ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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お粗末哲学の見本

2006年11月05日 | カ行
 今回の高校における必修科目の履修漏れ事件に関連して、10月30日の朝日新聞に次の投書が載りました。

  記(学びの本質を失う実用主義)

        大学教員 加藤 和哉(山梨県北杜市、44歳)

 必修科目の履修漏れには、教育の現場が視野の狭い実用主義にとらわれ、学びの本質を見失っていることが表れている。受験への対応が重視され、高校が予備校化しているのではないか。保護者や生徒が求めている側面もあろう。受け入れる大学の方も、就職に役立つ資格や実用的な知識をウリにするところが多い。

 大学で西洋哲学を教えていて、学生の歴史や文学の基本的な知識のなさに驚くことがある。それが個人の努力の問題ではなく、高校自体の作為によるとしたら、実に嘆かわしい。理数系の学力低下が問題にされる機会は多いが、人文社会系の教養の低下も著しい。

 教養は単なる趣味の問題ではない。幅広い人間性を養い、政治に参加し、文化を次代に継承する力になるものだ。問題の高校は進学校が多いと聞くが、基本的な教養の乏しい人間が社会の中核を担うことになるとすれば、危機的である。

 教養教育の再建は大学での重要な課題であるが、その基礎となるはずの高校教育に信頼が置けないとしたら、どうすればよいのか。教育に携わるすべての者が、いま一度深ぐ考え直す機会とすべきだろう。(引用終わり)

 これはお粗末哲学の見本だと思います。そう判断する根拠を箇条書きにします。

 第1に、加藤さん自身は大学教員として「幅広い人間性を持ち、政治に参加し、文化を次代に継承」しているはずですが、その実践の報告がありません。

 著書があるのかとインターネットで調べてみましたが、この名前では何も出てきませんでした。ホームページもないようです。大学のホームページの加藤さんの項はどうなっているのかと、山梨の大学をいくつか調べてみましたが、見つかりませんでした。

 このような発言をするための前提は自分の公生活についてきちんとした報告をしてあることだと思います。

 第2に、自分の大学ではそのような「教養の低下した学生」を受け入れた後、どう教育しているのか、それの報告もありません。

 工学系では今、金沢工業大学が有名ですが、そこでは中学生レベルの数学さえできない学生を立派に教育しているそうです。

 自分の大学への批判的な眼を持たない教員は「教養がある」とは言えないと思います。

 第3に、そもそも今回の履修漏れの原因は大学入試にあるわけです。自分の大学の入試の在り方はどうなのか、反省しないのはどうしたことでしょうか。これでは「政治に参加」しているとは言えないと思います。

 結論として、このように基本的な教養のない加藤さんは結局、すべてを高校の責任とし、それに信頼が置けないとしたらどうしたらよいのでしょうかと、匙を投げています。

 現実の問題を解決するのに役立たないのは「お粗末哲学」です。