ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

 2008年10月から「第2マキペディア」として続けることにしました。

「ユーゲント」92号

2008年10月15日 | 教科通信「ユーゲント」
「ユーゲント」92号(2008年02月08日)

                     ドイツ語教室の教科通信

   冬休みの宿題をどう思いましたか
 (1) 訳
- 量が多いと思う。夏休みの宿題にするなり、冬休みの前に出すなりした方がよかった。
 ★ ほとんどの人が「量が多すぎた」との意見でした。昨年の失敗を考えて、夏休み14頁、冬休み22頁と割り振ったのですが、能力がそれほど向上していなかった点もあると思います。再度考えます。

 (2) 自治体のHPの批評をしてみて
 ★ 実際の批評を知りたいという意見がありましたので、2つ載せます。

     横浜市のホームページについて

 横浜市のホームページは見やすいか、分かりやすいかを調べるために、実際に使ってみました。トップページに「引っ越します」という項目があった。自分は4月に浜松に引っ越したので、この項目を見ていこうと思う。

 まず、トップページの「引っ越します」という項目はとても見つけやすくて好いと思います。それをクリックすると、又いくつかの項目が出てきました。このページでは、転入するのか、転出するのか、どちらなのかをしっかり分けてほしいと思いました。

 その中から「住民票」という項目を選びました。気になったことは、各区役所へのリンクが小さく気づきにくいことです。

 ホームページの全体としての構図は、使いやすかったと思います。トップページの「お知らせ」をもう少し大きく、いくつかの項目に分けて表示した方が好いのではないかと思いました。

     地元のホームページの批評

 私はこの町の出身者です。この度、町のホームページを拝見させていただきました。感じた点がありましたので、メールを送らせていただきます。

 第1、コンテンツについて
 簡単なものでいいですから、行政を評価したりホームページを評価したりしてもらうアンケートを設置したらどうでしょうか(点数を付けてもらうようなものなど)。

 又、「町長室」というのがありますが、このページは昨年1回しか更新されておらず、ページの存在意義がほとんど見受けられません。町長にはその日に行った仕事をブログにして付けてもらったらどうでしょうか。それによって開かれた行政になると思います。

 第2、デザイン、技術について
 カテゴリ-を階層化したらどうでしょうか。今のでも見やすく分かりやすですが、似たようなカテゴリーがあるので、そこを階層化すればよりすっきりすると思います。

 ★ 自治体のホームページも大学のホームページも、私が見て合格点に達しているものは1つもないと思っています。最低でも、目次ないし索引を作ること(サイト内検索では不十分です)、完全な更新の記録を作ること(そうでないと、自分で見に行ってみないと更新されているか分からない)、この2点は絶対に必要だと思います。「長」の活動報告などは当然ですが、順序としてはその次だと思います。

     1年間の学生生活を振り返ってどう思いますか

- 今年1年は、以前よりも本を沢山読めた年だと思います。現代作家だけでなく、海外の著名な作品をいくつか読みました。これらの作家はの作品は、その作家独自の思想が含まれていてとても参考になりました。

- 受験生だった去年より遙に勉強をしていた。特に後期は毎週宿題の出る授業がいくつかあったので大変だった。
 ★ 高校より大学の方が勉強するのは本来的な姿だと思います。

- サークルは混成合唱に入っていて、ドイツ語の曲も歌った。
 ★ 「やさしく歌えるドイツ語のうた」(NHKCDブック。NHK 出版)という本が市立図書館にあります。
- 高校よりも人が多いので、いろんな人に出会えてよかった。時間の流れるのが非常に早かった。
- 後期はバイトも始め、プログラミングも始まったので、前期より忙しくなり、前期にしていた事でも後期はしなくなったことなどもあり、余裕がなかった。特に金曜日は一番大変な日だった。

     このドイツ語の授業の全体としての感想

- 親や友人が「ドイツ語と関係ないでしょ」と言っていた。自分でもそう思っていて、最初はあまり好きな授業ではなかった。でも今は、このような授業も経験できてよかったと思っている(内容上、複数意見)。
- ドイツ語以外の話題が多く、家族と話す機会が増えて良かった。
 ★ 1995年、オウム真理教のサリン事件が起きた時、それの実行犯が大学を優秀な成績で卒業した人達だったので、「大学の成績を勉強だけで付けるからこうなるんだ」という意見が沢山出ました。しかし、大学は何も変わりませんでした。「ドイツ語と関係ない」と言う人に対しては、「教養教育ってどういうものだと思うか」と聞いて、自分でも考えて話し合ってみて下さい。

