ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

 2008年10月から「第2マキペディア」として続けることにしました。

「ユーゲント」89号

2008年10月12日 | 教科通信「ユーゲント」
「ユーゲント」89号(2007年10月05日)

                     ドイツ語教室の教科通信

 夏休みはいかがでしたか。今回は3回の宿題郵送の後にブログに「皆さんへ」と題する短文を書きました。大体読んでもらえたようです。ブログの効用の1つです。

 長年使ってきた愛用のワープロ専用機が遂に1部、壊れました。印刷ができなくなったのです。大ショックでした。そこで、これからは今まで通りワープロで作成するが、印刷はPCで、ということになりました。

 ブログの日付を本の頁として使えば、ブログでホームページも作れることに気づき、1年間やってきました。国語辞書「マクシコン」は成功していますが、立体的なホームページを目指したもの(浜松市役所の真ホームページ、など)は行き詰まりを感じていました。

 後者も百科事典と考えてアイウエオ順に並べれば好い、と気づき、リフォームしました。無限の可能性のあることが分かりました。HTMLの技術が低いための苦肉の策ですが、目的を達すれば好いと考えています。

     「天タマ」を読んで

- 普段、ドイツ語の教科通信で読んでいる意見の何段階も上の議論を行っている、という印象を受けた。授業自体が違うこともあるが、議論が長くなりそうなことや答えが簡単には見つからない問題に対して、「こういうことにしておこう」という諦めの態度ではなく、突き詰めて考えようという姿勢が、今の自分にはないと思った。自分の実体験や話し合った結果考えついた結論を自分で冷静に見直すことは、問題の本質的な部分の解決に必要だということが伝わってきた。

- 私の場合は、先生の話などに自分が元々持っている知識を加えることで書いているが、「天タマ」の内容は現実をしっかりと調べているため、固定観念や、先生からの意見だけでなく、もっと広い観点から見た意見になっていると思う。やはり、レポートを書く上での新たな知識の収集の必要性を感じた。また、周囲の人との話し合いの重要性も感じた。

- 〔第28号の「勉強の意義」を考えた意見を読んで〕
 自分も勉強の意味は何なのかと考えることが、いまだによくあります。受験勉強のように、いやでも勉強しなければならない時は、こんな事を勉強して一体何の意味があるのだろう、といつも出来ない時の言い訳や、イライラのはけ口にしてきました。

 しかし、この人のレポートを読んで、なるほどなぁと思いました。今まで勉強とは、自分のためにするのだと思っていましたが、そんな事はどうでもいいことなのだなと思いました。というより、このレポートに書いてあるように学問は生き物なのだと考えれば、そんな事は気にならなくなるだろうと思いました。

- 第29号に安楽死についての意見が掲載されていた。私はこれを読むまで、安楽死(または尊厳死)には大いに賛成であった。もしも自分が不治の病に苦しみ、その苦痛を取り除くことができなかったら、といつも考えていた。

 けれども自分の両親や兄弟がそのような状況に置かれた時、私は彼らの安楽死という選択を受け入れることができるだろうか。生き延びることができないなら、少しでも長く生きてほしいと思ってしまうだろう。

 本人と周囲の考えの相違は必然なのかもしれない。~本人の意思を尊重する考え方が広まっているきたが、周囲の人達のことも考えて、本人は意思決定をしていかなければならない。

- 私が小学生だった時、小さい弟のことばかりで、自分はいつも後回しにされているような感じがして嫌だなと思っていました。でも、今思うと、親もちゃんと自分のことを見ていてくれたなと思えます。親も人間ですから、同時に2つの事をするのは無理です。だから、私は、子供の話を聞いていないのではなく、親がちゃんと聞けない状態であると理解しなければいけないと思います。でも、子供にそれを理解するのは非常に難しいことではありますけれど。

     TVドイツ語講座の感想

- まず最初に思ったことは、とても取っつきやすい番組だということだ。NHK の語学番組は英語ぐらいしか見たことがなかったので、どこか敬遠してしまいがちな部分があった。しかし、いかにして語学番組というお固いイメージを壊そうかという工夫が面白かった。具体的には番組の雰囲気がポップであったりとか、例文紹介をドラマ仕立てにしてみせたりしていた。

     ホームページの批評

 私は、この高校の卒業生です。この度、母校のウェブページを拝見させていただきました。その際にいろいろと感じる点があったので、メールを送らせていただきました。

 まず、デザイン・技術についてです。
・トップページですが多くの情報があるのはいいのですが、ありすぎて見にくいです。もう少し、カテゴリ別に分けてすっきりさせてはどうでしょうか。
・ページによっては異様に重いページがあり、中にはページを開くのに1分程度かかるページもありました。こういうページを何とかしてもらいたいです。

 次にコンテンツについてです。
・毎月、学校のニュースを写真付きで掲載されているところ、部活ごとにブログをつけられているのは、OBとしては今、何をしているのか知ることができ、アドバイスをブログにつけることができるのでとてもいい試みだと思います。

