西野了ブログ テキトーでいいんじゃない?

日々浮かんでくる言葉をエッセイにして・・・・・・。小説は「小説を読もう 西野了」で掲載中です。

人間の身体の相対性について

2015-05-30 18:35:56 | Weblog
 僕は今夜勤専門員?というか、日付をまたいで仕事をしている。するとどういった変化が身体い現れたかというと「曜日」の感覚がなくなってしまった。これは土日も働くときがあるということもあるが、やはり一日の区切りがつかずに働いていることが大きい。以前も日曜出勤の仕事をしていたときがあったが、曜日に感覚はしっかりあった。今は日に何度も曜日を確認しないとわからない有様だ。

 もっとも一週間も明治から日本はとりいれられたと何かの本で読んだ。西欧の方でユダヤ教かキリスト教の安息日の関係で7日単位になったと記憶しているが・・・・・・

 しかし世間一般は一週間単位で動いているみたいだけど、僕みたいな変則シフトで仕事をしている人も日本では意外と多いのではないだろうか? 介護関係、タクシーの運転手さん、水商売の人達、消防警察などの緊急出動が必要な仕事、あと夜間の学校とかコンビニもそうだ。福祉施設で生活している利用者の人の支援をしている職員や放送、新聞、あと夜間に走るトラックの運ちゃん、飛行機もそうだし、芸能人なんかも夜の仕事が多い?・・・・・・思いつくとたくさんある。

 以前は朝から夕方まで働いていたけど、夜型になると見える世界も違ってくる。たとえば日中見るマンションと夜見るマンションでは違う建物みたいだ。夜に見るマンションは要塞みたいで、その中にはいろんな生物が住んでいるー妖しも含めて・・・・・・そんな印象を最近持っているのだ。

 おひさまの当たる仕事が人間は適してしるみたいなことが言われるけど、昼型、夜型というのは遺伝子レベルで決まっているのでは最近読んだ本に書いてあった。確か「睡眠のはなし」という本だ。

 人間が安心して眠れるようになったのはここ1、2世紀くらいで自然の驚異に晒されず、防犯組織ー(警察ですね)がしっかりしてからだそうだ。それまでは人間にとって夜ー闇の世界は危険な時間帯で安心して眠れなかった。そう考えれば夜に起きることも人間の潜在的な能力と言えるのかもしれない。
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夜の松山、城山公園はいとおかし

2015-05-28 12:28:40 | Weblog
 最近夜型の生活を強いられているので、深夜の過ごし方をいろいろ考えている。以前だったらお酒を飲みに出歩くことも選択枝のひとつにあったのだが、近頃は一人で飲みに行っても面白くない。
 
 日中、城山公園をチャリンコでよく通るのだが、この広い空間はなかなか気持ちがよい。大きな道路は土の道で「ジャリジャリ」とチャリンコの車輪が鳴らしている。大体が草っぱらなので歩いてもいい感じなのである。

 それで真夜中近くに城山公園に散歩に出かけた。距離的にも丁度いいのだ。
 
 こんな真夜中でも若者のサークルと思しき人達が何やら歌っている。よく聴いてみると「キャンプだ、ホイ!」である。うーん、どうやらキャンプのレクリエーションの練習をしているようだ。結構声も響くが、空間が広いので全く気にはならない。

 適当なベンチに座ってボーッと過ごす。時折ジョギングをしている人やチャリンコでお勤め帰りの人なんかが目の前を通る。僕みたいにベンチに座って時を過ごしている人もいるようだが、あまりハッキリとは見えない。

 晴れているので半月が見えるが、輪郭がぼやけている。星も数える程しか見えない。鬼北町の澄んだ夜空とは違う。

 こうやって夜中にぶらっと出かけて、気に入った場所でボーッを過ごしことが当たり前だと思っているが、ふと考えると世界にはこんなことが自由にできない国や地域も結構ある。日本のあべちゃんがそんなところへアメリカと一緒に行ってちょかいを出したいみたいだ。(もちろんあべちゃん本人は現場には行かないけど・・・・・・僕も年齢的に行くことがないだろうけど)嫌だなあーと思う。こうした自由は無くしたら、とても貴重なものだったのだと後から痛切に感じるだろうなぁ。

 夜中の散歩は運動不足解消と夜食をしないためだけど、果たして上手くいくのだろうか?
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最近、鉛筆が好きです。

