ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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吉川一義都立大学教授の「教養」の中

2005年09月11日 | ヤ行、ラ行、ワ行
 都立大学を廃止して新しい都立大学を作る石原東京都知事の方針は多くの反対意見を無視して強引にかつ着々と進められているようです。

名前も既に「首都大学東京」と決まったようですし、学長も西沢潤一氏(現在は岩手県立大学学長で77歳)に内定したようです。

都立大学のHPを見ますと、新大学は既定の事実として、現在の都立大学は平成22年03月で終わることを前提したいろいろな通知が出ています。

半分ほどの人が新大学構想に反対の署名をした現在の都立大学教員に対しては新大学で働く意思があるかないかを問い合わせる「意思確認書」を発送し、〔2004年〕02月16日までに返事をするように迫ったようです。

もう少し広く東京都の教育「改革」を見ますと、それは色々な問題を引き起こしているようです。新聞で見ているだけでも、養護学校での性教育に干渉したり、都立高校の式での日の丸掲揚と君が代斉唱のやり方にまで事細かな指示を出したそうです。従わない人に対しては既に処分も出たようです。

朝日新聞への投書を見ますと、東京都教育委員会では「国旗・国歌は強制しないという(法案成立時の)政府答弁は間違っている」との発言まであったそうです。

又、夜間中学の専任教員を減らして非常勤教員に取り替えていく方針も出ているようで、そこで日本語などを学んで自立していった中国残留孤児たちや関係者が反対しているそうです。

 私は石原知事になってからのこれらの一連の教育「改革」に全体としては反対する者です。しかし、同時に、こういう「改革」を是正していくためには結局は次回以降の知事選挙で本当の意味で民主的な人を選出することを中心にしていかなければならないと思ってもいます。

そういう大きな観点から、かつての茂木都立大総長批判に続いて、今回は吉川一義教授の言と行を検討してみたいと思います。

と言いますのは、02月02日付けの朝日新聞に吉川教授(現在は都立大学を休職してパリのソルボンヌ大学の客員教授をしているそうです)が、都立新大学に反対して「閉ざされる文化への窓」(副題、文学専攻を廃止する都立大改革構想)という文章を発表されたからです。

この文章もこの題名から予想されることしか書いてありませんので、特徴的な箇所を引用してみましょう。

──〔東京都の案では〕50年にわたり〔数学や法律や哲学の〕各専攻が蓄積してきた学問的成果、とくに語学や文学を専攻する意義は、まるで理解されていないらしい。

──大学の語学・文学専攻がめざしているのは、文芸批評でも実用外国語の習得でもない。それは、ことばを通じて人間精神の営みを解明することである。

──目先の経済効率ばかりを追い求めた教養の欠如が、バブル崩壊とその後の日本社会の停滞を招いたのではないだろうか。──

 この文章を検討してまず第1に言いたいことは、都立大学が全体としてこの50年間で使った金と上げた成果とを比較した場合、本当に十分な「学問的蓄積」を残したと言えるか、ということです。私はこの50年の蓄積の結果は、全体としては、「都立兼業大学」でしかないと思います。

そこで第2に吉川教授自身の「学問的蓄積」を調べてみますと、自著はわずかに1冊、「プルースト美術館」だけです。この内容は「『失われた時を求めて』の画家たち」という副題か
ら予想されます。

共著は2冊あります。1つは「フランスの文学」というものです。多分、フランスの文学について文学者別に手分けして解説したものでしょう。

もう1つは「現代フランス語辞典」です。これについてはこの文章の中でも「私が日仏の同僚と協力して、仏和辞典を作成したり」と書いています。

訳書は2冊です。「評伝プルースト」と「グレコ-トレドの秘密」です。

このほかにフランス語の本があり、かなり大部なもののようですが、題名から、多分、プルーストの手紙か何かの索引だと思います(日本語のHPに業績として載せる場合には、たとえフランス語で書いた本であっても、日本語での説明を付けてほしいものです)。

私の考えでは教授になるためには自著が3冊以上必要ですから、これでは不十分です。

第3に、では、大学教授の悪の根源であるアルバイトを見てみましょう。非常勤講師組合が調べた所によりますと、平成13年度に吉川教授は東京大学で週に2時間の(フランス語の)授業を持っています。自分の研究業績も不十分なのに、そして十分な給与(多分1千万を越え)をもらいながら、どうしてこのようなアルバイトをするのでしょうか。又、なぜそれを隠すのでしょうか。

ついでに申し上げておきますと、現総長の茂木氏も当時は教授でしたが、北海道教育大学で30時間の集中講義をしています。これはつまり旅費も滞在費も先方持ちで夏の避暑観光旅行をして小遣いも稼いだということだと思います。

現在の都立大学のHPの教員紹介欄には「アルバイト」の項目がないことは前回書きましたが、その理由はここからも分かるというものです。

第4に、しかし、私が今回一番問題にしたいことは、吉川教授の教養の中身です。「目先の経済効率ばかり追い求めた教養の欠如」という言葉も少しおかしいですが、言いたいことは分かりますので、言葉の詮索は止めましょう。

たしかにバブルの頃多くの人が「目先の経済効率ばかり求め」ました。そして、その多くの人がバブル崩壊で自分も崩壊しました。しかし、これを吉川教授のように「教養の欠如」と嘲笑って好いのでしょうか。

