西野了ブログ テキトーでいいんじゃない?

日々浮かんでくる言葉をエッセイにして・・・・・・。小説は「小説を読もう 西野了」で掲載中です。

居間にあるでかい仏壇

2009-12-27 18:32:39 | Weblog
 6畳の居間にでかくて立派な仏壇が鎮座している。僕の家は葬式仏教なので一応仏壇がある。それからもちろん神棚もあるし小さなクリスマスツリーもある。だが僕は無宗教で神様も仏様も幽霊も妖怪も信じていない。それはキリストや仏陀の教えを拒否しているわけではなく、水木しげるの漫画が嫌いでもなく、ただ信じていないのだ。断片的にキリストや仏陀の言っていることに接していると「ふむ、なかなかいいことを言いよるのぉ」と感心したりする。だけど無宗教で無神論者である。
 ではいったいお前は何を信じているのか? と聞かれると少々困ってしまう。人生50年以上生きて今思っていることは、「基本的に何も信じていない」ということである。これが半世紀も生きた人間の到達点だといえば何か寂しいという気もしないではない。「何も信じていない人間」というと、なにか世界に絶望した今にも自殺しそうな人! と言う風に思われるかもしれない。しかし本人はいたって脳天気でヘラヘラ生きている。もっとも小説を書いているときとか、その構想を考えているときは結構シリアスになると自負しているのだけども。
 
 ところで最近の日本社会の風潮として「信じるものがないとダメ!」とか「夢を諦めてはダメ!」とか「自立しないとダメ!」とかやたらポジティブなフレーズが溢れている。だけど本当にそうなのだろうか? 僕が思うには結構いいかげんでダラダラ生きている人が世の中ほとんどではないのか? もちろん仕事とか子育てとか介護とか勉強とか家事を、きちっとやっている人は多いけどそれ以外では適当にやってると思う。人間起きている間中ずっとはそつなくできないし、またいつもいつも前向きな思考というのはかえって怖い。

 さてでかい仏壇の話にもどる。こいつは義母が買ったもので高さが175センチくらいある。もちろん1人では動かせない重さだ。僕は愛媛の山奥に住んでいるので、南海大地震が起きた時は、この仏壇は凶器と化す。そう思うと恐怖だ。それにこれが6畳の間にあると結構スペースをとるし、そして変に威圧的でエラそうに感じる。そのため僕は「なんだ、コノヤロー!(猪木風)」とキレそうになってしまいます。
 このデカ仏壇は数年前購入したので、まだまだほかすわけにはいかない。つくりも頑丈で表面には防腐剤がはいっていそうな黒い塗料が塗ってあるので、すぐには痛まない。(いったい仏壇って、どう痛むのだ?)人が住んでいる環境にあったら、1000年くらいはもってしまうのではないかと心配もする? 仏壇職人の技術恐るべし! である。ほんとでかい仏壇ほど処分に困るものはない。こんなことを書くと信心深い人からひんしゅくを買いそうだが、僕はそういう人間なのだ。
 
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校則という名の静かな暴力

2009-12-20 20:24:54 | Weblog
 2009年12月19日のE新聞の投稿欄を読み、落胆しそして怒りが湧いてきた。Y市の某中学校での話だ。
 その中学は今年からやたら校則が厳しくなった。スポーツバッグの禁止、靴下の丈の規制、前髪のピンの留め方、髪のくくり方などなど・・・・・・。
 日本という国はいったいどんな国だろうと思う。しかし話はこれでは終わらない。投稿した人の子ども(中3)が先天性の赤毛で、学校は黒く染めろと言ってきた。親は自然な髪の毛の色なので認めてほしいと訴えたが、学校は「入試を控えている、高校も同様の校則だ、ほかにも黒く染めてもらった生徒がいる」と認めない。結局諦めて黒く染めたそうだが、先日また「髪が赤みを帯びてきているので、再度染めるように」とのこと。
 開いた口が塞がらないのはこのことだ。学校という場所は子どもや保護者を傷つける異常な空間なのだろうか? 
 
 僕の子どものころも髪の毛が茶色い友だちはいた。天然パーマの子もいた。そのことについてうるさくいう教師はいなかった。高校時代にはあきらかにパーマをかけている奴もいた。(校則違反だ)公立高校だったが、教師たちはもちろん知っていた。だけど彼らにとってそんなことは大した問題ではなかった。大人が物事を相対的にとらえることができれば、子どもも相対化することを学んでいく。(人生とは物事を相対化する過程ともいえる)

 おそらく今の学校では「人は見た目で判断してはいけない」とは教えていないのだろう。「他人と違っていては、世間から掃いて捨てられる」と教えているのだろう。そして1人ひとりを大切にして個性を尊重した教育を実践しているのだ!

