ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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英語教育の改革案を評す(現状を調査してから発言すべし)

2006年11月16日 | ア行
 (2001年)01月20日の朝日新聞に次のような記事がありました。

 文部科学相の私的諮問機関である「英語指導方法等改善の推進に関する懇談会」はコミュニケーション能力の向上を重視して英語教育を見直す、との報告書をまとめた。学ぶ楽しさや意義を理解させ、教師が教え込むだけではなく、生徒が表現することを多く採り入れ、評価や入試でも話し聞く能力を重視する必要があると提言している。
(中略)

 報告書は、従来の学校の英語教育が英文和訳や文法などに偏り、過度に細部にこだわりがちだったと指摘。英語で積極的にコミュニケーションをはかる意欲を育てることを重視した。

 その上で、少人数指導や習熟度指導を行い、会話能力も評価すべきだとした。リスニングテストを高校入試で増やし、大学入試センター試験でも早急に実現させるように求めた。──

 これを内容によって分けて箇条書きにしますと、次のようになるでしょう。

1、英語教育の重点を、英文和訳や文法から会話に移す。

2、授業形式としては、少人数指導と習熟度指導を取り入れる。

3、リスニングテストを高校入試では増やし、大学入試では取り入れる。

 たしかにこの結論なり方向なりには余り反対する人はいないだろうと思います。しかし、私はこういう提言を聞くといつも思うのですが、自分たちの意見をもっともらしく見せかけるために、相手の意見というか現状をあまりに極端に描き出す癖があると思います。

 例えば、大分前から問題になっています「ゆとり教育」とか「生きる力」とかの主張の場合でも、すぐに「今までの教育は詰め込みだったから」と簡単に決めつけて、それに対して自分の主張を出すというやり方です。

 今回の場合も、教師が教え込むとか、英文和訳と文法などに偏りとか、過度に細部にこだわるとか、現状を非常に単純化して批判しています。

 しかし、現状を全体として見た場合、本当はどうなっているのでしょうか。高校卒業時に英検2級に合格している人の割合はどのくらいなのでしょうか。そして、そういう人はどういう勉強をして2級に合格したのでしょうか。学校の授業の力はどの程度だったのでしょうか。

 私は大学の1年生にドイツ語を教えていますが、最初のアンケートで「これまでの英語の授業についての感想」を聞きます。その回答を読むと、全体としては、中学の英語の時間はいろいろな工夫があって楽しかったという人が多く、高校の英語の授業は翻訳と文法ばかりで詰まらなかったという人が多いようです。もちろん、中には、英語でディベートをしたとかいった報告もあります。

 こういう事を考える場合の問題は「割合」だと思うのです。それを調べるのは難しいことですが、例えば、英語「で」授業をしている授業の割合、ディクテーションを取り入れている授業の割合、英検2級合格者の割合、などです。

 そして、その原因を調べて、その割合を増やすにはどうしたらいいかと考えるべきだと思うのです。現在の公立中学でさえ、英語でのディベート授業を取り入れているような先生もいるのです。そういう工夫をしている先生を探して紹介することも大切だと思います。

 民間の英会話学校の校長の中には、学校の英語が会話に傾いてきているのを嘆いて、しっかり文法を学ぶことが会話の基礎だという人もいます。そういう意見もしっかり聞いてみる必要もあると思います。

 私は、語学の授業は原則として総合的であることが一番大切だと思います。つまり、文法と読解と作文と聴解の4つを満遍なく勉強し、その仕上げとして会話をするような授業であるべきだと思います。そして、1回1回の授業の中で以上の4つないし5つの要素のどれか1つをするのではなく、最低でも3つはするようにするべきだと思います。つまり1回の授業の中にいろいろな要素があって、生徒を飽きさせないようにすることが大切だと思います。

 この提言のようになるととても浅薄な「会話能力」とやらが出来て、いずれ、どこかおかしいのではないかと後悔することになるのではないかと危惧します。

 注・これはメルマガ「教育の広場」第21号(2001年01月24日発行)に調査なくして発言権なし」という題名で発表したものです。

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