(写真は明治35年の水戸地図)
東京に水道橋がありますが、これは神田川の上に神田上水を通すために木樋をかけたことに由来しているそうです。水戸にも同様なものがあったそうです。寛文3年(1663)に完成した笠原水道にある橋です。
笠原水源地からひかれた地下水道は逆川に沿って北上し、逆川児童公園あたりで東行し、吉田神社の下を通って、目的地、本町へ入って行きました。
本町に入るには備前堀を越さなければなりません。そこで備前堀の銷魂橋(たまげばし)隣に木製の樋がかけられました。明治35年の地図で見ると水道樋という名称でそれがえがかれています。道の地下を通ってきた樋がそのまま堀を渡っており、橋は道からずれてかかっています。この頃まで、木樋は残っていたわけです。
樋には銅板が張られており、幕末には屋根も付けられていて、「懸越銅樋」と呼ばれていたようです。
大正時代の地図を見ても、樋は描かれてはいませんが、橋は道とずれています。今のように橋が道と直線になったのは昭和になってからのようです。