いいね~おいしいね~

食べたり買って良かったもの等を実体験に基づき厳選紹介!ぜひご利用頂きより良い人生や日本経済等活性化につながれば幸いです♪

「カネ遣いという教養(藤原敬之)」という本はとてもオススメ!

2014年11月21日 01時00分00秒 | 
カネ遣いという教養 (新潮新書)
藤原 敬之
新潮社


 「カネ遣いという教養」という本は、ファンド・マネージャーとして億単位の収入を得ていた著者が、ありとあらゆるモノに狐が憑くように買ってしまったその歴史や内容、その経験から得られた本質や教訓などを分かりやすく説明したものです。

 お金の本質だけでなく、真面目な内容も多く、とても参考になりましたね。

特に以下についてはナルホドと思いました。

・カネは遣わなければ入ってこない
・学校教育で望ましい結果を得るには本人の思いの強さが一番必要
・人間には後天的に3つ子の魂と、10歳前後の段階で何を経験するかが大きな影響を与える
・カネをムダにしたくなかったら自己啓発・ノウハウには手を出さないこと
・本は見つけた時に買うこと
・神奈川県立近代美術館の葉山館がオススメ
・料理は温度である
・嫌な気分を変えるのにも床屋は最適な場所
・健康のためには主治医を持つこと
・死んだ後、人間は無になるだけ
・カネを稼いで初めて社会とのインターフェースは開かれる
・カネの管理を妻に任せたら、主体的に二人の生活を妻は考える
・上司には盆暮れの挨拶として上司の奥さんや家族が喜びそうな品を送ること
・友とは割り勘で誘うこと
・空間の中に置かれたモノとの関係を快適にするのにもっとも効果的なものは照明器具
・仕事用の椅子はジオ・ポンティがデザインした”スーパーレッジェーラ”で、世界でもっとも軽い椅子とされる
・良い靴を履くと自信が持て、足元がちゃんとしているので安心感が生まれる

「カネ遣いという教養」という本はとてもオススメです!

以下はこの本のポイント等です。

・価値の多様性を産業や経済の中に認めない、横並びでの成長は脆弱さをはらんでいました。だから成長の果てにバブルを起こし、それが崩壊した後、今もなお世界の歴史に例のないほどの長さで低迷を続けているのです。財界人達が教養を必要としなくなったことで作られた浅薄な企業・産業構造、経済構造が主因です。
 カネは経済が生み出すものです。
 経済は人間が生み出すものです。
 人間は価値を生み出すものです。
そこに人間の価値があります。カネは人間が価値を生み出す重要な道具です。カネ遣いを教養に繋げること。そんな日本を取り戻すこと。それが出来たらどれほど素晴らしい国になるか・・・。総論は以上です。

・私は特異な教育経験をしています。高校受験に失敗し、極めて珍しい中学浪人をしたのです。そして、当時灘高や鹿児島ラ・サールに毎年何十人も合格させる入江塾という伝説のスパルタ塾に通います。中学浪人され、塾への破格の授業料支払い。親の経済的負担は大きく、資力があってこそ実現できるものでした。塾での勉強量は半端なものではありませんでした。人生であれほど集中力を持続させて勉強したのは後にも先にも経験がありません。お陰で私は翌年、志望校に合格したばかりか、高校の3年間を殆ど遊んだままで一橋大学法学部に入学できました。塾の一年で大学進学に必要なレベルの英語と数学を習得し終えていたからです。

・人間には後天的に自我を形成する重要なタイミングがあると思います。最初は物心がつく段階(「3つ子の魂100まで」という言葉があります)、次に論理的にものを考え始める10歳前後の段階、そんな時期に何を経験するかが自我のありかたに大きな影響を与えてしまうようです。二人にとって家庭環境の急変は大変な経験です。10歳前後で人生に絶望を感じた訳です。ある著述家はそんな状況を「成り下がり」と名付けていました。「成り下がり」の子供は決心します。人生への復讐を、です。「将来、自分が社長になって、またあの生活を取り戻して見せる」それが二人の強烈な自我となって、常人では考えられない努力を重ねていきます。「社長になる」という目標を明確に掲げ、「そのために今、何をなすべきか?」を逆算で考え次々と行動に移していったのです。その結果、二人とも若くしてビジネスの世界で成功者となることができました。

