西野了ブログ テキトーでいいんじゃない?

日々浮かんでくる言葉をエッセイにして・・・・・・。小説は「小説を読もう 西野了」で掲載中です。

精神の二義性について

2013-12-30 12:17:46 | Weblog
 村上春樹さんの「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」という本を読んでいる。1997年から2009年までのインタビュー集で面白い。
 昨日ページをパラパラとめくってみると「何かを人に呑み込ませようとするとき、あなたはとびっきり親切にならなければならない」という題のインタビューがあった。その中で「ノルウェイの森」に関するインタビューで興味深い内容があった。「ノルウェイの森」の主人公が2人の女性によって、精神が2つに切り裂かれるということのついて、春樹さんがいろいろ述べている。
 
 
直子と緑という全く正反対の女性に主人公は惹かれ、精神は切り離され、そして激しい矛盾を抱えながら融合していく。内田樹さんも精神的成熟ー大人になるということは正反対のものを心の内に抱えながら、矛盾を持ちながら生きていくということであると述べている。
 

 僕らはある人には激しさを求め、また別の人には穏やかさを求める。ある人の強さに惹かれ、別の人の弱さを守りたいを願う。自分の中に善と悪があり、そのことは自分が激しく病んでいることを認めざるを得ない。僕は病みつつ生きることに苦しみながら時を食む。
 心が常に二義性を抱えるならば、世界は美しく見えるときもあれば、僕と決定的に隔たりよそよそしく映る。
 人を恋すると空は限りなく青く高く澄み切って見え、愛を失うと白々しい蒼に変わる。
 

 僕らは常に奇跡的な邂逅も求め彷徨っているのかもしれない。その邂逅が一瞬であっても、その暖かな記憶があれば、僕たちはこの暴力的な世界を行きぬけることができるのかもしれない。
 
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