(写真は祇園寺にある山田みのるの墓)
山田みのる(やまだ みのる) 東京美術学校(現東京芸大)在学中に文展へ出品しているそうです。東京朝日新聞で、岡本一平らと新聞や雑誌に時事漫画、子ども漫画などを執筆発表したものの、37歳で若くして死去したそうです。 1889-1925
塩澤昌貞(しおざわ まささだ) 栗田寛の塾に学び、東京専門学校(現早稲田大学)英語政治科卒後、アメリカ、ドイツの大学へ。大隈重信に続く早稲田大学第2代総長。国際的な平和運動の団体であった国際連盟協会国際会議の日本代表にもなったそうです。 1870- 1945
郡司次郎正(ぐんじ じろまさ) 村山知義に師事し、俳優から小説家に移り、「侍ニッポン」で大衆文学での地位をきずいたそうです。「侍ニッポン」はいくつも映画化され、主題歌(作詞西條八十)もヒットしたそうです。 1905-1973
檜山良昭(ひやま よしあき) 京大大学院経済学研究科の後、「スターリン暗殺計画」(日本推理作家協会賞受賞)で作家となったそうです。シミュレーションされた戦記物の著作が多いそうです。 1943-