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シンプル ライフ(健康で豊かな生活の実現を目指して)

健康で豊かなシンプルライフを実現するブログ情報

便利さは考えることを衰退させる

2010-06-06 04:06:09 | 教育

 最近、特に文章が書けない人が多くなったように思われます。ワープロや電子メール・携帯電話メールの道具の進歩による影響のように思われます。書き始めと段落の書き始めは、1文字空けて書きますが、そのルールを知らない人が多くなっています。フリーライターが書いた文章が沢山インターネットに掲載されていますが、文章作成の基本を知らないライターが多くいます。また、一文を長く書く人が沢山います。その人たちにみられるのが、適切な読点の使い方ができない。そのため、わかりにくい文章となっています。わかりやすい文、わかりやすい表現は、一文を約40字程度で表現することであるといわれています。また、一つの段落には述べたいことを一つ書くほうがわかりやすいのですが、多くの事柄を書くために、何がいいたいのかわからない文章となってしまうようです。

 電子メールの大衆化により、文章表現の領域に絵文字や話し言葉などが使えるようになっています。本来の文章では、絵文字や話し言葉が使えないのですが、そのことがわかっていない学生が多いです。学生の提出されたレポートには、「~なので」、「~だから」、「~と思うのですが?」、「~でしょうか!」などの表現をする人がいます。また、「~です。」調と「~である。」調が混在した文章を書いても間違っていると感じない学生が多くいます。また、ワープロの変換に問題があるのかも知れませんが、「身につける」を「身に付ける」と書く人が多い。インターネットを使ってレポートを書く学生が沢山いますが、インターネット上に掲載されている文章には、信頼性に欠けるものが沢山あります。インターネットにおける個人が書いた文章と、公の機関が公表する文章とでは、信頼性が異なります。しかし、便利さと安易さを追求したことが、信頼性の高い書籍が読まれなくなり、文章が書けなくなった要因のように思われます。正しい判断基準を持ち合わせていない人が多くなってきています。


学問に王道なし

2010-05-16 15:37:17 | 教育

 大学が大衆化してから、特に学生が発する言葉として「難しい」ということが気になります。どこが「難しい」のですかと質問すると、「全部難しい」といいます。学生が発する「難しい」という言葉を考えてみると「自ら調べて、考える」という作業をしていないことが原因のようです。難しい箇所を調べて、考えれば「全部難しい」という返事はないからです。調べてみたがこの箇所の意味がわからないとか、ここはどのように解釈したらよいのかという返事がくるはずです。

 また、学生の言葉として「教えてくれない」という言葉をよく耳にします。この言葉の意味を発する背景を考えてみますと、大学で学ぶという意味を理解していない学生が多くなったからだと思います。大学で学ぶということは、自学自習を基本として、わからないこと、理解できない所は、自ら調べ、考え、解決していくのだという自覚がないからでしょう。調べて考えてみたが、どのように解釈したらよいのかというような質問であれば、解決のヒントを与えてくれない先生はいないはずです。始めからすべてのことを教えてくれという姿勢であれば、教員は教えないはずです。教員は調べて考えることが学生の役割であり、教育であると考えているからです。社会人学生であっても同様の考え方をしている人が多くなっています。

 学問は、決められた一定の水準をクリアーしなければ修めることができないこと、短い時間で修得することは難しいのだと自覚することが大切です。学問に王道はないのです。

 


卒業式での贈る言葉に思うこと

2009-03-16 14:17:39 | 教育

 3月は卒業式のシーズンである。卒業式に参列して思うことなのであるが、式辞や祝辞の中で「人をいとおしいと思う心」「人の痛みを感じられる柔らかな感性」「手を差し伸べる勇気のある人」など「豊かな心を持った人間となること」を願う言葉が多くなった。 

 しかし、その言葉の意味を本当に理解してくれるのは僅かなのではないかと思う。健康の有り難さは、病気をして始めてわかるのであり、家族や親族、友人など愛する人を失って始めてその悲しみの深さが理解できるのだと思うからである。

 人は言葉が理解できても、体験しなければ本当の意味がわからないという特性を持っていると思う。経験の少ない卒業生を前にして、他人を思いやる人間性豊かな人になって欲しいという願いは、どのようにして伝えたらよいのか悩むところである。

 

 


小さな声で会話をするように心掛けよう

2008-12-04 22:37:24 | 教育

 自分たちのグループだけでない場所での会話が気になるようになりました。列車の中での会話、コーヒー店での会話、レストランなどでの会話です。

 他人に対する配慮の心持が感じられない人たちが多くなったように感じられます。周囲には、本を読んだり、予定をメモしたり、考えごとをしたりしている人たちもいるのです。声の大きさも相手が聞きとれる以上の大きさで話をする人たちがいます。意識的にそのようにしている人もいますが、ほとんどの場合、話に夢中になって他人への配慮の思いが一時的に消えてしまうのでしょう。

 無意識のうちに他人への配慮が生まれるようにしたいものです。そのためには、いつも他人への配慮の大切さを考え直し、感性を高めていく習慣を身につけること以外にないのかもしれません。

 

 


e-ラーニング教育の限界

2008-02-22 21:49:54 | 教育

 資格取得のための道具としてe-ラーニング教材などが盛んに開発され、自学自習用として利用されています。e-ラーニング教材は、何時でも、どこでも、自由に何回も好きなところから学習できるという利便性と、学習効果の側面から効果があるとの報告がいろいろされています。

 しかし、学習効果の報告は本当なのだろうかという疑問がいつもつきまといます。このことは私だけのことなのだろうかといつも思っています。

 私は学生教育の体験から学生と対面しながら学習するのが本来の姿であり、教育効果も高いと思っています。教室での授業は、学生の理解度に応じてフレキシブルに授業展開をすることができます。それは、学生の疑問点に対してすぐに回答できますし、疑問点に対する学習の仕方を指示できます。

 また、学生の表情をくみとりながら授業を進めることができるからです。学生は、学習目的がはっきりしていて気分よく学習している学生から、単位修得目的で気分ののらない学生など、いろいろな学生がいます。

 先生は、このような学生の表情をとらえながら、この学生はこの点が理解不足のようだから、繰り返して説明しておこう、この学生は理解しているようなので、少し応用的な内容を話そうと、考え、説明を試みたりします。また、いろいろな方法を使って理解してもらうよう試みます。このように対面授業では学習効果を高めるためのいろいろな工夫がとれるからです。

 過去においてある科目のビデオ教材を作ってもらい、メディア授業として授業をいたしましたが、学生の評価は好ましくありませんでした。その理由として一人で学習するのは暗い感じがあり、楽しくないというものでした。確かに繰り返し学習できるという点、わからなかった点を再度確認できるという利便性は認められます。しかし、学習効果の面で、あまり期待した効果は得られませんでした。

 e-ラーニング教材によるインターネット学習が盛んに行われていますが、学習効果の面から考えると弱点があるようでならない。受講者の質問に直ちに回答できない。積み重ねながら進める学習内容であれば、そこで学習が中断してしまうことが多くなります。

 人はコミュニケーションをしながら学習する方が、脳の働きが高まり、記憶力が高まるのでないかと思われます。つまり、心を持った人間との触れ合いを通して学習するように、人間は本来的にできているように思われます。心のない道具を使って学習する形態は、最近のことですし、人間の脳はこの方式に対応できていないように思います。

 ビデオ、DVD、インターネット、コンピュータなどの道具を使っての学習は、一人で学習する場合が多くなります。一人でする独学は、人にもよりますが、本来、学習方法としてむいていないように思うのです。