ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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教育、第281号、「よるも昼のように輝く」(長谷川保著)

2007年05月23日 | ヤ行、ラ行、ワ行
 浜松が日本全国ないし世界に誇れるものは車やオートバイや楽器だけではないと思います。日本で最初にホスピスを始めた聖隷福祉事業団もその1つだと思います。著者の長谷川保さん(故人)こそ、この「聖隷」を創始して今日の基礎を築いた人です。

 聖隷学園の出身者以外では浜松の出身者でもこの本を知っている人(特に若い人)は極めて少ないようですので、取り上げました。

 本書は氏が社内報に連載した事業団の歴史を小説の形に直して書き改めたものです。文中の主人公「早川俊介」は長谷川氏自身のことです。その他の登場人物も故人は別として仮名になっています。しかし、すべて実在した事件と事実をそまのままに書いたそうです。

 正義漢であった氏の若いころのエピソードとしては、教会を辞めて共産党に入った理由と、その共産党を辞めた理由とが、共に特徴的だと思います。

 前者は浜松日本楽器〔今日のヤマハ〕の大労働争議(1926年04月27日~同08月08日)が切っ掛けでした。この時、市内のキリスト教関係者が集まってこの争議について話し合ったそうです。その時、牧師たちは「争議は力で争うものであり、キリスト教の愛の原理と相いれない」と主張したので、長谷川氏は怒ったそうです。

 「何ということを言うか。今回のストライキの切っ掛けになった労働者の要求にどんな不当な事があるのか。あの大きな工場で、昼休みに仕事を終わってほこりだらけの手や顔を洗う洗面所を設けてくれ、そして食堂に来て昼飯を食べて一服してまた職場まで帰るのに30分では足りないから、昼休みを1時間にしてくれ。また、8時間労働は世界のあらゆる文明国の制度ではないか。

 更に、今回の労働者の低賃金はあまりにも低すぎる。このような労働者側の要求は当然であり、これを力をもって弾圧しているのは資本家側ではないか。資本家と、それと結託した警察権力にこそ、キリスト教会は抗議すべきである。~

 諸君のごとき反動が聖書のどこに書いてあるか。僕は今日限り、このような反動の教会を去る!」

 と言って、足音荒く出ていったのだそうです。

 そして、今度は共産党に入ったのですが、幹部の堕落に又々怒りを爆発させることになります。それは幹部が時々遊廓に行くことと、ピクニックに行った時に農家の果物を盗んだことが象徴的な出来事だったようです。

 このような曲折をへて、結局、キリスト教に戻ると共に、当時「死病」として嫌われていた結核患者の面倒を見る仕事を始めることになりました。しかし、順調どころの話ではありませんでした。周囲の人の嫌がらせが特にひどかったようです。

 しかし、神様は見放さなかったのです。本書の圧巻は何と言っても「クリスマス・プレゼント」の章です。廃業を覚悟した1939年12月24日、「明日、県庁に出頭するように」との知らせがあったそうです。これが天皇陛下からのご下賜金だったのです。具体的な内容は本書を自分でお読みになるといいと思います。

 天皇が認めた事業に対しては、周囲の人達も嫌がらせが出来なくなりました。その後も苦労はありましたが、それを乗り越えて今日の大を成したのです。

 何年か前のことですが、日本経済新聞の調査したベスト病院に浜松聖隷が1位、三方原聖隷が3位に入ったのを記憶している人も少なくないでしょう。


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