2015-05-12 22:18:16 | Weblog
 最近よく鉛筆を使う。
 鉛筆という筆記用具も知らない間に増えているのである。これはボールペンやシャーペンと同じ法則が働いている。
 以前はボールペン派だったが、最近は鉛筆派に転向してしまった。
 その理由は、書き直せるからである。鉛筆には消しゴムという強い味方がいるのだ。ちょっと間違えても消しゴムでゴシゴシとすれば気持ちよく字は消えてくれる。その点ボールペンは書き間違えると、そこんトコロを二本線を引っ張って訂正したりする。いかにも「間違えました!」と言っているようで格好悪い。
 
 
 ところで何故シャーペンではないのか? と疑問に思った方をおられるであろう。シャーペンは芯がいつもとんがっているし、消しゴムも付いているものもある、しかもフックで機能性抜群である。確かにシャーペンは私が小学生のときは大人気であった。
 しかし人生も分水嶺を超えてしまうと、やはり鉛筆なのである。日本人は「コメ! 畳! 鉛筆!」なのだ。(もっとも私の住んでいるマンションには畳部屋はありません・・・・・・)

 
 やはり鉛筆の木のは肌触りは何物にも代え難いものがある。私の一番のお気に入りはTONBO「木物語」だ。六角形で茶色の木目デザインがシンプルで秀逸! しかも消しゴム付き。TONBOはMONOという4B鉛筆もある。そしてUNIも忘れてはいけない。子供の頃UNIを使うと「おお! 金持ち!」といった目で見られていた。最初にUNIを使ったとき紙面をツルツルと滑る感触に感動してしまった。
 そのほかにはキャラクターものもあるが、こういったものは書くときの触感がよろしくない。ザラっと何か引っかかる感じがするのである。

 
 もうひとつ鉛筆の素晴らしいところは、使い続けるとちびてしまうということだ。いずれは愛用の鉛筆とお別れしなければいけない。芯が丸まって字が太くなると鉛筆削りでゴリゴリゴリと削る。この鉛筆削りも手動が望ましい。電動のやつは思ったより削れてしまい、あっという間に寿命が尽きてしまう。
 
 
 それから芯がとんがるとキャップをつけねばいけない。このキャップもいろいろバリエーションがあって楽しい。キャップは鉛筆のお尻の方に付けると、何だかちょっと得したような気分になる。

 
 鉛筆を使うだけで、消しゴム、鉛筆削り、キャップ、それから筆箱と経済効果抜群なのだ。

 
 だけどデジタル化の時代だし、タブレット端末はこれからますます生活のいろんな領域に入ってくる。私だってパソコンで文章を書いているし、それは仕方のないことです。でもいい鉛筆は本当に使いやすいし、いいものだなあとしみじみ思う。
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絶対盗まれない僕の自転車

2015-05-02 12:38:15 | Weblog
 僕の自転車はいわゆるママチャリだ。宇治市に住んでいたころ、商店街の歳末大売出しの抽選で当たったのだ。ボディは赤である。30年ものっている。ペダルを踏むとキーコーキーコーいうので、自転車屋さにに行って鳴らないように修理を頼んだ。しかし僕の自転車はチェーンを回すところがボディですべて覆われているために、キーコーキーコー言う部分にオイルをさせないので無理! とのこと。「じゃあどうしたらいいのですか?」と訊くと「そのまま乗ってね」とのこと。だからこの自転車に乗っているとキーコーキーコーうるさいので、前方を歩いている人は結構この自転車に気づいてくれる。

 それからブレーキをかけると「ギギギギー」とまたうるさいのだ。これはちゃんと油を注せば治ると思われるが、めんどくさいので、やってない。怠慢である。

 そして前のカゴが錆て茶色になり、なおかつ歪んでいる。「その不細工なカゴをなおしたら」と言われるが、ちゃんとモノは入るしカゴとしての役割は果たしている。そしてこのブサイクなカゴがあるために盗難をまぬがれているひとつの原因ともなっていると僕は推測する。

 この自転車の鍵は昔ながらのもので、スポークの間に小さな鉄板が差し込むやつである。自転車泥棒が本気になれば、すくこの鍵をバラすことはできる。しかし僕の自転車は盗まれない。なぜかな?
 
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