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シンプル ライフ(健康で豊かな生活の実現を目指して)

健康で豊かなシンプルライフを実現するブログ情報

喜怒哀楽は心のありさま

2010-08-28 23:23:07 | 人間社会

 人の心はゆれています。とどまることがありません。ちょっとした心の変化が表情となって表れます。これからのことを考えると希望と不安がつのります。過ぎ去った過去のことを思うと、楽しい思い出やこうすればよかったという悔いが残ることがあると思います。もう少し時間を短くして考えても、自分の考え方と一致していたり、受け入れられたりしたときは嬉しいものです。自分の考えと一致しなかったり、受け入れてもらえないとき、悲しい思いをします。

 心は一瞬たりともとどまらないのです。心は喜怒哀楽を繰り返しています。このゆれる心を抑えようなどとしてはならないと思います。心は常にゆれている、それが自然なのだと考えるほうがよいと思います。

 心をある一点にとどめることは執着心を起こしている現象といえましょう。執着心は不安な心をつくりだします。心を自然の状態に戻すことが不安を解消する方法の1つだと思います。心を常に修正できるようにすることが大事です。他の楽しいことを考えるようにすることです。


便利さは考えることを衰退させる

2010-06-06 04:06:09 | 教育

 最近、特に文章が書けない人が多くなったように思われます。ワープロや電子メール・携帯電話メールの道具の進歩による影響のように思われます。書き始めと段落の書き始めは、1文字空けて書きますが、そのルールを知らない人が多くなっています。フリーライターが書いた文章が沢山インターネットに掲載されていますが、文章作成の基本を知らないライターが多くいます。また、一文を長く書く人が沢山います。その人たちにみられるのが、適切な読点の使い方ができない。そのため、わかりにくい文章となっています。わかりやすい文、わかりやすい表現は、一文を約40字程度で表現することであるといわれています。また、一つの段落には述べたいことを一つ書くほうがわかりやすいのですが、多くの事柄を書くために、何がいいたいのかわからない文章となってしまうようです。

 電子メールの大衆化により、文章表現の領域に絵文字や話し言葉などが使えるようになっています。本来の文章では、絵文字や話し言葉が使えないのですが、そのことがわかっていない学生が多いです。学生の提出されたレポートには、「~なので」、「~だから」、「~と思うのですが?」、「~でしょうか!」などの表現をする人がいます。また、「~です。」調と「~である。」調が混在した文章を書いても間違っていると感じない学生が多くいます。また、ワープロの変換に問題があるのかも知れませんが、「身につける」を「身に付ける」と書く人が多い。インターネットを使ってレポートを書く学生が沢山いますが、インターネット上に掲載されている文章には、信頼性に欠けるものが沢山あります。インターネットにおける個人が書いた文章と、公の機関が公表する文章とでは、信頼性が異なります。しかし、便利さと安易さを追求したことが、信頼性の高い書籍が読まれなくなり、文章が書けなくなった要因のように思われます。正しい判断基準を持ち合わせていない人が多くなってきています。


学問に王道なし

2010-05-16 15:37:17 | 教育

 大学が大衆化してから、特に学生が発する言葉として「難しい」ということが気になります。どこが「難しい」のですかと質問すると、「全部難しい」といいます。学生が発する「難しい」という言葉を考えてみると「自ら調べて、考える」という作業をしていないことが原因のようです。難しい箇所を調べて、考えれば「全部難しい」という返事はないからです。調べてみたがこの箇所の意味がわからないとか、ここはどのように解釈したらよいのかという返事がくるはずです。

 また、学生の言葉として「教えてくれない」という言葉をよく耳にします。この言葉の意味を発する背景を考えてみますと、大学で学ぶという意味を理解していない学生が多くなったからだと思います。大学で学ぶということは、自学自習を基本として、わからないこと、理解できない所は、自ら調べ、考え、解決していくのだという自覚がないからでしょう。調べて考えてみたが、どのように解釈したらよいのかというような質問であれば、解決のヒントを与えてくれない先生はいないはずです。始めからすべてのことを教えてくれという姿勢であれば、教員は教えないはずです。教員は調べて考えることが学生の役割であり、教育であると考えているからです。社会人学生であっても同様の考え方をしている人が多くなっています。

 学問は、決められた一定の水準をクリアーしなければ修めることができないこと、短い時間で修得することは難しいのだと自覚することが大切です。学問に王道はないのです。

 


好きなことを見つけて才能を伸ばそう

2010-04-18 17:39:43 | 生き方

 好きこそものの上手なれ、という格言は本当のことで、人は好きだからこそ辛抱強く、根気よく、物事を一つ一つ階段を追って達成できるのだと思う。それが誤って才能と呼ばれるのかもしれない。誰もが最も好むものを見つけだし、それに思いきり深入りしてみようではないか。

 他の人と同じことをしていれば、浅く生きてしまう。自分のできることを一つ一つすることである。あとは天に任せて待つことだと思う。


仕事は生きがいの対象となるのだろうか

2010-04-10 23:16:19 | 生き方

 人はどのようなときに生きがいを感じるのでしょうか。仕事に対してはどうなのでしょうか。努力をしてその効果が上がり、それを人に認められたとき。自分のしたことが社会に明らかに役立ち、人びとに感謝されたとき。ある社会の中で自己の存在が認められ、それ相応の尊敬を受けたとき。あるいは自分の発明や思いつきが大成功して、充分な収入に恵まれたとき。確かに成功というものも生きがいのうちに入るでしょう。しかし、成功は失敗と裏腹の関係にあります。成功にのみ生きがいを置こうとすれば、失意のうちに生きがいのすべてを失うことにもなりかねません。仕事に生きがいを見出すためには、功不功を度外視して、本当にこれこそがやりがいのある仕事だということを見つけださなければならないと思います。ただし、それを見つけるのはいつの時代においても難しいことです。