・自己啓発・ノウハウ。カネを無駄にしたくなかったら、この手のことを標榜するものには手を出さないことです。本当の自己教育、自己啓発は、古今東西の名著とされるもの、歴史書、哲学書、小説を出来る限りたくさん読むこと。名作とされる映画を数多く観ることで可能だと思います。それ以外にはないでしょう。本物の成功者たちはおそらく同じことを言うと確信します。

・本へのカネ遣いで大事なのは、見つけた時に買う、ということです。「面白そうだけど、今は必要ないか・・・」「読んでみたいけど、ちょっと高いなぁ」そんな時こそ買うことです。本は生モノです。眼の前に現れた時が一番新鮮で美味しい。そのときに必ず買うことです。そして、積ん読で良いのです。

・今、大のお気に入りは神奈川県立近代美術館の葉山館です。仕事で煮詰まるとクルマを飛ばして出かけます。相模湾に面し、絵のような富士山が眺められる海岸沿いの高立地に設えられたそこは、展示品だけでなく空間と環境を愉しむためにカネを遣う場所です。木場の東京都現代美術館もすごく良い。展示スペースの広さでは海外の美術館にも引けを取りません。

・JRの鶯谷駅で降りて寛永寺を右に見ながら歩き、国立博物館まで行くのがお気に入りのルートです。年間パスポートを買ってあります。特別展が6回鑑賞でき常設展はいつでも自由に入れて4千円ですから安いものです。

・最高の材料を使っても神経が通っていないと散々な結果になります。料理は人が創るものです。フレンチの中でも懐石のようにちょこちょこ少量ずつ出すスタイルでは料理人から給仕、ソムリエまでが最初から最後まで神経を通わせていないと料理は台無しになります。ほんの少し料理を出すタイミングがずれるだけで酷いアンサンブルになってしまうのです。料理が温度であることにそこでは気づかされます。

・町屋の「ときわ食堂」に開店と同時の午前11時に入り、1皿280円のハムカツで熱燗をやる。その幸福感はどんなものにも代え難いです。お店の人たちが皆緊張していて気持ちが良い。ハムカツに通っている神経も尋常なものではない。わずか50円の味噌汁の深い味わいにも驚愕します。酒肴を味わいながら見回す壁一杯に張られた膨大な数のメニューは、精一杯働いた人たちへのご褒美に思えてきます。ブリューゲルが描く「農民の婚宴」の中に自分がいるように思える。周りも飲み食いしながら幸せに満ちているからです。私はその店には原稿を書き上げた時に行くようんしています。働く喜びを食べながら素直に感じられるからです。

