淡日のある日夏について、私見ながら記してみました。
ご興味ありましたら、ご一読くださいますよう…(いつもながら長くてすんません)
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日夏について、思い知る限りで大きくまとめてみますと、
この地もまさしく懸命に生き抜き、命や心、それらのこもった万(よろず)を育み、伝えようとした、
またし続けてきた場であったと思います。
山、岩、川、沼、湖とが、暮らしと近くあり、縄文時代の遺物や遺跡があります。
道を作り、水を治め、集落が出来、農、漁、商、工、寺社、学舎、自治、戦、一揆、焼き討ち、和平、祈りなどが
重なりを深めた場として、今日に至っています。
各々について
山:青龍山(磐座、霊泉)、伊吹山、霊仙、湖東三山、金亀山(現在の彦根城のあるところ)、
金亀観音(=水)、荒神山(日夏村の山、日の神)
川:犬上川(大蛇が淵、水神)、犬上氏みたすき(遣唐使)、鮎
宇曽川(アイヌ語で岬、運送の意)、漁港、依知秦氏、秦荘、水利、農耕、麻織の技術、近江商人が北海道まで往復
湧水:ほとんどの家に井戸、ほぼ自噴、鯉、水車(米つき)
沼、湖:漁労
縄文遺物:丸木舟20艘以上、琴(松原内湖)、木柱列、最古の土偶、土面
道:巡礼街道(金亀観音へ)→朝鮮通信使街道(日朝和平、江戸へ)、
日夏街道(日夏の村長・大橋利 左エ門が巡礼街道/朝鮮人街道と中仙道をつなごうと尽力)
日夏村は、江戸時代以前は荒神山のふもとにあった。
荒神山は古代から火/日の神様として信仰の対象となっていた。
弥生土器や古墳やヘビ岩もあり、行基が三宝荒神を勧進して、奥山寺としたとある。湖東全域を中心に多くが参拝した。
豊かな自然と古代からの信仰の重なり、渡来の技などをもとに、農、水運、工(麻、蚊帳、畳、木地、仏壇など)、商が育つ。
寺を中心に村民が学び、力をつけたがゆえに、折々の権力者から抑えられることとなる。
織田の焼き討ち、井伊からの分割移村など。
しかし、維新の時も、時代に先駆けて学校を作り、村会議事堂(村役場)・産業会館の設計を、アメリカ人建築家・ヴォーリズに依頼する。
民権運動、北米への移民、山道の整備活用などの動きがあり、織物工場や商店街が発展するなどの活気があった。
このような村の歴史の中に、大橋利左エ門のような、村づくりへの献身的な行いがあった。
日夏村からは多くの移民があり、北米とのつながりが強かったことから、
戦前には村会議員の選挙違反容疑による逮捕劇があったが、戦後には日米講和条約の碑が建てられた。
その他のキーワードとして…
●唐崎神社の春祭りの大太鼓渡御
●大橋利左エ門の行い:洪水対策、荒れた荒神山を豊かな山に戻す、道を造るなど、一人で動き始める、民権活動
●日夏里館(ヴォーリズ館)をめぐる行い:個人が村史を思い、買取り修復、住民活動の場へ
●日夏里エコークラブ:「懐かしいわが町、ふるさと五感体験」アンケートに基づくふるさと絵図作成を始める~県立大がそれを受けて協力
●滋賀県立大:周辺の村での地域おこし、古民家宅老所&バー、多様性、人間文化と科学を目指す
●茗荷村、田村一二:福祉施設の造形活動から村づくりへ
●妙好人伝、江州治郎エ門(堀尾さんのカタログに山本さんのテキストあり) など