過去は忘れることです

2010-03-21 19:15:47 | 生き方

 長い人生を生きていくうちには、いろいろなことがあります。過ちもあるだろうし、人に知られたくないこともあります。また、古傷になっていることもあります。人のそういったものを、いちいち取り上げることをしない方がいいと思います。犯罪はいけませんが、不完全な人間です。試行錯誤しながら生きています。それぞれが反省したり、顔を赤くすることもあるでしょう。そういうことを、掘り返したり、蒸し返したりすれば、誰にとっても、あまり気持ちのいいことではないと思います。お互いに、そういうことにはふれずに生きるのが賢明ではないでしょうか。人のあらを探せば、相手もこちらのあらを探すことになるでしょう。そうすれば、いやなこと、思い出したくないことも、思い出すことになります。夫婦生活では特に過去にふれないことです。


人をとりまく仕組みを考える

2010-03-18 21:19:43 | 人間社会

 現在の日本社会をみると、人間は軽い存在になったようです。人をとりまく社会の管理体制、企業組織、制度や仕組みよりも小さな存在のように思われるからです。人はこれらの仕組みに振り回され、自分を無力と感じ、それらを変えることもできず、支配され命令されるままになっています。このような社会の中にあって多くの日本人は決して居心地のよい世界だとは感じていないと思います。

 人をとりまくそれぞれの仕組みは、本来人間が人間らしく生きるためにつくられたはずです。これらの仕組みの本源的な意味をもう一度考え直して、本来あるべき姿に変えなければならないと思う。人が主役であるという原点に戻るべきであると考えます。主客逆転の現象に対するみなさんのご意見をいただければ幸いです。


派遣社員の期間に思う

2010-03-18 17:51:12 | 生き方

 最近、こんな話をされた派遣社員がおられました。「来週の月曜日で派遣契約が切れます。来週でもうこの職場を離れます。お知らせします。」ということであった。廊下ですれ違うときに話された。本人の表情からは、まだ続けたいというように思われた。以前にも社内メールで突然「今日で退職します」というメールを派遣社員から頂戴したことがあった。そのとき、仕事ができるようになったのに何故退職するのだろうと思った。本人の都合だろうと思い余り気にすることはなかった。しかし、メールのときも「派遣期間が切れるので」という言葉が記されていることを思い出した。

 派遣社員の期間を調べてみるとこのようなことが書かれていた。

「物の製造業務の受入は1年のみでしたが、平成193月より最長3年へ延長されました。それ以上同じ職場で勤務するには派遣先が正社員への登用をする義務がでてきます。そのためその期間で契約満了となるケースが多いのです。あなたがどんなにその仕事や職場を気に入って気の合う仲間ができ、仕事も慣れてスムーズにこなせるようになり、もっと長く勤めたいと思っても契約満了という日が訪れます。これは派遣社員にとっての宿命でもあります。」

  派遣社員がもっと勤めたいとしても続けられない仕組みになっていることがわかりました。派遣依頼元は人件費を抑えたいという目的から派遣社員を使います。そのため正社員への道はほとんどありえないといってもいいでしょう。派遣元がその人をそのまま派遣社員として継続することを希望したとしても、この仕組みがあるため、他の新しい派遣社員を受け入れることになるのです。派遣社員は何時までたっても一定の職業における自己啓発ができないようになっているように思われます。一度その職場を離れたら、同じような仕事に就けるという保証はないからです。この仕組みは、派遣依頼元、派遣社員双方にとって不幸なことだといえましょう。

 

 

 


凡人は凡人に徹することにしよう

2010-03-15 20:20:21 | 生き方

 一般的に人は誰でも才能があると信じて行動をおこしているように思われます。年齢が若ければ若いほどこのように思いがちです。才能のある人は努力をしなくてもいずれ才能を発揮し、世の中で認められるようになります。世の中から認められるような非凡な人の割合はどれくらいいるのでしょうか。客観的なデータを持ち合わせてはいませんが、多分1%もいないのではないかと思われます。 才能のある人でも、世の中から認められるようになる人は僅かであろうと思います。

 世の中の多くの人たちは、そのほとんどが凡人だと思います。本人は才能があると信じて努力を重ね、こんなはずではないといいながら、努力しているひとが多いのではないでしょうか。才能があると信じている限り、苦しみは消えることはありません。世の中のほとんどの人が凡人なのだから、凡人に徹する方がよい結果が得られるのではないでしょうか。少し努力すれば達成できるような目標を描いて実現していくほうが、心に潤いを与えることができるのではないでしょうか。不可能な目標は夢でしかないと思います。日常のちょっとした出来事に感動し、感謝しながら生きていくことが大切ではないかと思います。


真の友を見つけるには

2010-03-13 23:01:28 | 生き方

 真の友を見つけるのはなかなか難しい。自分の本当の気持ちと一致する人はいないからです。始めは気持ちが一致しているのかなと期待しながら話を進めていきますが、少しずつ考え方が異なっていることがわかってきます。人は相手を傷つけたくないという気持から、少々の違いがあっても話しを聞くことができます。内心ではあなたが話していることは間違っていますよ、このような見方もできるのにと、心の奥深いところでささやいてるのですが。徐々に、この人と会って話すのではなかったという気持ちが高まってきます。やはり真の友ではなかったという後悔の念が心の片隅に記憶されてしまうのです。それによって後味の好くない感覚となって残ります。それを避けるには、真の友を外部に求めるのではなく、自分の内部にいるもう一人の自分を真の友と思い、もう一人の自分とコミュニケーションをはかるほうがよいと思います。後悔する気持ちは起こらないからです。