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水戸の見て歩き

水戸の詩歌句碑(4)

2017-06-12 21:06:47 | 水戸

 

太田蜀山人の歌碑(妙雲寺 見川2-103)
  大薩摩その源の大夫との(殿)   水戸から来たる江戸の顔見勢
 大薩摩の三代目が二代目追悼のためにたてたものだそうですが、その地が徳川斉昭によって偕楽園になったので、今の地に移されたそうです。

 

 

祐養園碑・義公腰掛石(茨城大学裏 文京2)
  言の葉もあまりて石におく露の みがける玉は光りつきせじ
 埋(うず)もるるこけの下にも仰ぎ見ん 石よりおもき君の御影を
 徳川光圀が、5千石の家臣・鈴木勇山の隠居所である祐養園をたずねたときに勇山が詠んだ歌だそうです。義公(光圀)腰掛石に彫られています。近くに墓もあります。

 

 

曝井の歌碑(愛宕町)
  三栗(みつくり)の 那賀(那珂)に向へる 曝井(さらしい)の 絶えず通はむ そこに妻もが
  「那賀に向きあっている曝井の水の絶えないように、絶えず那賀に通おうと思う。そこに妻が欲しいものだ。」(日本古典文学大系)ということのようです。常陸国風土記と関係しているらしい高橋虫麻呂の作といわれているそうです。碑は、「常陸万葉の会」の同人が、昭和52年にたてたものだそうです。

 

 

吉田高浪句碑(千波公園せせらぎ広場)
  天広し湖広し一浮葉
  高浪は高野素十の弟子で、碑はその喜寿を祝ってたてられたものだそうです。

 

 

正岡子規句碑(梅香1-6-8)
  この家を鴨ものぞくや千波沼
  子規が訪ねた友人・菊池謙二郎の自宅のあった地にあります。千波湖は千波沼ともいわれたそうです。菊池は晩年、今の農協会館のある地に住んだそうです。

水戸の詩歌句碑(1) (2) (3)

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