西野了ブログ テキトーでいいんじゃない?

日々浮かんでくる言葉をエッセイにして・・・・・・。小説は「小説を読もう 西野了」で掲載中です。

書評 「麻薬脱出」 軍司貞則著

2007-03-24 18:25:59 | Weblog
書評「麻薬脱出」 軍司貞則著 小学館 2001.3.20初版

 副題に「250万人依存者の生と死の闘い」とあるが、薬物依存者がこれほど多いとは正直知らなかった。薬物依存者の問題については、夜回り先生こと水谷修氏が著作や講演でその重大さを訴えているが、社会的認知は低い。
 薬物依存といえば覚せい剤・シンナーなどを思い浮かべるが、市販の頭痛薬を一気に100錠飲んだりする依存者もいることも、この本で知った。
 この本は、薬物依存者の赤裸々なルポであるが、想像を絶する凄まじさだ。薬物を手に入れるために、彼らは人間関係も資産も仕事も、これまで築き上げたものを全て崩壊させる。薬物を使用することのみが、唯一の価値となり、それを手に入れるためには、平気で嘘をつき金を騙し取り、家族や友人に迷惑をかけようがおかまいなしだ。一般常識というものが、吹き飛んでしまう。
 薬物依存は病気であり、病気であるならば当然それに対応する治療も必要となる。治療のための民間施設として、「ダルク」といものが徐々に設立されている。このダルクを立ち上げたのが近藤恒夫氏だが、彼も覚せい剤の中毒者だった。
 近藤氏の話によると、「薬物依存者のうち、刑務所に約2万人、精神病院に千五百人、全国のダルクに150人しか入っていない」「ダルクを開設して15年、約3万人が門をくぐり、回復した人は3割、1割は死亡、3割は行方不明、残りは精神病院か刑務所」という、なんともすごい数字である。この数字自体、数年前だが、薬物依存者に対する施策が画期的に変わったという話はきかないので、現状もそれほど変わっていないと予想される。
 格差社会と呼ばれ、日本の社会の底辺で苦しんでいる人が増大しているが、その中でも薬物依存者は最も忘れられた存在ではないのか?
 自身もアルコール依存者で近藤氏を救済したロイ神父は、僕らにメッセージを送っている。「神様、私にお与え下さい。自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを、変えられるものは、変えてゆく勇気を。そして、二つのものを見分ける賢さを」と。
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妻と猫

2007-03-22 09:44:52 | Weblog
「妻と猫」 5.x.x

我が家では以前、猫を飼っていた。雑種のオス猫で、マルと名づけられた。
マルは次女に拾われてきたのだが、なぜ拾われたかというと、愛想がよく、人懐っこかったからだ。体型は、足は短く、腹が出ている。飼い始めの頃はスマートだったのだが、虫下しの薬を飲んで、お腹に虫がいなくなってから、ブクブク太りだした。

マルは愛想もいいが、性格も悪くなく、甘えっ子でもあった。しかし、猫社会は弱肉強食。性格はよくても、身体能力に劣るマルは、縄張り争いではボコボコにやられて帰ってくる。頭半分が禿げかかったり、ひげを抜かれたり、お腹は擦り傷で血がにじんだりと哀れなものである。

彼は台所の勝手口が自分にとって玄関だと思っていたらしく、そこから台所を横切って、人間の玄関?を越え、コンクリート敷きの駐車場の一角にある自分の食事場所へ戻ってくる。(我が家は昔、雑貨屋をやっていて玄関前のスペースが広いのだ)そして、キャットフードを食べ終わると、デザートをねだりに台所へ来るのだが、妻は「汚い!」と毛嫌いするのであった。

ぼくの住んでいるところは四国の山の中なので、マルの体には雑草の種のようものがくっついていたりする。畑でゴロゴロ寝転がったりもするだろう。妻はそれを汚いと言うのである。

たしかにマルに引っかかれた長女が、その雑菌が原因でリンパ節炎になり外科通い、運も悪かった。(医者の所見ではおそらくそうではないか?ということだったが、妻はそう信じていた)

妻がマルを家に入れてよいのは、風呂場でマルをシャンプーで丸洗いした後だけである。けれどもマルは、普通の猫なので、体がきれいになって数時間後には外に行ってしまうのだ。

猫という動物は、外に出て遊んだり、獲物をとったり、腹が減ったら家に帰ってゴロゴロする生き物だと思うのだけども、なぜか妻はそれが許せないらしい。
日本社会はやたら「きれい好き」だけど、度が過ぎるというか、猫にとってみれば、いい迷惑のような気もする。マルはそんな家の風潮に嫌気がさしたのか、ある日ぷいといなくなってしまった。あれ以来、帰ってきていない。僕と次女は残念がってはいるけれど。
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僕は悪者?

2007-03-16 08:08:46 | Weblog
「僕は悪者?」 5.3.15

 街を歩いているとスーツを着たおじさんがやってきて
「君の仕事は何?」と訊いてきた。
「町工場で機械の部品をつくっている」と答えると、おじさんは首を振り
「そんな仕事、いつ潰れるかわからない!今からは、資格をとって、いい会社に転職しなきゃあ!」と言って、カタログと名刺を置いていった。
 家で本を読んでいると、化粧ばっちり決めたおばさんがやってきて
「お客様は、今どのような金融商品を持っていらっしゃいます?」と訊いてきた。
「郵便貯金だけしている」と答えると、おばさんは驚いたようで
「今からは投資ですよ!投資!若い人はチャレンジしなきゃどうするんです」と言って、カタログと名刺を置いていった。
 喫茶店で友だちとコーヒーを飲んでいると、友だちが
「彼女とどこまでいった?」と訊いてきた。
「今度の日曜日、彼女と動物園でデートするのだ。彼女のつくった鳥のカラアゲはおいしいんだ」と答えると、友だちは軽べつのまなざしで
「お前は小学生か!この本を読んだら、すぐ彼女を落とせるぞ」と言って、カラフルな本を置いて行った。
 僕は今の仕事が嫌いではないし、お金にもそんなに困っていない。
 彼女はおとなしいけれど、とてもやさしくて、2人で歩いているだけで、とっても幸せな気持ちになる。
 いったい、僕は何か悪いことでもしているのだろうか?
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2月は不調・そしてドクターハラスメントについて

2007-03-03 14:22:35 | Weblog
 毎年2月になると、体調が悪くなる。これまでは寒さが原因かと思っていたが、今年は暖冬なのに、悲惨であった。
 まず、結膜炎、次にアレルギー性鼻炎、それから外耳炎、そして風邪である。医者曰く「首から上がぼろぼろですなぁ」と面白がっていた・・・・
 医者によっては、患者の気持ちを考えずに、傷つくことをよく言う。いわゆる、ドクターハラスメントである。
 僕も小さいとき「鼻が曲がっている、鼻づまりは一生治らん」と言われ、相当ショックを受けたことがある。確かに今も鼻は悪いが、あまりと言えばおまりの言葉である。だいたい、鼻がまっすぐ通っている人間がどのくらいいるのか!といいたい。人間と言うのは特権的な地位にあると、言葉に対して無神経になるということかもしれないが。
 
 
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