西野了ブログ テキトーでいいんじゃない?

日々浮かんでくる言葉をエッセイにして・・・・・・。小説は「小説を読もう 西野了」で掲載中です。

左腰が痛い! だからウォーキング。

2011-03-19 17:47:13 | Weblog
 先日愛用の椅子が金属疲労のため壊れた。そのため代わりの椅子を物色していたが、住んでいる地域が田舎なのでなかなか気に入ったものが見つからない。松山まで探しに行くのも難儀なことだ。
 宇和島のダイキで肘掛背もたれ付きのメッシュチェアー(黒)があり、どうしようか悩んだガ結局買うことに決めた。それは自宅で組み立てるのだが、ダンボール箱が結構かさばる。それほど重くないので車まで台車を使わずに運んだ。どうやらこれがいけなかったらしい。
 
 翌日から左のお尻の上が痛む。寝ているときに寝返りをうつとかなり痛む。私が推測するに、そのあたりの筋を痛めたらしい。まあ年齢によるところもあるが、主な原因は運動不足で身体の柔軟性がないということだろう。日常生活にそれほど支障はないが、左足にも違和感がある。

 娘や妻からメタボなのだから、運動しなさいとことあるごとにいわれ続けてきたが、適当にはぐらかしてきた。しかし今回のような事故? が起こるととこの点を考え直さざるを得ない。しかし急に激しい運動をするということはリスクが高い。

 昨年、一念発起してスポーツジムに通ったが、なまりきっている身体にきついマシントレーニングはダメージを与えるだけである。(3回通ったたけ)やはり基本はウォーキングだ。これなら無理なくできるし、お金もかからないし、自分の都合のよい時間にできる。いいことづくめである! それに、おデブがダイエットに成功したテレビ番組を見ると、食生活の改善とウォーキングは必須科目のようだ。

 ただ私は性格的にのんびりしている影響か、動きがゆっくりなのでそれでは駄目だと妻にダメ出しされている。ウォーキングといってもテレテレ歩くのではなく、歩幅を広くして速く歩かなければ意味がないのだとのこと。それから30分以上は継続して行わなければ効果はないということだ。ウォーキングといってもなかなか奥が深い。

 最近体重が増えて、身体の動きが鈍いと感じていたが、その原因として余分な脂肪がついたことと身体が固くなったことだろうと思う。身体が固くなったのは運動不足のため毛細血管の血流が悪くなったように漠然と感じる。だがそんなに身体を動かなくても1日過ごせてしまう現在日本というのも、ある意味すごいなあとも思う。
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金属疲労で鉄パイプが折れた!ー今日におけるその経済的考察

2011-03-02 10:35:24 | Weblog
 パソコンデスクでキーボードをパタパタ打ち、それが疲れると椅子の背もたれに体重をかけて背伸びをする。それば僕の癖である。
 
 ところが先日、いつものようにその背伸ばしをしていると、背中の感覚が妙なのだ。いつもの安定した手ごたえ(背ごたえ?)がない。そう思っていると「ガギッ」とかいう変な音が聞こえて、背もたれを支えている黒い鉄パイプが折れてしまった。幸い私の第六感が働いたのか、それとも鋭敏な反射神経のおかげなのか、ひっくり返るという無様な醜態をさらすことはなかったが・・・・・・
 なぜ安定した強度を誇る鉄パイプが折れてしまったのか? 僕の体重が若干増えてしまったためなのか。それとも何か不吉な出来事の前兆なのか。否! 原因はその椅子が古いからである。
 
 その椅子は妻が小学生に上がるときに購入した学習机の椅子なのだ。現在の学習机の椅子のように木製でカッコよく丈夫なつくりの物ではない。妻は僕と同い年なので、その椅子は40年以上も前に買ったことになる。さすがに40年以上も人の身体を支え続けると鉄だって疲れてしまう。しかしあの頑丈な鉄パイプが折れるという現場を見てしまうと、アレレッといった感じで少し信じられない気がしたのも事実だ。
 
 しかし話は終わらない。実はこの椅子以外にも鉄パイプの足が4本ある丸椅子も壊れてしまった。座席が丸いビニールでできていて背もたれがなく、補助椅子みたいな安っぽいアレである。これを仕事用の机の椅子として使っていたのだが、あるときどうも不安定な座り心地に気づいた。早速チェックしてみると4本の足の1本が妙な方向にねじれている。さらによく見ていると、その4本の足を固定しているところの部品(これもおそらく鉄)が壊れているではないか! この椅子はさきほどの背もたれ椅子よりもさらに古そうで、半世紀は経っているフンイキである。さすがに半世紀を越えて負荷をかけられ続けると、単純構造の椅子でも壊れるものだなあと妙に感心していしまった。
 
 ところで僕はボールペンのインクを使い切ったりすると異常に喜びを感じる人間なのであるが、今回は相当長い期間頑張ってくれた家具がその役割を果たしたことは感慨もひとしおである。しかしこのように物が壊れるまで使い切ってしまう人間は、(CDラジカセしかりテレビしかり携帯電話しかり)現在の資本主義社会においては有害人物かもしれない。なぜなら背もたれの壊れた椅子を補助椅子として、まだ使っているのだから。これでは経済市場は活発化しないかも?
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