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水戸藩主・徳川斉昭の話あれこれ(2)

2019-03-13 19:50:33 | 水戸

 以下は全部、山川菊栄著の「幕末の水戸藩」にある逸話です。写真は弘道館前にある徳川斉昭像です。

 

 藩主になってすぐの頃、斉昭は青山延于(のぶゆき)らにあてた手紙の中で、妻をめとって暮らすにはどれほどの費用がかかるのかと問い合わせているそうです。兄である前藩主の斉脩(なりのぶ)が、将軍・家斉(いえなり)の娘・峰姫をめとったため、幕府からの給付金は受けたものの、多くの浪費が行われたことから発せられた質問のようです。

 

 その峰姫に会おうと、絹の着物を着ないという、改革の掟のもと、木綿と麻の着付けで出向いたところ、お付きの老女は絹ずくめの将軍家並でなければならぬと、断わったそうです。結局、そこでは掟を通すことができなかったそうです。

 

 結局、斉昭は、公家は貧乏暮らしに慣ているということで、公家出身の妻・吉子を有栖川宮(ありすがわのみや)家から迎えたそうです。尊皇の斉昭は、元旦には、夫人を皇族として遇して、自分たちは臣下として下座に平伏して正月の挨拶を行い、お盃の酒を夫人から受けたそうです。

 

 江戸から水戸への大名行列では、駕籠に乗るのは大きな宿場ばかりで、そのほかは、家来数人と間道を馬に乗って先に行ってしまったそうです。斉昭は領内でも、馬か徒歩で移動したので、顔はよく知られていたそうです。

 

 水戸で鷹狩りをしたとき、餌さしの家に寄った斉昭は、その家の息子が見えない理由を尋ねて、遊女を嫁にしようとしたために勘当したことを聞き、その女性のことを調べて、結婚をよしとして認めさせて、その結果に親も満足したそうです。

水戸藩主・徳川斉昭の話あれこれ(1)


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