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シンプル ライフ(健康で豊かな生活の実現を目指して)

健康で豊かなシンプルライフを実現するブログ情報

いつも笑顔を忘れないように

2008-03-03 12:52:21 | 生き方

 どのような環境や境遇であろうとも、力強く、イキイキと行動している人の表情をみると豊かな気持ちになります。そして、勇気づけられます。

 何かの用事で外出することがあります。そのとき車内の人たちの表情を拝見するのですが、何か力強いものを出している人の表情をみると、こちらの心も力強くなり、豊かな気持ちとなります。

 心に何か不安があるのでしょう。深刻な面持ちで座っている人がいます。その人の表情をみると、こちらの心も暗くなり心が痛くなるのを覚えます。

 以前、「人の心の苦しみがわかる。人のやるせない気持ちがわかる。そのように他人のもつ真実のものを共感できるのは、地球上の生き物の中で人間しかいない。動物は自分の痛みはわかる。仲間のもつ痛みや死の不安などがどれほどのものかはわからない。」と書いたことがあります。

 豊かな暮らしを願うものとして、このことを思い出しました。いつも心を豊かにし、心安らかにして、笑顔を忘れないようにしようと決意した次第です。

 

 

 


上手に解決するための心構え

2008-03-02 20:18:39 | 生き方

 人はそれぞれの価値基準を持っています。一つの事象に対して人はそれぞれの価値基準に照らして物事を判断します。多くの人たちの意見を聞くことによって、いろいろな見方を知り、視野を広くすることができますが、不完全な人間が作り出した判断であることを忘れてはいけません。また、不完全な人間の判断に振り回されることもありません。

 自分の判断も不完全であるとしても、他の人の判断も同じなのだということです。他の人の基準と比較してああでもないこうでもないといって悩むこともないのです。自分の判断を信じ、情熱をもって事に当たれば、人は感動し支援をしてくれるようになります。

 色々な事を一人で総てを解決しようとしないことです。多くの人たちの知恵をお借りして、物事を成就するように心掛けることです。人を信頼し、人に任せることも大事です。心から通じ合える仲間を沢山作り、共同してことにあたることです。そうすれば、ほとんどのことは上手くいきます。

 

 


人間の背後にあるものは何か

2008-03-01 20:12:30 | 生き方

 物事の真実は科学で証明された部分と科学で証明できない部分があります。科学がいかに進歩しても証明のできない部分は残り、その大きさは証明された部分よりもはるかに大きいと考えます。ここで証明されない部分は、古代から感覚的に存在すると信じられてきました。この証明されない部分は、信じるか信じないかの世界であり、それぞれの人の心に委ねられた世界でもあります。

 人間を考える場合、人間は「自然」に属し、モノとモノでないものからできあがっているといえます。モノの部分は「からだ」と「こころ」です。この「モノ」としての人体に宿って、自分を他のだれともちがうひとりの自己としているモノでないものが「いのち」といってもいいと思います。ここで「こころ」は脳内の物質の作用によって起こるのだということが脳科学で解き明かされるにつれて「モノ」としてとらえるようになってきました。

 人間をすべてモノからできているというとらえ方をする人もいますが、私はモノとモノでないものから構成されていると考えます。モノでないものが存在とするという考えは、信じるか信じないかの世界であります。「生きているもの」には「かたち」があります。その「かたち」の背後にあるものが「いのち」ということです。この「いのち」は、想像するしかありません。それをどのように想像するかは、各人、各様にいろいろとイメージすればよいことです。

 すべてのモノには「かたち」があります。その「かたち」の背後には「いのち」があるといいました。つまり、地球も、宇宙も、すべてモノからできていますので、その背後には「いのち」があることになります。そして、ブッダが見抜いたように、「いのち」あるものはすべて変化すると説きました。この世界に変化しないものなど、ひとつもないということでしょう。

 この「いのち」をどのように想像するかです。モノの背後にある「いのち」は信じるしかありません。それは「かたち」がないからです。そして、一般の人が持っている五感では感知できないからです。「いのち」は万物を作りだすエネルギーの元であると私は考えます。そして、人間が考える「こころ」と一体となって作用するものと考えています。しかも、それぞれのモノが生成と消滅を繰り返しながら、自己成長と自己繁栄をするように機能しているのです。

 科学は万能ではありません。科学で解明できないことが沢山あります。科学では解明できない何かを先人たちは感じてそれを言葉にして残したのでしょう。何かウサンクサイと考える人も沢山いるでしょう。だからといって何か未知のものがないとは決していえないと思います。

 

 