 しかし、部活によっては更新頻度が極端に遅いので、ある程度は更新していただけるようにしてもらいたいです。また、同じ要領で授業でも教科ごとにブログをつけて頂きたいです。そうすることによって、広く学校の事を知ってもらえると思いますし、外部からの意見も集めやすくより良い授業、学校作りが出来ると考えるからです。

 以上の事を感じました。いろいろと書きましたが、今回の私の意見を1つの意見として留めて頂き、よりよいウェブページを作られることと母校の発展を願っています。

     母校のホームページの批評文

 今回、ドイツ語の授業の課題として、自分の出身高校にホームページの批評文を送った。批評を送るにあたり、高校時代の担任の先生へ課題について相談をし、ホームページの責任者となっている先生宛てに批評を添えたメールを送った。

 だが、自分が送った批評文についての返信はこなかった。返信が来ないので高校の夏季休暇が終わるまで待ったのだが、長期休暇が明けても返信は来なかった。返信を待っていたのは1週間ほどだったが、学校が始まっているのに何の反応もないのは、返信は来ないということだと考えられる。

 送った批評文には、おもにホームページのデザインについての意見が書かれていた。ページごとのデザインの統一やフォントの変更などについての意見が中心だった。表の文字が小さすぎるなどより見やすく分かりやすいホームページにしてほしいと思いメールを送ったのだが、それに対して何の反応も見せないというのは悲しい。

 学校のホームページには、外部からの意見などを送るためのメールアドレスも公開されていた。だが、それが学校へメールを来るものなのか担当者に直接届くアドレスなのか判別がつかなかった。それによってメールの文面も多少変わるので、メールを送るときには少々戸惑った。他にも批評文を送るときに先生に相談しなければならないようなことがいくつかあり、ホームページを見ている人への製作者側の配慮が足りないと言わざるを得ない。(略)

 学校はただ求められた活動をすればいいのではなく、その活動が以後も効果を発揮するように管理する義務と責任も抱えているのだということを分かってもらいたい。

 ★ 先方に送って返事をもらったという報告は皆無でした。これが現実です。これをどう考えるか、ここからどう行動するか、それが皆さんの今後の問題だと思います。

 なお、学校がメルアドを公開していないので聞いたら、「近年、メルアドや電話番号を装って犯罪が起きているためだ」という返事をもらった、という報告がありました。これをどう考えたら好いでしょうか。そもそもそのような「犯罪」は本当でしょうか。

  東野圭吾「天空の蜂」(講談社文庫)のあらすじ

 自衛隊に関係する研究機関で、ある大形ヘリコプターの研究が進んでいた。このヘリコプターは完全デジタル制御ができる最新型であった。主人公は、ヘリコプターの研究開発を行っていたエンジニアである。

 ヘリコプターの試験航行の日、突然ひとりでにヘリコプターが動き出した。誰をのせるわけでもなく、勝手に飛び立ったヘリコプターの行先は「高速増殖炉」。

 それからほどなくして、政府機関や報道関係に FAXが送られてきた。その内容は、天空の蜂を名乗るテロリストからの犯行声明と要求であった。

 テロリストは、全国にある原子炉の完全停止・破壊を要求してきたのであった。この要求がのまれない場合は、大量の爆薬を積んだヘリコプターを稼働中の高速増殖炉に落とすというのであった。

 政府は、テロリストに屈伏しない態度を見せるが、ヘリコプター内には、子供が一人取り残されていた。

 自衛隊の尽力や、何よりもテロリストによる協力があり、子供は救出されるが、ヘリコプターは依然原子炉の上空にあった。

 政府は、全国の原子炉を停止させるため、大企業などに節電の協力を依頼する。

 それぞれの機関が走り回り、ついに警察は犯人らしき人物の住処を特定するも、すでにも抜けの殻であった。唯一残されたヘリコプターの遠隔起動装置を残して。

 主人公は、その起動装置を利用して、燃料が無くなり、エンジンが止まったヘリコプターを海へと落とすことに成功する。一方、警察も、犯人を追いつめていた~。

 犯人の目的は、原子炉を頑なに拒む国民と、深まる電力需要とのアンバランスさを認識させることだった~。

 内容はとても深く、難しい用語もたくさん出てきました。しかしながら、原子炉をただ危ないものとして見る考え方や、便利で安全な物と考えるかたよった考えかたに気づかされました。読みごたえもあり、いい小説でした。

  「もう一度デジャ・ヴ」(村山由香)のあらすじ

 高校2年生の矢崎武志はある日偶然見たテレビ番組で登場した見たこともないはずの村に、強烈な既視感を覚える。その村は行ったことはないはずなのに彼は細部までその村を知っていた。その一方で彼はその同時期に不思議な夢を見るようになっていた。それはある一人の女性と矢崎が愛し合いそして必ず最後には引き裂かれるという夢だった。夢の舞台はテレビで登場した村も含んださまざまな場所、時代ではあったが必ずその女性は登場した。

