乱れぬ協調行動をとったが、ふだんは独立自尊の旗を高々と掲げていた。経済的にも「われわれには近代工業を運営する能力がない。農業国がフランスの本質なのだ」という弱気に沈むフランス経済界の尻を叩き、激しいグローバル競争の風にさらすという自己改革を迫った。

「国家の栄光」を第一義におき、植民地を切り捨て、核武装をした。こう
して経済が再生し、外交も独自の力を発揮して、フランスは押しも押される世界的大国の地位を回復した。ヨーロッパにおいても、中核国として欧州統合を引っ張っていった。

 国民が自信と将来への希望を持ったことは、出生率の上昇となって現れた。少子高齢化を「成熟社会の必然」と見るのは間違いで、それは国の未来への希望が見えなくなった時に現れる現象なのである。


■9.国家再生の出発点

 アルゼンチン型衰退やナチス・ドイツ型破滅が、バラマキ戦術による国民の精神的堕落から始まり、逆にフランスの再生がドゴールの呼びかけによる国民の精神的覚醒から始まったことは示唆的である。


 民主主義においては、政治の質は国民の良識のレベルによって決まる。優れた政治的リーダーを選ぶのは国民の良識である。経済的な発展も、国民の創意と努力によってもたらされる。少子高齢化傾向ですら、国民の未来への気概に左右される。

 まずは我々一人ひとりの国民が、選挙において、バラマキ戦術に目を奪われることなく、国全体を考える公共心と、優れた政策とリーダーを選択する見識に基づいて票を投ずることが、日本再生の出発点である。

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