ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸に関する言葉の語源(1)

2016-10-20 20:17:34 | 水戸

水戸
 海や川の出入口を水戸とか、江戸とかいったそうで、そこからとられた名前だそうです。かつての那珂川と千波湖の間にある、張り出した陸地部分(今の水戸城のある台地の本丸あたり)が、そういわれていたそうです。そこに建てられたのが水戸神社(今の水戸第一高校庭の地)で、その後、最終的に笠原の水源池に移されたそうです。水戸神社は、水戸という地名を名乗った最古の遺物の一つなのでしょう。江戸氏の支配の頃からもっと広い地域の名称になったのだそうです。(写真では、東二之丸(白い部分)の東隅あたりに池があって、そこに水戸神社があったようです。下の水色部分は昔の千波湖です。水戸市観光協会発行文久元年地図)

 

水戸ホーリーホック 
 ホーリーホックは、タチアオイ(立葵 アオイ科)のことで、水戸の徳川家の家紋からとられたということです。ただ、徳川家の葵紋はフタバアオイ(ウマノスズクサ科)を図案科したもので、タチアオイではないようです。それでも、ホックはアオイ科全般のことをさしているそうですし、ホーリーという語感もよかったので名づけられたのでしょう。ホーリーホックのエンブレムは徳川家の家紋をもとにつくられたようです。(写真はフタバアオイ)

 


 中国で古くは梅の字をムエイというふうに発音していたようですが、これを日本人が、ウメと聞いたことによるそうです。(写真は水戸六梅の一つ、白難波(しろなにわ))

 

好文亭
 中国晋(しん)の武帝の「文(学問)を好めば則(すなわ)ち梅開き、学を廃すれば則ち梅開かず」という文章から、梅の別名を好文木といったので、好文亭の名称ができたということです。(写真は水戸の六梅の一つ、烈公梅)

 

納豆
 納所(なっしょ 寺で布施や年貢などの出納事務を行うところ)の僧の豆という意味のようです。布施や年貢の中に大豆があって、それで納豆がつくられたということなのでしょう。中国では豉(し)といい、奈良時代に日本へ伝来してクキといわれたそうですが、これは塩辛い乾燥したものだったそうです。糸引き納豆を納豆というようになったのは、中世からで、主に関東のようです。(写真は'14に水戸駅南口で行われていた、いばらきの納豆まつり)

コメント
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