西野了ブログ テキトーでいいんじゃない?

日々浮かんでくる言葉をエッセイにして・・・・・・。小説は「小説を読もう 西野了」で掲載中です。

2009年8月 総選挙が終わって感じたこと

2009-08-31 23:20:17 | Weblog
 政権交代がヒステリックに叫ばれた今回の総選挙だが、結果は予想通り民主党の圧勝に終わった。

 本日、酒屋の友人と話したのだが、「小選挙区制というのは、ある意味怖い。まさにドミノ倒しだね」という彼の言葉に同感である。僕の選挙区では有力候補者が3人いたので、当選者の得票率は39.5%、つまり60パーセント以上が死票だ。他の選挙区でも当選者の得票が50パーセントを超えているところは少ないだろうし、こんなに死票が出る選挙制度はいかがなものだろう? 現時点で小選挙区の選択肢はほとんど民主党か自民党しかないように思う。(自民党は今後どうなるかわからないが・・・・・・)他の政党は比例代表でかろうじて生き残っている状態だ。このような状態だとなんだか選択肢がすごく狭まって、僕としては生理的に不快である、というかちょっと恐怖を感じる。たしかに現在の選挙制度だと自分の投票した政党が与党になる確率が高くて、国政に参加した感触もある。だけども僕は2大政党が交互に政権を担うというあり方はあまり好きではない。かえって政治が硬直化するような気がするのだ。
(もっとも今の自民党だと以前の中選挙区でも政権交代がありえたのではと思ってしまう)
 アメリカ公民権運動の指導者、キング牧師の言葉だったと記憶しているが、「少数者を守ることが、結果として多数者を守る(このような趣旨の言葉です、文言はたぶん違うと思う)」ということは真実だと思う。第二次世界大戦のナチスや日本の軍国主義の状況は、まさにこの言葉の反面教師ではないのか。
 僕としては現在の小選挙区なんか廃止して中選挙区と比例代表にした方が、民意をより反映すると思うけど、どうだろうか?

 もうひとつ、今回の選挙で驚き怒り呆れたことがあった。それは20歳になっても遠隔地に暮らしていて住民票を移していないと選挙権がないということだ。僕の子供は学生でいま21歳で実家から遠いところで暮らしている。住民票のある場所に生活していない人は選挙の案内も来なければ、選挙人名簿にも載っていない。投票したければ住民票を移せということだ。このことは最高裁の判例にもあるとエラそうに選挙管理委員会はのたまうのだ! 僕としては学生の数年間くらい実家に住民票を置いて、どこが悪い! といいたい。役所は変なところには気を使って住民感情を理解しないのだ。20歳になれば選挙権が保障されているし、ややこしいことを言わずに、住民票のあるところで選挙の投票をさせろ! 投票に行くか行かないかは個人の判断だろ、プンスカ! とおじさんは怒っている。このことを地元の某新聞社に問い合わせたら、こいつもエラそーに選管と同じことを、さも知ったかぶりに話すのだ。新聞記者が行政と同じことを得意そうに喋るな! お前は役所の広報か? 忠犬ハチ公か? と言いたくなったが余計疲れてしまいそうでやめました。しかし、こうして書いていて思うのは、僕が怒っているのは子どもに選挙権がないことよりも、実は対応した人間が官僚的で横柄な口調だったからかもしれない? (それも男!)もし相手が若い女の子で、申し訳なさそうになおかつ丁寧に話してくれれば、「はい、わかりました」と案外素直に納得したかもしれない・・・・・・うーん?
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32年ぶりの同窓会でわかったこと

2009-08-26 23:29:51 | Weblog

 高校3年のときのクラスの同窓会に出席した。といっても学年単位の同窓会なので、他のクラスの人間も混じり、結構な人数だった。
 僕は実に32年ぶり、つまり高校卒業以来の級友との再会となる。同窓会は時々開催されていたようだったが、僕には連絡がこなかった。それは何故か? 嫌われているとか問題があるとかではなく、単純に住所がわからなかったからだ。京都から愛媛に転居しただけだが、行方不明者になってしまった・・・・・・今回は幹事を務めてくれた人たちが頑張ってくれ、僕のクラス約40人のうち、連絡がとれなかった人は1人だけだった。

 実は今回の同窓会は何故か非常に緊張した。案内をもらって参加しますと返事を出した時点から、妙に緊張したのである。50歳になった自分がどう見えるのか、また同級生はどう変わったのか、そんな心配もあった。しかしその緊張感の一番の理由は、おそらく人生の一番多感な時期にともに過ごした人たちとどう接すればよいか、わからなかったということだと思う。
 しかしそれは杞憂に終わった、嬉しいことに。中学、高校と同級生だった友達と話していくうちに、様々な記憶がよみがえってきた。とくに中学3年のときのクラスの雰囲気がリアルな感覚で思い出すことができたのだ。そう、当時僕たちは仲がよかった。今では信じられないかもしれないが、クラス全体がなんとなく仲がよかった。もちろんいろんないざこざや男女間でのややこしい? 感情のもつれもあった。でも全体的には親密だった。
 
 なぜだろう? 僕たちが少年だったときもおそらく今の少年たちとそれほど変わらないはずだ。繊細で傲慢で孤独を求め暖かなつながりを求めていた。たぶん35年前の15歳の世界は今よりもシンプルだったのだろう。当時、僕たち男子は丸坊主で、女の子たちは野暮ったいセーラー服を着ていた。僕たちは未来を漠然としか考えておらず、窮屈な校則にあまり文句も言わず、それでも1日1日が自分の手の中にあった。

 記憶はふだんは眠っていて、日常の生活に影響していないと思っていた。僕が何とか生き延びてこられたのは、家族があり友人がいて、愛する音楽や小説があるからだと思っていた。もちろんそれはそうだけども、様々な記憶が僕を生きさせているということも今ようやく理解しつつある。(僕は相変わらず愚かで無知だ)いったい僕たちはどれほどの記憶を持っているのだろう・・・・・・
 中学3年の同級生と話していると、35年前の教室の情景が浮かんでくる。季節は秋で、窓からは弱い日差しが差し込んでいる。風はない。放課後、誰かの机のまわりに4、5人が群がってたわいもない話をしている。おそらく大した話ではないはずだ。だけど男子は変に意地をはったり、女子はうるさく笑ったりしている。確かに僕たちはその場所にいたし、そして今までずっと歩いてきたのだ。

 記憶というものは無意識のうちにかなり変えられるらしい。僕たちが共有している記憶は35年という時間の影響なのか、悪くないものばかりのように思えてくる。

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