人生は出会いから方向づけられる

2008-03-01 12:07:56 | 生き方

 人の人生は、ちょっとした出会いから方向づけされるような気がします。しかし、心に何か備えがあっての出会いかどうかにより、それが何かよい機会になるのかが決まるのではないかと思います。

 毎日の通勤や通学途中で、いろいろな人に出会いますが、誰も行き交う人の顔も覚えていません。めいめいがそれぞれの方向を目指して足早に歩いています。人は多くの人々に会いながらも、まるでものに出会うかのように行動しています。

 このような人々の出会いでない、本当の出会いが、人生の中で数多く経験されます。そして、その出会いを、大切に心に受けとめるかそうでないかにより、人の一生は変わってくるものと思います。

 このことは、本との出会いにもあてはまります。何らかの原因で生き方を変えなければと思っているときなどに、ひょっとしたきっかで手にした本が考え方を変えるヒントとなり、人生を大きくかえることがあります。

 人は不完全なので、いろいろな考え方があることは頭でわかっていても、心がそれを求めていなければ気づきません。人々は、幸せな暮らしがしたい、豊かな暮らしがしたいと願うのですが、何を具体的に求めているのかという心の備えがなければ、豊かな暮らしを実現するきっかけをつかむことができません。いつも、自分が求める幸せな暮らし、豊かな暮らしを想像し、忘れないことです。そして、積極的な心をもって行動することです。思ったように進まないときは、感謝の気持ちをより大きくすることです。

 不安な心の状態にあると、いろいろなことが見えなくなります。いろいろなヒントが向こうからやってきても、つかむ事ができなくなります。いつも心の状態を自由にしておくことが大切です。

 人はいろいろなことを願望する生き物です。心がいつも揺れ動いて願望が変ります。自分が得たい豊かな暮らし、幸せな暮らしを忘れないようにするには、具体的な内容を手帳などに記入して、毎日見るようにすることです。

 

 


豊かさ実現と奉仕活動

2008-02-29 18:16:10 | 生き方

 豊かになるためには、慈善事業や慈善活動に貴重な時間を費やすことをしないようにすることです。恵まれない人々が必要としているのは施しではありません。心に響く励ましの言葉であり、誰もが創造的な力を使って豊かになれるのだということを気づかせることです。

 慈善事業でできることは、みじめな状態のままで生きていくための施しをしたり、喜びを与えて、一時的にいやなことを忘れさせることぐらいしかできません。貧しい人たちが、誰もが豊かになれるのだということに気づけば、苦しい生活から脱出することができます。

 貧しい人を助けたいと思うならば、あなだが豊かになって、豊かになれるのだということを示すことです。いろいろな人たちに対する奉仕や尊い活動は、あなたが豊かになればいくらでもできます。あなたが豊かになって得たすべての物を使っていくらでもできるからです。

 

 


望みを成功にみちびくために

2008-02-28 12:06:18 | 生き方

 一つが成功すると、次々と成功への道が開かれてゆきます。望んだものが近づいてくるスピードも、望んだものにあなたが近づいてゆくスピードもどんどん速まっていきます。

  成功を重ねてゆくと、さらに大きな成功がやってくるものです。ある人が生き生きとした人生を生き始めると、ますます多くのものがその人に向かってやってきます。あなたの願望が与える影響は何倍にも大きくなってゆきます。より豊かになりたいという願望は、すべてのものに生まれながらに備わっているからです。

  ただし、豊かになることは、精神的な喜びを得、知識を増やし、野心を満たし、他の人を凌駕し、有名になることではありません。それは、必要なときに、食べたり、飲んだり、楽しんだりすることができるようにすることです。そして、美しいものに囲まれて、外国に旅行し、心に糧を与え、知性を伸ばすためです。隣人を愛し、人々に親切にし、世界中の人々が真実に目覚める手助けをするためです。

  毎日、その日にできることはすべてすることです。そして、すべてのことを効率的にすることです。どんなに小さなことでも、描いたビジョンを思い出して行動することです。

 

 

 

 

 


自己向上の心構えで仕事をしましょう

2008-02-27 10:11:20 | 生き方

 毎日、自分ができるすべての仕事を完全にやりとげましょう。どんな仕事も、自分の描いた目標に向けてすることです。一つひとつの仕事に豊かになろうという決意と信念をこめましょう。

 しかし、経営者の関心を惹くためにするのではありません。上司があなたの仕事ぶりに感心して、出世させてくれるのではないかと期待しても、そうすることはほとんどあり得ません。よく働き、自分のポジションで満足しているような、単なる善良な労働者であれば、雇い主にとって価値があります。しかし、雇い主や上司はそういう人を昇進させる気はありません。その人を現在の位置につかせておく方が便利だからです。