 以前、校門に挟まれて高校生が圧死した事件があった。
 僕はこの新聞の投稿記事を読んで、そのことを思い出した。なぜだろう? 

 この投稿記事を読んで感じたことは、管理教育のいき過ぎではなく、暴力の匂いなのだ。校則を守るという大義名分をもとに、陰湿で理不尽な暴力が密かに行われている。このような行為がどれほど人間を傷つけているのか、すでに教師たちはわからなくなってしまったのだろうか? それともそんなことを考える余裕もないほど、彼らは疲れきっているのだろうか? 暴力の味は蜜の味なのだろうか? 

 不登校児は減ることはないだろう。通信制高校に通っている生徒は全国で19万人を超えた。当たり前だと思う。まともだと感じる。この国の学校教育はすでに機能不全に陥って久しい。
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「家電製品は消耗品か?」

2009-12-12 22:06:06 | Weblog
 以前、古ぼけたCDラジカセとファックスの調子が悪いけど、愛用していることを書いた。今回はその続きである。
 
 最近、電子レンジと冷蔵庫を買い換えた。予想外の出費だ。どうして買い換えたかというと音がうるさいからだ。電子レンジと冷蔵庫の音がうるさい? 疑問に思う人もいるかと思うが実際そうなのである。電子レンジのスイッチを入れると「ビビビビー!」「ガガガガー!」と鳴り出す。食品はちゃんと温まるのだが、ボン! と爆発するのではと危惧してしまう。冷蔵庫も冷蔵のモーターの何がしかの部品が壊れたのか「ブブブブー!」とやたらうるさい。そのうちボッ! と出火してしまうのではないかと怖くなったので仕方なく買え換えた。電子レンジは何年使ったかわからないが相当古い。何しろターンテーブルではないのだ。冷蔵庫は13年使っていた。

 新婚当時買ったステレオセットは日立のLo-Dというやつだが、これもかなりぼろぼろになっている。カセットテープデッキは録音もできず(録音しようとするとギギギギー! と凄い音がする。家電製品は古くなると異音を発するのだ!)かろうじて再生ができる状態。レコードプレーヤーは処分したし、ラジオチューナーは僻地の盆地のためFMすらまともに受信できない。(これは地理的な問題だが)CDプレーヤーはなぜかSONY製で、こいつもまれに再生中にスキップする。相性の悪いCDがあるらしい? まあしかし25年以上使っていれば、こうなるのは仕方がないのかという気もする。

 東芝のテレビももちろん痛んでいる。こいつはヘッドホンを入れる端子が傷ついているのか、通常の状態では音が出ない。だから仕方がなく釘を端子に差し込んで、輪ゴムを引っ掛けて、向かって左側に釘を引っ張ると部品の接触がよくなるのか音が出る。ほとんど力技である。もちろん薄型テレビではない。

 そのほかにもドライヤーのコードが熱くなって買い換えたり、電気ストーブのボタンを押してもスイッチが入らず、コンセントを差し込むとスイッチが入るのでやむなく処分したりと壊れるまで使うのだ。家電商品ではないが愛車のニッサンSRVも10年以上乗っている。SRVはエンジンがタフで足回りもまったく問題がないので、メンテナンスさえしっかりやれば半永久的に走り続けるのではないかと思っていしまう。こうやって書いていくうちに気づいたのだが、僕はあまり物欲がないのだろう。こんな人間は資本主義社会では害虫のような存在だろうなあ・・・・・・