なぜ多くの人が「目先の経済効率ばかり追い求めた」のでしょうか。十分な収入と資産がありながら更に大きな富を得ようとした少数の人を除いて、その大多数の人は、「この好景気の波に乗って自分も少しは豊かになりたい、小金を貯めたい」と思ったからではないでしょうか。

しかるに、大多数の人のこの気持ちは悪いことでしょうか。私は当然な事だと思います。日本のサラリーマンの平均年収は、昔は日本全体では 600万と言われていたと記憶していますが、最近は 400万とか 450万とか言われているようです。首都圏のサラリーマンに限れば 800万とか言われています。

そういう人達がバブルの好景気で小金をもうけたいと思ったとしてどこが悪いのでしょうか。私はこれが「人間精神」だと思うのです。これが人間精神ではないとしたら、吉川教授が「ことばを通じて解明する」という「人間精神の営み」とは何でしょうか。

吉川教授こそ、年収1千万以上もらい、更に印税もありながら、そして業績も不十分なのに、研究と自分の大学での授業を手抜きして、東京大学でアルバイトをしているではないですか。これは「目先の経済効率ばかり追い求める教養の欠如」ではないのでしょうか。

又、吉川教授は仏和辞典の共著者になっていますが、なぜ「ことばを通じて人間精神の営みを解明する」のに最も役立つ仏文法書ではないのでしょうか。それは、辞典は大学の1年生が買うから需要があるけれど、文法書は誰も買わないから、出版社が出さないからです。これは「目先の経済効率ばかり追い求める教養の欠如」ではないのでしょうか。

始めに確認しましたように、都立新大学の準備は着々と進んでいます。02月16日までに「意思確認書」を出した方の中にはかつて「反対署名」をした方も多いだろうと推測します。それは、「抗議して辞職」した4人の法学部教授のような方を除いて、多くの教授は単なるサラリーマンであり、生活のためには新大学で働くしかないからです。

私はこれを非難しようとは思いません。「教養の欠如」でもないと思います。私でも都立大学の教員だったらそうすると思います。私はこういう人間の本性を見つめる所から出発する学問が本当の人文科学だと思っています。

むしろ、悪いのは、こういう人間の弱みに付け込んで強引に間違った新大学を押し進める知事だと思います。又、十分な収入がありながらコソコソとアルバイトをし、定職がなくて困っているオーバードクターの人達から仕事を奪っている教授たちだと思います。

今、世界中でイラク問題が議論されています。アメリカに追随してイラクに兵隊を送った国も少なくありません。皆、見返りを期待してのことです。国の場合には、キューバのように本
当に国民のための政治をすればアメリカに頼らなくてもやっていけると思いますので、アメリカからの見返りを期待するのは情けないと思いますが、そこに志願していく兵隊を責める気持ちには私はなれません。

先日、ポーランドでそのイラクへの志願兵が募集の何倍にもなったという記事を見ました。今や先進国と言える韓国でも志願兵が14倍だったとか、我が日本でもイラク派遣には多数の自衛官が応募しました。ほとんど皆、特別な報酬〔危険地勤務手当て〕と帰国後の特別待遇が目当てなのです。

 そこで、吉川教授に聞きたいと思いますが、吉川教授のパリの大学院でのゼミにはポーランドからの留学生もいるそうです。吉川教授はポーランド兵のこういう現状を皆で話し合っているのでしょうか。それともこれは「人間精神の営み」ではないのでしょうか。

 私は何が言いたいかと言いますと、石原知事の東アジア人蔑視発言や女性差別発言は本当に下劣だと思いますが、それに反対する人々も本質的には石原知事と同レベルではないかという「疑問」です。

 何も個人に完全無欠を要求するわけではありませんが、社会的な発言の吟味では、発言者の資格と能力も問題にしなければならないのではないか、ということです。いや、それに相応しい発言態度があるのではないかということです。

 一番ハッキリしている例が社民党です。自分自身が内部でも個人としても民主主義を実行していない社民党やその方面の人々が護憲を唱えても何の力にもならないということです。そういう人々は本当の意味では護憲勢力とは言えないということです。

(2004年02月24日発行のメルマガ「教育のひろば」より)

      関連項目

茂木都立大総長の言と行

1 コメント

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昔の話ですが (通りすがりの仏文学者)
2013-10-11 03:06:16
ひどい記事です。
吉川先生が「不十分な研究業績」しか出せていないとしたら、多分日本の大学教授の99、9%は不十分な研究業績ですよ。
もちろん、牧野さんの研究業績等、話になりません。
ちらとみましたが、日本語論文しかない。
ドイツ語が大しておできにならないからでしょうか、それとも、とても内弁慶なかただからでしょうか。
当時、吉川先生の日本語の業績が少ないように見えたのは、フランス語でフランス人相手に世界の第一線で研究活動をしておられたからです。
牧野さんはどれだけ、ドイツ人をうならせ、納得させる仕事ができたのでしょうか。
そもそもドイツ語でちゃんと論文を書けるくらいの語学力をお持ちなのでしょうか。
まあ、僕は吉川先生のことを個人的に知ってはいますが、別に吉川先生のフリークでもなんでもないです。とはいえ、こんな馬鹿な記事を見て、説得されてしまう輩がいると思うと悲しくなりますし、また見ているこちらが恥ずかしいので、早めにこの記事は削除したほうがいいと思います。
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