ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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文科省案への対案(やる気のある人達のやり方)

2006年11月17日 | マ行
 2002年度からの学習指導要領で「学ぶ内容が3割削減」されることに反対する声が高まっています。その人達が「理科教育カリキュラムを考える会」を作ったそうです。(2001年)01月31日の朝日新聞のコラム「理科離れを探る」で紹介されていました。

 それによると、その会の人達は、数年後に「実際に授業で使えるカリキュラム案を、しかも複数の案をまとめる」ことが目標だそうです。そして、それをまとめるために、まず、優れた理科教育の授業法や実践例をインターネット上でデータベース化するそうです。

この人達のやり方は極めて正しいやり方だと思います。まず第1に、文部科学省の案に反対するだけでなく、それに対する対案を出そうとする態度が正しいと思います。日本は民主主義国であり、我々国民は自由に提案できるのです。逆に、対案も出さないで反対だけしているうちは世の中はよくならないと思います。

 第2に、その対案をまとめる方法として、「優れた理科教育の授業法や実践例をインターネット上でデータベース化する」というのに大いに賛成です。前回も書きましたように、現在どのような授業が行われているか、その中の優れた経験を学ぶことなしに、頭から「これまでの教育は詰め込みだったから」などと決めつけて、「だからこれからは3割削減だ」「生きる力だ」などという文部科学省のやり方は全然科学的でないと思います。

 第3に、そういう努力を「理科教育カリキュラムを考える会」という形で組織している点が正しいと思います。文部科学省が教育審議会とかいう組織でやってくることに対抗するにはこちらも組織で対抗しなければならないと思います。逆に言うと、総理大臣の「私的」諮問機関の「中間報告」や「最終報告」に反対だといって声明とやらを出しているだけの野党のやり方は真剣なものとは認められません。本当にやる気があるなら、自分も「教育改革市民会議」を
作って対抗しなければならないと思います。

 この「理科教育カリキュラムを考える会」の活動を注意深く見守っていきたいと思います。


第23号への読者の意見 (2001年02月11日発行)
                        S・K

>2002年度からの学習指導要領で「学ぶ内容が3割削減」されることに反対する声が高まっています。

──応援ありがとうございます。

>その人達が「理科教育カリキュラムを考える会」を作ったそうです。1月31日の朝日新聞のコラム「理科離れを探る」で紹介されていました。

──本当は参加するつもりだったのに参加できなかったので様子をお知らせできないのが残念です。

> それによると、その会の人達は、数年後に「実際に授業で使えるカリキュラム案を、しかも複数の案をまとめる」ことが目標だそうです。そして、それをまとめるために、まず、優れた理科教育の授業法や実践例をインターネット上でデータベース化するそうです。

──実は、滝川氏以外のグループでもそういう話が出されてネット上で議論されています。

> この人達のやり方は極めて正しいやり方だと思います。まず第1に、文部科学省の案に反対するだけでなく、それに対する対案を出そうとする態度が正しいと思います。日本は民主主義国であり、我々国民は自由に提案できるのです。逆に、対案も出さないで反対だけしている
うちは世の中はよくならないと思います。

──この場合の対案とは、カリキュラム案なのでしょうか? たとえ複数であろうと同じ土俵で考えるのがほんとによいのかとこの冬なかまと議論しました。

> 第2に、その対案をまとめる方法として、「優れた理科教育の授業法や実践例をインターネット上でデータベース化する」というのに大いに賛成です。

 前回も書きましたように、現在どのような授業が行われているか、その中の優れた経験を学ぶことなしに、頭から「これまでの教育は詰め込みだったから」などと決めつけて、「だからこれからは3割削減だ」「生きる力だ」などという文部科学省のやり方は全然科学的でないと思います。

──私は科学教育研究協議会の会員ですが、そこでは 「これまでの教育は詰め込みだった」のか。そうしようという流れに良心的な勢力が反対して教育実践してきたから辛うじてここまでで踏みとどまっているのだ。と主張する者が多くいます。

> 第3に、そういう努力を「理科教育カリキュラムを考える会」という形で組織している点が正しいと思います。文部科学省が教育審議会とかいう組織でやってくることに対抗するにはこちらも組織で対抗しなければならないと思います。

 逆に言うと、総理大臣の「私的」諮問機関の「中間報告」や「最終報告」に反対だといって声明とやらを出しているだけの野党のやり方は真剣なものとは認められません。本当にやる気があるなら、自分も「教育改革市民会議」を作って対抗しなければならないと思います。

──以前、日教組で自主的な教育課程を作成したことがありましたね。

> この「理科教育カリキュラムを考える会」の活動を注意深く見守っ
ていきたいと思います。

──私自身の考えは以下のとおりです。

 最近、中学校から「力の平行四辺形」削除ということで、自分たちはどういう立場を取るのかという特集を『理科教室』という雑誌で行い自分も執筆させてもらいました。

 大切な場だと考えずいぶん力を込めて書いたつもりでしたが、とても情けなく感じたことがあります。

 1つ。イオンがなくなる。「力の平行四辺形」がなくなると次々に挙げていくとどんどん時間が増えてパンクしていってしまいます。果たしてどうするか?

 今でさえ、時間不足で駆け足しなければならずこの上どうしたらよいのか?もちろん、短い時間で効果的・本質的な授業をするしかないのですが骨だけ扱っても本当の意味の「ゆとり」が持てず、身に着かないのではないかということ全体を考えると唖然とさせられます。

 2つ。自分自身これまでの文部省の体制に流され、周りみんながす
べてやらなくてなっても1人だけやりつづけられる位信念を持ってい
るか。すごく反省させられたことでした。

 削除されて困ると訴えている内容がいかに大切な概念なのか理解しているのか? そこまでして、行えるくらいに面白い材料(教材)を持っているか、面白い料理法を知っているか?

 つまり、滝川氏らの主張するのに一見似ていますが、1人1人が大変な立場に立たされてもやりぬけるために削除されてしまういくつかの大切な内容をもっと深め、教材や料理法、概念把握の進化などを徹底的に議論交流することの方が先におこなわなければいけないのではないだろうかというものです。

 その結果、上のような成果が残されるのなら大賛成です。そうでなければ、ただ、ストックができ公開されても今の現状では、表面いいとこどりされるというのが関の山です。このあたりどこまで分かってもらえるか書いていてとても不安です。

 教科書だからというので、どれだけ民間側の(この言い方はおかしいですが現実の一面でもあるのでお許しください。)実験や実践が表面だけ勝手に使われたでしょう。

 私自身もその被害者の1人でもあります。

 むしろ、ただ載せられるだけなら載せない方がましといういうことも多くあるのです。

 自分の行いたいことが、なかなか日ごろの仕事で追われてやれないのが歯がゆいですが思っていることを書かせていただきました。

 なかなか、直ぐにはお返事できないかとも思いますが、あらかじめお断りしておきます。

・以上は、メルマガ「教育の広場」の第23号(やる気のある人達のやり方)(2001年02月07日発行)及びそれへの投稿(第24号、2001年02月11日)をまとめたものです。




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