- 特に前期はドイツ語と哲学の授業を受けていたような気分に陥っていた記憶があります。
 ★ 全ての教員が「教養教育とは何か」を実践して、それを発表し合って、又1人1人が考えていく、というのが本当だと思います。学校は議論をする場だと思います。現実には、議論が無さすぎると思います。先生が本当の議論の技術と理論を知らない(習ってきていない)からだと思います。

     休憩について

- 魔笛は、私はクラシック音楽が好きなので、聞いたことがあったが、劇を見るのは初めてだった。
 ★ あのビデオは市立図書館にあります。

- 先日、学長討論会というのがあったが、「予算的にきびしい」みたいなごく表面的なお金の話ばかりで、うんざりした。

- シュタイナー学校。教養を得るのではなく自由な感性を養う教育は、もっと多くの子供たちだけでなく、大人にも必要だろう。
- フォルメンの授業はまるで催眠術のようだなと思いました。「渦巻きっていうのはこれだ!」と決めつけるの出鼻なく、「こんな感じのものです」と教えて自分に覚えさせるその様子が、暗示的だと思いました。
 ★ シュタイナーのビデオ5巻も図書館にあります。気が向いたら見てみて下さい。

- 天竜だけでなく、浜松市全体の設計を誰かに依頼するのがいいのではないかと思う。
 ★ 私は第1案として天竜区役所の設計を、第2案として更に市全体の設計を有名な建築士に頼むことを提案しています。

- 黒い森について。ドイツの環境意識の高さは知っていたが、改めてそれを感じた。私もコンセントを抜くなど出来る事は実践していかないといけないと思った。

- キリスト教について、ほとんど知らなかったという事が分かりました。仏教の考え方とはやはり大きく違うので、他の文化を考える好い機会になりました。

- スイスのアルプスの麓はとても景色がきれいで、1度は実際に見てみたいと思った(複数意見)。
- 富士山に登ったことが1度だけあります。頂上で見た景色はスイス観光のビデオで見た景色のようでした。

     その他

- この授業を通して私の中での「物事を討論する」ことに対するスタンスが変わりました。論破することが目的ではなく、その相手との議題に対する理解を深めることが大事だと知りました。
- 先生の話や問題提起はとても奥が深く、レポートを書くためには時間をかけてしっかり考えなければならなかった。しかし、このように自分の意見を主張し、議論する機会は少ないので、好い経験になりました。

- 長い春休みには、前々から勉強してみたかった事に挑戦しようと思っています。
 ★ 春休みは宿題を出してくれる先生がいません。しかも長いです。春休みをどう過ごすかで4月の状態が大きく違ってきます。かつて、特にドイツ語を勉強したいと言う人に個人的に春休みの宿題を出しました。4月には、多分、クラスで1番になっていたでしょう。

- 最近ニュースで伝えられているギョウザ中毒がすごく気になります。家にもあるからです。怖いので食べないでおこうと思います。
- 学祭の話題がありましたが、今、学祭の運営委員が少なく、開催が危ぶまれています。委員の友人に聞きましたが、本当に足りないそうです。私は別の委員会に入っているので、入れませんが、学祭は楽しいのでぜひ開催してほしいです。

     語学は人を俗物にする

 語学者という奴は俗物になる危険を多分に含んでいる。しかもそれが語学そのものの性質の中に根拠を持っている。

 語学の知識というのは、まずさしづめ、「どんな文句が、否、どんな考え方が最も標準的か」という指導方針の下に立っていると言って好い。

 標準的ということは、模範的ということになるが、悪く言うと凡庸な、月並みのということで、この両方の混成現象が標準的という人聞きのよい概念である。

 生兵法(なまびょうほう)は大傷の因(もと)というが、生語学(なまごがく)は多少外人崇拝の因となる。その言語で分からない事があったりすると、必要以上に恥じるという心理が生じてくる。

 次にその反対を考えてみよう。「何かが標準並みに出来た」という感じは、人をとても嬉しがらせるものと見える。

 「語学がよく出来る」という人の往々にして感ずる得意というのが、これに非常に好く似ている。どんなによく出来た所で、英人なら英人、ドイツ人ならドイツ人にはどうせ及びもつかないのであるが、とにかく従来の世界で習慣となっている事を、自分一人の力をもって間違わずにやってのけたという、考えてみれば実に下らない快感であるが、それがとにかく常人には合点の行かない様な快感を起こさせるのである。

 得意な事に関しては人間は全く目がなくなる。反省心がなくなる。おまけに仕事が忙しくなってくるというと、その危険が益々甚だしくなる。

 語学者という奴はかくして俗物になってしまうのである。
 (関口存男(つぎお)「ドイツ語論集」から)

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