よろず淡日

淡海の日夏で 今どきよろずや
古道具と駄菓子、地域のものなど

「可能性の光」 その8

2013-10-26 | そこここ展(アトリエひこ)

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 近江(淡海)は、自分の通ってきた流れの元にある場であり、暮らしと自然が近い。山、川、湖が、街へ、海へと続き、自然の循環が端的に存る。縄文の時代から実に多様なものが流入し、厚い土壌を形成している。福祉の分野においても、近江学園から茗荷村へと献身的につなげていった人々、そしてそこで生まれた豊かな造形がある。自分には、施設や村を作る力などないし、道具屋をやりきる厳しさもない、何かに特化せずにいろいろとゆるやかに地域、人と、今までの流れ、その時々に即して自然体で行けたらいい。厚い土壌を丁寧に見、それに即せば根も芽も生まれると信じる。

 とても楽観は出来ないが、震災以降、本来性に向かおうとする胎動は、各々の心に、無数の場に芽生えてきているようにみえる。道具も、美術も、福祉も、教育も、科学技術も、労働も。アニメ、ゆるキャラ、アイドルなどなど・・・。万のもの、人がそんな流れの中に存り、力を湛えてはいるように思えます。

 大層な文章になってしまったが、私自身は未熟そのもの、たいしたことは出来そうにありません。今さら駆け引きも勝ち負けもしている余裕もない。だから人が勝手に集まって、よいつながりが生まれていくようなところであれば申し分ない。気楽に立ち寄れ、面白味があり、自分も生きてくる。自分が持ち合わせているものそのままで、輝きをもってくる、それが拡がりを持つ。そんなよろず屋があったらよいと思うだけだ。これまでの、そして今の有り難き流れと出会いを受けて、それらに一瞬々々生かされてやっていけたらと願う。

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最後までお付き合い下さって、

ほんとうにありがとうございました。

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「可能性の光」 その7

2013-10-26 | そこここ展(アトリエひこ)

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 道具やアトリエひこに限らず、実に様々な出会いを受けて今、自分はある。昭和三十五年に生まれ、育った大阪の街は、戦後の名残りから経済成長という流れが集積するエネルギーに溢れていた。子どもには、あらゆるものが新鮮で驚きの日々だった。路地裏、ヒーロー、新商品。それに年に2,3回訪れていた両親の里、彦根のはずれのよろず屋。藁葺き屋根、井戸、竈、五右衛門風呂、立派な仏壇と祖父の読経、ニワトリ、農業。その暮らしぶりに、幼いながら深いものを感じた。これらもずっと宝探しだったのかもしれません。

 そんな下地の上に十歳頃に出会った仏像にも、強い影響を受けた。興福寺宝物館の大きな陳列ケースの中に、無著、世親が並んで少し高めに立っていた。これは何だ!とてつもない。高校を出たら仏師になろうとして反対され、ならばその思いを整理しようと社会福祉を学んだ。大学では、魅力のある人、力のある人、誠実な人に会う。己の幹の細さを痛感し、皆が進む福祉の現場に心から入りきれないまま、人物の彫刻へと進んだ。学童保育をしたり、道具にはまったり、現代美術での幸いなる出会いもあったり、勤めは注文家具作りをして二十数年になるが、ずっとものと暮らしの間を右往左往しながらきたように思う。

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「可能性の光」 その6

2013-10-26 | そこここ展(アトリエひこ)

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心ある道具や造形物には、そうした心が宿っていることを感じさせてくれます。アトリエひこと出会えたのも、そういった流れの中でだと思えます。

 アトリエひこは、戦後まもなく起こった福祉施設での造形活動の功労者の一人である西垣籌一(ちゅういち)氏の励ましを受け、始まりました。十八年続く活動の中で、その関わり方は柔軟に内省され、心休まる場となって存在していると思われます。そして私の彫刻の師、山本恪二(かくじ)も係わったところでした。大阪という厳しく雑多な街中で、慎ましく大切なことを育んでいきたいという心が感じられ、作品に正直にそれが現れているのを見ると、勇気づけられる。しかし障がいを背負いながら懸命に生きんとする命は、歴史の中ではどう扱われてきたのだろうか。隠され、打ち捨てられてきたのではないか。

 彼らの生み出す作品には、人間が目を瞑ってきた大切なものが存る。社会が分業化、専門化し、人間の感覚が断片的、間接的に鈍くなり、生きるということと全てが分離して充足感が無く、お金の仕組みに縛られて、行き詰まりを感じてきているなか、その本質はここに残されている。それは「アート」という狭い領域を既に飛び越えている。生きることそのものと、造形、その他全てがひとつの姿になっているように思える。不安と喜び、苦も楽もひとつとなって、ただ生き抜く原点がそこにある。親子、スタッフの育ち合いの広がりの見事さ、ケアする者、される者という関係を超えた生かし合いの豊かさがある。私自身、アトリエひことの関わりの中で、理屈ではなくこれからの暮らしぶりの指針、可能性の光を見せてもらえたように思う。これこそがお宝である。

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「可能性の光」 その5

2013-10-26 | そこここ展(アトリエひこ)

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 しかしその財産には、もうひとつの側面もある。“発展”に伴う人工的な非自然、“犠牲”が常にあったということ。縄文人、蝦夷、アイヌ、琉球、沖縄、東北、賎民、朝鮮、戦災、原爆、公害、田舎、自然、震災、原発、子ども、未来・・・。これらの多大なる犠牲の上に歴史を作り、祀っては手をあわせてきた。財産とその犠牲。今、これをひとつに。そこから学ぶことは、対立軸からは対立の悪循環しか生まれないという認識を強く持つことだと思います。大きなひとつの循環に即し、そのつながりこそを尊重する美意識を据え直す。見方、目線ひとつで、少しづつでも現実は変わっていくのではないでしょうか。成長、発展を豊かなこととして犠牲の山を築き、そしてまた復興成長経済。成長、発展という志向のまま、どこへ行こうというのか。そこに順応している者、ついて行けずに病んでいる者。対処療法、悪循環の拡大。病んでいるのは誰か。この分かたれた両側面の経験を積み尽くした者が、今こそ掲げ示せるものがあるのではないでしょうか。

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「可能性の光」 その4

2013-10-26 | そこここ展(アトリエひこ)

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 モノとは、人の存りかたそのものでした。モノノケ、など魂という意味もあるのでしょう。作品というモノもそのように大きく捉えていったほうがよいように思う。日本人は長きに渡りそれらの見方を育んできた。

 日本の風土が培ってきたものは、果たす役割をますます大きくしているように感じます。山川草木変化に富み、多様な自然に恵まれ、大陸からも大海からも、あらゆるものや考えが流れつく先としての場、内と外との折り合いをつけることで生きてきたと思う。狩猟採取と農耕、自然崇拝と仏教。人間の抱え込んだ大きな矛盾のそれぞれを根絶やしにするのではなく、生かし合う方向で折り合いをつける知恵を紡いできた。ふたつのものに通ずるひとつを見て取り、大きな循環に即し、そのつながり、八百万を尊ぶという感覚の蓄積は大切な財産であり、これからの可能性だと思えます。

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