 
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タクシードライバーの「ボヘミアン・ラプソディ」

2009-12-03 13:54:05 | Weblog
 気がつくとイタリアン・レストランの店内にいた。白いテーブルの前に座っている。ちょうど茹で上がったパスタがテーブルに置かれたところだ。しかしその瞬間、店内は暗闇に包まれた。店内に流れていたバロック音楽も聴こえなくなった。
「火事だ!」
 どこからともなく、その声は聞こえた。
 私は慌てて出口を捜す。だが闇に包まれた空間は迷路のようで、自分が今どこにいて、出口がどこにあるのかまったくわからない。暗闇の中いくつもの黒い影がうろうろと彷徨っている。
 しかし、火事だと聞こえたが火の手はいっこうに確認できないし煙の嫌な匂いもない。あるのはただ暗闇だけだ。その暗闇もまったくの暗闇ではなく、どこからか明かりが漏れているようで人が動く姿が確認できる。
 私は壁伝いに歩いていると突然駐輪場に出た。スラックスのポケットには自転車のキーと自動車のキーが入っている。私の家からこのレストランまでは相当な距離だ。自転車で来るのならば2時間以上かかってしまう。しかし目の前には確かに私の自転車がある。3年前健康のためにと妻がプレゼントしていくれた、緑色の車体だ。休日には妻とときどきサイクリングにでかけたりするのだ。けれども今の私は疲れていた。体が泥のように重い。
 私は自転車を利用することを諦めて駐車場に向かった。そこには私の愛車スバルR2が待っているはずだ。しかしその前を黒いスーツを着た背の高い男が立ちはだかった。髪の毛は短く、サングラスをかけているがその視線の鋭さは隠しようがない。鼻は異様に高く唇は薄い。(私はこの男を知っている!)私は本能的に体を強張らせた。
「あなた、疲れているようだから、私のタクシーでお帰りなさい」
 男は有無を言わせぬ口調で私を国道に停めてある黒いリムジンまで引き連れていった。
 予想したよりも車内は狭い印象だった。しかし目の前にはウイスキーのビンと氷が入った安物のグラスがあった。ウイスキーはサントリーレッドだった。
「家に帰るには1時間以上かかるので、音楽でもかけましょう」と運転席の男は言うとスピーカーからクイーンが流れてきた。私はこんな雰囲気の中、フレディ・マーキュリーのボーカルを聴きたくなかった。ブライアン・メイの電子工学的なギターも聴きたくなかった。この状況では無理な注文だが、チャット・ベーカーのトランペットが聞きたかった。いや50歩譲って彼のボーカルでもよかった。もちろん、そんなことは言うことができなかった。
 リムジンは音もなく夜の街を滑るように走っていく。私は落ち着かなく窓から外の景色を眺める。いつもの通勤途中に見る景色だ。
「ご安心を、あなたが帰るべきところまで、ちゃんと送り届けてさしあげますよ」
 男は抑揚のない声で言った。
「私はちゃん礼節をわきまえている人間ですからねえ」
 男は薄笑いを浮かべて楽しそうに言った。
 私はその瞬間、この男とどこで会ったのか思い出した。5年前妻と旅行をしたときに空港でひろったタクシーの運転手だ。私の人生の中でこれほど粗暴で無神経で悪意を感じる運転はなかった。家に着いたとき妻をぐったりとして吐き気さえもようしていた。
 私は怒りに震え「君の会社を訴えてやる!」と叫んだが、男は薄ら笑いを浮かべ「旅行の最後にいいスリルだったろ。チップもなしかよ、ケッ!」と捨て台詞を吐いて去っていった。
「君はあのときの、ドライバー?」
「あなたのおかげで、私は職を失いましたからねぇ」男はなぜか楽しそうに答えた。嘘だ!
私はあのとき妻の介抱で、男のことなどどうでもよかったし、実際に苦情なども男のタクシー会社に言っていない。
「私はタクシードライバーが天職でした」男はタバコを取り出し火をつけ、深々と煙を吸い込んだ。
「天職を失うと人間、哀れなもんです」男の吐き出したタバコの煙がなぜか私の座席まで流れてきた。
 クイーンが「ボヘミアン・ラプソディ」を演奏し始めた。
「そろそろ時間のようですな」男はハンドルを大きく右に切った。突然あたりは暗闇に包まれた。今度の暗闇は100パーセントの闇だった。リムジンのハイビームも一瞬で暗黒に吸い込まれている。間違いない。この男は断崖絶壁をめがけて私としのタイブを敢行しようとしているのだ。見かけよりも手抜きのリムジンを使って。
 いつしか山道に入りリムジンの上下動が激しくなった。エンジンの回転音も上がっていく。男はよだれを垂らしながら「どうです。最高のスリルでしょう? 今回はチップいりませんよ。あははははーっ」と狂ったように叫んでいる。崖の先まではあと僅かだ。
「・・・・・・あなた」小さく僕を呼ぶ声が聞こえた。
 死へのダイブまであと5メートル。
「あなた! あなた!」
「パパ!」
 黒いリムジンが宙を舞った。体が浮遊する感覚がした。
「あなた!」「パパ!」
 目を開けると、白い蛍光灯の光がやけに眩しかった。僕の目に前には涙を浮かべた妻と安堵した娘の顔、それに微笑んでいる若い女性看護師の姿があった。
「意識が回復したので、とりあえずひと安心ですな」
 僕の枕元に立っていた眼鏡をかけた医師が妻と娘にそう告げた。  
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