 矢崎は夢から覚めるとその女性の顔すらはっきり覚えていないのに彼女に恋心を抱くようになった。矢崎には夕子というガールフレンドがいた。彼女は矢崎を愛していたが、夢の中の女性しか見えなかった矢崎は彼女に自分をあきらめるように言った。彼が自分の正直な思いを告げたその直後、夕子は交通事故にあってしまい重傷を負ってしまう。事故に逢わせたのは本当にいるかどうかもわからない夢の中の女性にばかり目を向けていた自分のせいだと感じた矢崎はその真意を確かめるべくテレビに登場した村を訪れることにした。

 村に到着した矢崎は一人の見覚えのある老婆に会う。老婆の話を聞いた矢崎はそれによりすべてを知る、というより思い出すことになる。それは矢崎が見た夢はすべて自分の前世の出来事なのである、ということだった。テレビで見た村も村にいる老婆も見覚えがあったのはすべて前世であった出来事だからである。そして矢崎は必ずどの時代にもいる自分の運命の女性と巡り合いそして愛し合うさだめにあることを知った。全てが分かり元の学校生活に戻った矢崎は保健室の先生にけがの処置をしてもらうなり衝撃が走った。彼女こそ現世の運命の人だったのだ。

     ライ麦畑でつかまえて(あらすじ)

 十六歳のホールデン・コールフィールドはクリスマス休暇に入る直前、成績不良のうえ学業に身を入れる様子もないという理由で、名門プレップ・スクールを退学になった。同じ理由でこれが三校目の退学となるホールデンは、休暇が始まるのを待たずに荷物をまとめ、土曜の夕方寮を出る。しかし、すぐに家に帰れば叱られてひと騒ぎ起こるのが目に見えているので、学校からの知らせを受けた両親の気持ちが落ち着く頃合いを見計らって帰ることにし、それまでは自宅のあるニューヨーク市内で過ごすことにする。

 行きずりの人と言葉を交わしても、前の学校での友人や以前のガールフレンドを電話で呼び出して久しぶりに会ってみても、どこかしっくりこない。成功者を賛美し、激しい競争を生き抜くことを要求する社会への違和感を、ホールデンは語ろうとするが、理解されない。ホールデン自身も裕福な中産階級の出身で、そのような社会の恩恵をこうむり、また自分もその一員になる方向に向かっていることを自覚している。

 厳しい寒さの中でニューヨークを歩き回るホールデンは、お金も次第に尽きてきて、行くところもなくなったあげく疲労困優して、予定より早く両親の目を盗んで自宅に戻る。自宅にいた十歳の妹フィーピーは、兄がまたしても退学になったことを見抜き、将来どうするつもりかとホールデンを追及する。それに対して彼は、ライ麦畑で進んでいる子供たちが崖から下に落ちないように見張っている「キャッチャー」になりたいと話す。一人西部へ旅立つ計画を打ち明けると、その翌日フィーピーは待ち合わせ場所にスーツケースを持って現れ、一緒に行くと言ってきかない。殊に手を焼くうちに、家出をする気がなくなったホールデンは、フィーピーをセントラル・パークに連れていく。回転木馬に乗る妹の姿を見て幸福感に満たされたところで、三日間の放浪は終わる。
 ★ 著者名、訳者名、出版社名などを入れること。

     ドイツの結婚式

 5月の快晴の日に、都会から少し離れた小さな街で、ドイツ人の結婚式に参列する機会を得ました。結婚式はドイツでよく見かける小さな教会で行われました。参列者は、親戚、友人等新邸新婦をよく知る人たち。カトリック信者の結婚式ということでしたが、思いのほか形式ばらず、時々神父が冗談を言うなど、厳粛な中にも暖かみのあるものでした。

 日本の結婚式と違い、参列者全員が式から簡単な立食パーティーヘと流れていくもので、参列者の服装も失礼のない程度で各自まちまち。パーティーでは花嫁の御色直しなどはもちろんなく、とてもシンプルなものでした。しかし、2人が神の前で純粋に愛を誓い、参列者は心からそれを祝福するという当たり前な光景がとても素敵です。

 学歴の紹介や数人の上司の長いお祝いの言葉などはなく、純粋に2人が結ばれたことを全員に示し、回りの人たちは思い思いにこのカップルの前途を祝い、喜んでいるのです。

 木漏れ日の中に建つ茶色の教会。満面の笑みを浮かべる新郎新婦。そして、2人を抱き合って喜ぶ気のおけない友人、知人。決して派手さはありませんが、若い2人の門出にふさわしい、思い出に残る結婚式でした。

 ちなみに、花嫁は私の秘書です。

 (静岡県ヨーロッパ駐在員、森貴志。1999年07月ころの広報誌)

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