ツイッターやヤフーコメント等の意見は意味がない。単なる個人の感情を表現したのに過ぎない。SNSにおける意見は意見にあらず。日本人の特徴として、意見を述べるには論拠を示すべきであるが、全く根拠を示されていないのがほとんどである。そのためその意見は、単なるあなたの感情を示した意見としか言えない。あるいは意見としての価値もない。意見には、その意見に至った論拠を示す必要がある。日本人は論理性がないといわれるゆえんある。このような論拠を示さない意見は、傾聴するに値する価値もない。何故このような感情によるコメントが多いのだろうか。幼少のころから意見を述べるための訓練がなされていないからであろう。また、大学において正式の論文を書かなくても卒業できるという仕組みがあるためだろう。大学教育を受ける素養もない学生を入学させる大学が多いためであろう。大学経営の視点が強調され、大学の経営陣の意見ばかりが教育現場に影響を与えているからであろう。大学経営者の多くは、教育者に値しない人が多い。そのため教育現場は、単に大学経営の視点から大学で学ぶ素養のない学生でも合格させているのが現状である。そのため卒業論文を書かなくても卒業できるというカリキュラムを編成してしまうのである。論理性のある学生が育たないのは当然のこととなる。論文を書けば、それなりの論理性が必要であることがわかるはずである。また、大学で開講する科目のうち、カルチャー性の科目は履修する学生が多く、大学における論理性を学ぶ科目を履修する学生が少なくなっていることも原因といえよう。カルチャー性の科目を履修して卒業できるようになっていることも論理性を身につけるチャンスをなくしている。