大手門裏から
水戸城大手門裏の枡形から見た弘道館です。水戸藩幕末の争乱では、城に攻め込もうとする弘道館を占拠した市川三左衛門ひきいる諸生派(旧守派)と、城を守ろうとする改革派が闘った歴史の場所でもあるようです。
観音堂裏(観音堂 五平町1002)
大きい建物が観音堂の裏側です。そこに小さな弁才天の石祠が見えます。たぶん以前は、弁才天のあるあたりに御手洗池(みたらしいけ)があったのでしょう。写真のお堂裏側中央の出っ張った部分は、本尊を納める場所でしょう。
裡信願寺町(うらしんがんじちょう)石碑写真
水戸では、本通りである町の裏側にある町の名前につける裏の字は、「裡」を使うようです。本町でも、備前堀側の裏通りには、本通りの「一町目」に対して、「裡一町目」といった書き方をしたようです。信願寺町は、サンユー(五軒町3-1-7)のある通りで、裡信願寺町は、うなぎの中川楼(泉町3-5-6)のある通りのようです。かつてはこのあたりに信願寺(現在は緑町1-2-1)があったようです。
鹿島神社本殿向拝彫刻裏(中河内町95)
表側には、獅子?と波が彫られていて、裏側には、波と波の花のような感じの彫刻がはられています。裏側は、本殿に祀られている神様に見てもらうためのものなのでしょう。写真は裏側の彫刻です。
六地蔵寺地蔵堂裏扉
安置された本尊の背後に、写真のような扉が設置されています。徳川光圀ゆかりの境内にあるシダレザクラが、今見頃です。
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