 雇い主をよろこばせようと思って、自分の仕事以上のことをしてはいけません。あくまでも自己向上のために仕事をするのだという心構えが必要です。仕事を始める前においても、仕事中も、仕事が終わってからも、もっと成長するのだという決意と信念を持ち続けることです。

 

 


あなたが望む仕事に就きたいと願うなら強い決意と信念が必要です

2008-02-26 23:19:42 | 生き方

 あなたが望む仕事に就きたいと願うなら、あなたが出会うすべての人が、あなたの発している強いオーラが感じられるような、強い決意と信念を持つことです。それほど強い決意と信念を持てば、あなたに会った人たちは、その影響を受け、あなたの願いが叶うのではないかという気持ちになるでしょう。そして、いろいろな人があなたのことを魅力な人と感じるようになるでしょう。いましている仕事にこれ以上の可能性がなくなると、やがて、別の仕事に移る機会がやってきます。

 

 

 


人が健康に関心を抱く目的とは何かを考える

2008-02-25 22:21:18 | 生き方

 人は健康に関心を持ち、丈夫で長生きを願って、散歩や体操などの運動をしたり、体に良いものを食べたり、サプリメントを使って不足する栄養素を補給したりします。人が健康に関心を持つのは、丈夫で長生きしたいと望むからでしょう。しかし、なぜ人は長生きを望むのかについて、余り考えない人が多いように思われます。

  長生きについて、若い学生さんに何歳まで生きたいですかと質問すると、ほとんどの学生さんは65歳から80歳と答えます。80歳以上と答えるひとは僅かになります。70歳以上のお年寄りに同じ質問をすると、ここまで生きられたのだからもう少し長生きしたいといいます。ほとんどのお年寄りがもう少し長生きしたいと答えます。何歳になっても長生きしたいと願うのが人間なのかもしれません。

  人は長生きを望んで、体を動かしたり、体に良い食べ物を摂ったり、健康に関心を抱きます。このことは私も例外ではありません。しかし、なぜ人は長生きを望むのかということになりますと、なかなか適切なお答えが返ってこないことが多いです。

  人間が長生きを望むのは、自己の持っている能力を最大限に発揮して、自己向上を図り、完全たらしめることにあるのではないかと思うのです。つまり、人間に与えられた命の目的は自己完成にあるといえましょう。ただ単に、命があるから生きているということではないようです。このように考えるのは間違いなのでしょうか。

 人間に与えられた命が自己完成にあるとすれば、常に自己向上の目的意識をもって、日々を過ごすことではないでしょうか。今日一日精一杯生きられたことに感謝の念を抱くことではないでしょうか。

  

 

 


人間はより多くの楽しいことを求める存在であり、自然の摂理でもあります

2008-02-25 18:26:38 | 生き方

 人間は一つの目標を達成すると、また次の目標を達成しようとする欲求が芽生え、この欲求は止まることがありません。この心の状態がなぜ起こるのか不思議でなりませんでした。

  人間は一つの欲求が達成されると脳内に快楽物質が放出され、より多くの快楽物質を要求するように人間の脳はできていると脳科学の本にありました。それは、人間の脳は本来楽しいことが大好きであり、より多くの快楽を求めようとする機能が備わっているとの指摘でした。

  人間も生き物の仲間なので、種の繁栄にとって必要な作用を起こすように遺伝情報として遺伝子に組み込まれているそうです。つまり、より多くの快楽物質を求めるように脳はできているということです。そして、より多くの楽しいことを求める作用は、生き物である人間に与えられた本源的なもので、自然の摂理でもあります。

  人間がより多くの豊かさを求めるのは、自己繁栄という本源的な機能の働きによるものです。つまり、より多くの豊かさ獲得のために次々と欲求が芽生えるのは当然の摂理なのです。

  何千年にもわたって人間の欲望を抑える教えと修行が行われていますが、人間は本質的に変ることができませんでした。それは、人間に与えられた本源的な機能を否定することだからです。人間の生き物としての自己繁栄の源である欲望をなくすことは、自己を衰退させ、死滅を意味するからです。

 人間は欲望を持った存在であることは自然の摂理で、誰も否定することはできません。しかし、人間の欲望を達成する手段として、他の人の物を奪ったり、嘘をついたり、だましたり、人の嫌がる方法によって達成しようとする競争的方法を使うことは許されません。自然の摂理に反するからです。人間に与えられた創造力を使って達成することのみが許されているのです。

 人間には誰もが豊かになる能力が備わっています。それは、より豊かになりたいという本源的な欲求を持った存在だからです。より豊かになるためには、この作用を如何に発揮し、継続させるかです。