三角点は三角形で距離を測量のための基点で、経緯、緯度、標高の基準となるものだそうです。全国で108,500ヵ所くらいあるそうです。
平須町158-21近く
有賀町1488の向かいにある小山の上
水戸一高水郡線側土手の上
川又町513近くにある保存樹タブの根本
三の丸庁舎へ入る道の左手濠の中だそうですがよく分かりません この写真の中にあるのでしょう
景観、人への心理的影響、遮光、環境の改善等々多くの効用がある街路樹ですが、倒木、落ち葉の危険性、点検維持費等の面もあり、今後どのようになっていくのか心配しつつ見守っていくということでしょうか。維持管理のための住民参加なども必要になっていくのでしょう。
モミジバフウ
駅南大通りの、水戸駅南口と元吉田北信号の間(写真)、ハミングロードの、常陽銀行下市支店と県信用組合下市支店の間
ニレ
駅南大通りの、元吉田北信号から南
ソメイヨシノ
県庁の四周
ケヤキ
県道50号線の、県庁前交番信号と米沢町中央信号の間
マツ
市道千波・御茶園線の、好文橋と見和一丁目南信号の間
中国、道教の信仰が日本に伝わり、江戸初期から全国的にひろまっていった庚申信仰によって建てられた碑で、庚申塚、庚申供養塔などといわれます。人の腹中にいるという三尸(さんし)の虫が、60日ごとに来る庚申の日にその人が眠ると、天へ登って天帝にその人の罪悪を告げるとか、命を縮めるとかいわれたそうで、それを防ぐために当日は庚申講を開いて眠らないですごしたそうです。これを3年18回続けた時などに記念して建てたのが庚申塔だそうです。仏教では、青面金剛、神道では猿田彦塞神が守護するということで、それらが碑に刻まれたり、庚申の申が猿なので、「見ざる言わざる聞かざる」の姿が刻まれたりもします。また、猿田彦と習合した塞(さえ)の神信仰と混じり合って、道の分かれ目や村の境界に建てられることもあったそうです。
光台寺の庚申供養塔
上水戸3-1-39 029-221-4856
明和元年(1764)の建立。光台寺の境内にある石仏群中の比較的大きな碑です。
大井神社の庚申塔
水戸市飯富町3475
文政12年(1829)建立です。竜光水の近くにあります。
六地蔵寺の庚申塚
六反田町767 029-269-2211
東入口にあります。文政12年(1829)の建立です。
庚申・二十三夜供養塔
水戸市大場町の県道235号線と並行する旧道沿いにあります
石仏群の中にあり、墓形で、庚申・二十三夜供養塔と併記されており、安政7年(1860)の建立です。
不動院の庚申塔・二十三夜碑
水戸市浜田2
三角の石の二方向に庚申塔と二十三夜の文字が彫られています。
庚申塔
JR赤塚駅東、姫子2丁目の県道177号線線路よりにあります。
大正13年に建てられた比較的新しいものです。「鉄道沿線からの森づくり」という看板が掲げてあります。
白黒の犬椅子と道向かいの白黒の椅子
ワンパーク(水戸市大町3-4-30 029-303-1515)前の歩道と道向かいにあります。道路をまたいで両側にデザインしたのはなかなかよいアイディアのように思いました。
旧県議会議事堂の椅子
県立図書館(三の丸1-5-38 029-228-3583)閲覧室の椅子は旧県議会議事堂を利用したもので、かつては県会議員と傍聴者が坐っていたものだそうです
義公腰掛石
徳川光圀の家臣、鈴木勇山が建てた祐養園(文京2-4、茨大裏)という多分隠居場へ、光圀が訪れたそうです。そのとき光圀が腰掛けたという石には勇山の歌が刻まれています。「埋(うずも)るるこけの下にも仰ぎ見ん 石よりおもき君の御影を」ほかがそれです。勇山という号はこの時もらったものだそうです。
背のばしベンチ
堀原運動場(新原2-1 029-251-8444)にある、後ろに反らせて背を伸ばす運動椅子です。最近こうしたものは各地に設置されているようで、十万原近隣公園、鯉沢緑地でも見かけましたが、堀原のものは水戸では古い方なのでしょう。
イスバス
車椅子バスケットボールのことだそうで、水戸ではスピニング・フープス・レボリューションというグループが活動しているそうです。特殊な車椅子を使用した、相当ハードなスポーツのようです。練習場所は、水戸サン・アビリティース(水戸市見川町2563-705)とホームページにありました。私は'15まちなかフェスティバルで見ました。
どれもそれほど古いものではないようですが、石で築かれた蔵は堂々としていて、静かで確かな風景を形作っているように見えます。
国道50号線 上中妻小信号南側
吉久保酒造㈱(本町3-9-5)
地酒屋 金澤留造酒店(袴塚3-9-8)
伊勢神明社隣(柳河町)
㈲朋友裏手(末広町1-5)