・他人に髪や肌を触され、鋭利な刃物で自分の身体の一部が落とされ削がれていく。非常に無防備な状態になるわけです。だから人は床屋で心底リラックスするのでしょう。そして、嫌な気分を変えるのにも床屋は最適の場所です。床屋が人生の中で実に重要な場所だと分かります。ずっとそう思って床屋にはカネを遣ってきました。30歳で最初の結婚をしましたが、結婚式の前日に銀座の「米倉」に行きました。理髪店として老舗中の老舗です。当時は並木通りの朝日ビル地下にありました。各界の大物、それも裏から表までの様々な人間を常連にしています。まずそこは、贅沢な空間でした。55坪の広さに個室を合わせて10席、高い天井、壁は大理石張りの店内には大きな鏡が設えられ、座り心地の良いゆったりとした椅子に座るとこれ以上なく白く清潔な木綿のクロスを掛けられます。あらゆる手順に無駄がありません。それこそが快適さを生み出す基本中の基本なのだと言われているようで髪に入るハサミのリズムの良さはリラックスを誘うように出来ています。シャンプーからはじゃこうの匂いが立ち昇り、洗髪の手際の良さから頭だけではなく身体中の汚れが落ちていくような気がしました。シェービングもそれまで経験して来たものとは根本から違っていました。人の顔の皮膚を知り尽くしての施術というものです。クリームで誤魔化したりせず、シャボンが丁寧に泡立てられ、それをブラシでたっぷりとつけてから蒸しタオルをあて暫くして拭う、それが繰り返されてから顔が剃刀であたられるのです。一人当たり、なんと20本のタオルが使用されるのです。お手軽に何かをするのではない、本当の目的のために必要なことをやっているのが分かります。それこそが贅沢であると知ります。なるほど、普通の床屋の軽く3倍はする値段はこいうことかと合点がいきまs。

・「米倉」の場所は移り、今は銀座ファイブの中に入っています。担当してくれるOさんは十代から修業を重ねた「米倉」随一の腕の持ち主で、彼の顧客名簿だけで紳士録が出来ます。Oさんと話していると過去の日本の政財界、スポーツ界、芸能界、芸術会、裏社会まで、日本が元気だった時代が生き生きと蘇って来ます。Oさんは銀座のコンシェルジュとして最高の人で、様々なお店の情報を教えて貰えます。銀座という街の奥深さを教えて貰えるのも老舗理髪店ならではの特典です。床屋へのカネ遣いは無限のインターフェースを私に開いてくれました。私が物書きになったのも米倉人脈によります。私の後半生は床屋の存在を抜きに語れません。

・ただ健康のために走るとか身体を動かすなどはしていません。面倒くさがりですから。サプリメントを摂ることとカロリーのコントロールで体重を一定内に収めることだけは続けています。健康に関して大事なことは、主治医を持つことだと思います。信頼できる医師に継続的にかかっておくことです。

・孤独死は本当に悪い死に方でしょうか?人は死ぬ時は一人です。心中でもしない限り、一緒に死んでくれる者はいません。病院での長患いの後に亡くなるのと、生活の場で倒れて亡くなるのとどちらが良いかは明白だと思います。家族に見守られて亡くなりたいと思われる方が大半でしょうが、私は孤独死を望んでいます。究極の自分勝手でしょうが、本音です。死んだ後、人間は無になるだけだと思っています。臨死体験の本も随分読みました。死後の世界があればあったで楽しいと思いますが、基本は死ねばそこで無になってしまうと思って生きています。

・人間は自分でカネを稼いで初めて色んなことが見えてきます。世間とは何か?世間と自分の関係はどのようなものか?今の自分の力とはどのようなものか?それらはアルバイトをしてみたり、就職して給料を貰って初めて見えてくるものです。カネを稼いで初めて社会とのインターフェースは開かれるということです。稼いだ額は数字で表されます。数字によって嫌でも自分が相対化されるわけです。社会化されるともいえるでしょう。その年齢は早ければ早いほど良いのかもしれません。逆にそれが遅れるケース、あるいは社会化された後で親から経済的援助を受けるケースは、元首相を見るまでもなく、決して良い結果を招かないのではないかと思います。なぜか?それは社会化を否定することになるからです。相対化が薄れ、誤った認識を社会に持ってしまう。では、相続はどうすべきか。暴言妄言をまたやりますが、相続税は100%であっても良いと思っています。親から子への資産の譲渡はゼロにする。相続をめぐる様々な確執はそれでなくなり、社会の機会均等化は図られます。結果の平等は大嫌いですが、機会の平等は絶対的に必要なものだと思っています。親は自分たちのためにすべてのカネを生きている間に遣い切ってしまうべきです。そして、財産を残す場合は社会的貢献団体に全て寄付するよう遺言をしておく。

