商店街の道のわきで咲いて居ました。
ツワブキの印象は半日陰か 木の下で咲いて居る
そんな感じに思って居ましたがコンクリーとの
隙間で咲いていて 違う花の様に思えました。
ツワブキは 小さな頃プールでトビヒが移って今の様に
抗生物質は無く それよりも薬が有りませんでした。
庭のドクダミを ツワブキの葉で包み蒸し焼き 真っ黒の
どろっとした液を塗られましたが その顔で買い物は
幾ら商売をして居ても 本当に嫌でした。
親が忙しいのも分かって居てうつむいて買い物
それでも人は離れて行きます 今思いだしても
その時の悲しさは忘れて居ません。
でもどくだみの薬効は確かでしたが さすがに今は
痕は分かりませんが長い間有りました。
高原で良く見られます。
大きなフキの様な葉に背丈くらいまで伸びた茎の先に黄色の花を咲かせています。
小振りですが同じ様ですね。
女の子の顔に黒い軟膏を塗っての買い物。
さぞその当時は辛かったでしょう。
昔はみんなそんな時代でした。
胃が痛いといえばゲンノショウコやタカトウグサ。
できものが出来ればドクダミやユキノシタ。
昔はそんなもので良く治したものですね。
男の子ならまだしも女の子は治るまでは大変だった事と思います。
親は見た目じゃなくて治そうと必死だったのでしょうね。
今の時代のように抗生剤があれば別ですが...。
ゲンノショウコは、戦後、煎じたのを、学校で呑まされた記憶があります
回虫の駆除のために呑まされたのでしょうね
ドクダミやユキノシタは、家でも、植木鉢に植えられていたように思います
傷口などにすり込んだりしていたようですね
終戦間なしの頃は、その様な塗り薬はなkったのでしょうか?
幼なかったせいもあり、記憶にはありません
メンソレタームというのがありましたね
思い出もどうも私は1枚の絵になって残って居ると言うか写真のネガの様
こんな覚え方をしてると子供に話したら長男は近い記憶の様でした。
そんな中の家のツワブキは 松の下に ドクダミはトイレの
汲み取り口近く強い草でしたが臭いは好きで有りませんでした。
名鉄今の瀬戸線の横で どういう戦略か沿線に家の柱を切って倒して
軍の仕事でした その空き地で食べ物を作って飢えをしのいだ変な時代でした。
何か懐かしく手荒れや
すり傷にも昔ほどは減りませんが。
ゲンノショウコは腹痛の薬で 今でも漢方薬で使って居ると思います。
ターキーさんとの年齢の違いは劇変の時代では
随分違ったと思います。