ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の地名の由来(1)

2016-08-16 21:50:36 | 水戸

(写真は東柵町と西柵町 (水戸城下絵図写) 茨城県立歴史館所蔵 画像の無断転載禁止)

泉町(いずみちょう)
慶長の頃開かれた商人町で、始め新町(あらまち)といわれましたが、その後、本新町(もとあらまち)呼ばれました。火事がおおかったことから、享保元年(1716)火に強い水ということで、泉町と改められたそうです。

金町(かねまち)
元は材木商が多かったので木町といわれていたそうですが、火事が多く、元禄9年(1696)に、金は火に強いということで上金町、下金町と町名が改められたそうです。水戸光圀が改名したという説もあるようです。

柵町(さくまち)
二の丸三の丸南の崖下地区と、本丸南の崖下地区との間に柵木戸があり、それからついた名前だそうです。前者が西柵町、後者が東柵町、通りが柵町通りだそうです。柵木戸は上町と下町の境ともされたそうです。

梅香(ばいこう)
佐竹の家臣岡本禅哲は梅香斎と号して梅が好きで、佐竹氏水戸入城後も、この地に住んで梅を植えて楽しんだそうです。それでこの地名が付いたのだそうです。幕末に徳川斉昭は、残っていた老梅に先春梅と名をつけて碑をたてたそうです。

備前町(びぜんまち)
水戸藩初代徳川頼房以来代々家老であった、中山備前守の家臣17名の屋敷があったことことによるそうです。元禄3年(1690)、天王町(牛頭天王が祀られていたそうです)と町名が変更されたそうですが、いつしか元に戻ってしまったそうです。

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