・子供から親へのカネ遣いが生じる方が健全なのだということです。カネは遣った方が勝ちで、遣わせた方が負けです。親子の関係で子が親にカネを遣うとは、ある意味で親を超えたことを意味します。そう受け取れる社会こそ前向きな社会でしょう。あと、兄弟姉妹の間で金銭貸借を持たないことも重要だと思います。カネの貸し借りは100%良い結果をもたらしません。どうしても必要な場合は「貸す」ではなく「あげる」ことだと思います。返ってくることをあてにすることを初めから考えない。最初から「これは、あげる」と言い切ってしまうこと。そして、「これっきりで、もう絶対にできないし、しない」と付け加えることも必要だと思います。友人との場合も同じです。

・二度の離婚に至った結婚生活ではカネの主導権は自分が持ち、妻はそれに従うという形だったのです。それでは本質的に囲われているのと同じではないか?いや、それは考え過ぎだと思います。思いますが、妻はそんな風に感じていたのではないか?カネ遣いには支配という感覚が必ず付いて回ります。遣う方が勝ちであるという感覚です。それには裏表がある。もし全てのカネの管理を妻に任せていたら、妻はカネを任されている、夫から全幅の信頼を得ていると思い、主体的に二人の生活を考えたのではないかと思うのです。カネを任されることで夫婦としての全生活のインターフェースを自分が開いていくという責任感が生まれ、夫婦としての生活にもっと生き甲斐を感じられたのではないか と思います。後悔は先に立ちません。もし、次に結婚することがあればそれを実行しいようと思っています。でも、もう結婚はしないでしょうが。

・直属の上司には、盆暮れの「挨拶」として、上司の奥さんや家族が喜びそうな品を送ることです。まず送ってみること、それで、「今回は受け取っておくが、もうしなくていい」と言われたら「ありがとう」の意味です。これからも継続したほうが良いのです。本当に受け取らない人の場合には必ず送り返されます。その時は、「お手数をお掛けして申し訳ございませんでした」と手紙を書いて、それ以降はしなくて良いのです。大事なのはその話は会社では絶対にせずに葉書や手紙でお礼のやりとりがされるということです。日本のサラリーマン社会の大半はそうやって成り立っています。逆に、上司となったら、部下を食事に誘ったりした場合には部下に一銭も出させてはいけません。ハッキリ言ってそうでないと馬鹿にされます。飲み会は指導の場として有効な場合があります。そんな時に勘定は上司としての自分が全部持つのでなければ意味はありません。

・ビジネスで経験を積んでいくと「この人とはずっと付き合いたいな」と思わせる人が必ず現れてくるものです。そういう人との付き合いでは、カネ遣いは友との関係と同じです。ですから、「割り勘で飲みませんか?」と誘っていくことです。「これは!」と思った人はそれで必ず付き合ってくれものです。そういう関係の人間を見つけ、そういう関係にできることが、ビジネス世界でことをなす上で重要だと思います。

・モノとの出会いの最初に来るのが照明器具とは意外に思われるかもしれません。しかし、照明器具ほどあらゆるモノの為に大事なものはないのです。モノは空間の中にあります。自分たちが日常暮らす空間の中にモノは置かれています。そして、その空間の中に自分もいるわけです。空間の中に置かれたモノとの関係を快適にするんい最も効果的なものが照明器具です。

・私は仕事用の椅子はジオ・ポンティがデザインした”スーパーレッジェーラ”を使っています。「世界で最も軽い椅子」とされるこの椅子のシンプルなフォルムはイタリアの修道院の食堂に置かれているような雰囲気があります。座り心地が良く、何時間パソコンに向かっていても疲れません。斜め右手には”ジグザグ”が置いてあります。アイデアに詰まるとそちらに座って、”スーパーレッジェーラ”を眺めます。座ってみても何かにインターフェースを開いてくれる存在、それが私にとっての良い椅子です。椅子から思考が生まれ、小説が生まれ、詩が生まれます。我々が生きる限り避けられない空間という存在を気分の良いものにしてくれる椅子。カネ遣いという意味で絶対に後悔しないもののひとつが良い椅子へのカネ遣いです。

・ジョンロブの数もかなり増えた頃、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」を見て靴職人の山口千尋氏を知ります。その番組の翌日、たまたま通りかかった場所に彼の靴を扱う店があったのです。これも何かの縁だと思い、ビスポークを作ることにしました。自分の足型を取ってもらって木型を作り、それを基に自分だけの靴ができあがるのです。値段は1足20万円のドゴールの3倍です。半年近く掛かって完成した靴を履いた時の感触は、それまで感じたことのないものでした。靴、モノ、道具という観念を超えるものだったのです。履き物や乗り物ではなく、自分自身の一部。足に吸いついてくるなどの比喩が必要でないくらい足と一体化しています。モノ作りを突き詰めること、それにカネを遣うことで知る新たな世界。カネ遣いで見えてくる世界に果てはありません。

<目次>
まえがき カネは二度の離婚で全て失った
第1章 吾はなぜかくもカネを遣うようになりしか
 機嫌良く生きるため
 父親への援助から発見した「法則」
 インターフェースの獲得
 カネ遣いに狂った相場師
 王様狂って文化が残る
 ビル・ゲイツのカネ遣いは面白味がない
 カネは遣わなければ入ってこない
 爽やかなカネ遣い
 自腹の重要性
 かつて愛した人に遣ったカネの意味
 大概の愛はカネで買える
 ゴルフが財界人の教養を損なった
 カネ遣いを教養に繋げよ
第2章 体験にはカネを惜しまない
 親の資力で中学浪人
 同じ親でも正反対に育つ子供たち
 「ポルシェのチューンアップ車ですか?」
 本当の自己教育にカネを遣う
 本は生モノ
 全集を買う
 CD5千枚
 映画は「ながら」ができないので・・・
 パッケージ・ソフトの功罪
 東京国立博物館の年間パスポート
 食ったものは墓場まで持って行ける
 280円のハムカツのうまさ
 銀座の床屋は何が違うのか
 主治医を持つこと
 法然院に墓を持ちたい
 相続税は100%でいい
 おカネに愛を込めるのは難しい
 上司と部下にはカネを遣え
 友人とビジネス相手は対等に
 恋愛関係では男が全部もつ
第3章 モノにもカネを惜しまない
 モノを通してヒトを見る
 衝動買いで知る心の奥底
 狐が憑いた時
 照明器具で世界は変わる!
 1LDKのアパートでも城主の気分に
 社会人3年目に手に入れた33万円の椅子
 コノイド・チェア、コルビュジエ
 ルーシー・リーの器
 箸置きひとつが20万円!
 ピーター・ブレークの絵画
 三沢厚彦の彫刻
 博古堂の鎌倉彫
 バカラと薩摩切子
 離婚に疲れ、お茶に向かう
 茶は想像へのインターフェース
 文房具はサラリーマンの刀である
 高級車1台分を伊東屋に
 靴が与えてくれる自信と余裕
 某百貨店時計部の餌食に・・・
 服をタンスの肥やしにするなかれ
 鞄はシーンと服に合わせて
 天皇の眼鏡
 いつかは満足のいく家に住みたい
 クルマと死への誘惑
 オーディオへの狐憑き
 オーディオからライカへ
第4章 カネ持ちほどカネを惜しむ
 本当のカネ持ちは猜疑心の塊
 他人の財布を平気で覗ける人たち
 外資系金融機関のカネ遣い
あとがき 削いでいくことへの憧れ

面白かった本まとめ(2014年上半期)

<今日の独り言> 
Twitterをご覧ください!フォローをよろしくお願いします。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする