ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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教育の広場、第 247号、畑村失敗学の限界

2006年10月28日 | ハ行
 工学院大学の畑村洋太郎さんの失敗学が注目されています。以前から本も何冊が出ていましたが、この夏、NHKの「知る楽しみ」という番組で8回の連続放送がありました。これもつい最近、本になったようです。

 沢山の失敗をしながら何とかここまできた私も、個人的に、畑村さんの失敗学をもっと早く知っていたら、と思いますが、それはともかく、実際、失敗学はとても大切だと思います。その意味で、畑村さんの功績は大きいと思います。

 モリタワーでの回転ドアでの児童死亡事件の原因追求のために、独自に仲間に呼びかけて「ドアプロジェクト」を作って研究したことは模範的でさえあると思います。

 そのような畑村さんの仕事にケチをつけるつもりは毛頭ないのですが、個人の仕事にはやはり限界があるのも事実でして、私はその限界として以下の3点を指摘して問題提起としたいと思います。

 第1はこの放送の第5回の「組織が失敗を引き起こす」に関係しています。

 この時は例としてはJR西日本の宝塚線での脱線事故と東海村の核燃料加工施設の株式会社JCOでの臨界事故を取り上げたのですが、その放送の最後で畑村さんは次のような結論を述べました。

──〔JR西日本の宝塚線での事故では〕電車を安全に走らせるのは一番大事な事なのに、定時性という細かい事を求められている内に、運転手はその最大の大事な事が頭から消え去っていってしまうような組織運営が行われていたと思われる。

 JCOでも、臨界事故は絶対起こしてはいけない事なのに、そこに至る条件を知らない人達がプロセスの運営をしていた。これも又、組織がそういう人達をそこに配置し、十分な教育をしないで運営をしていたために起こっている。

 こういう問題は、直接的な原因の話をしているが、又、会社がそういう風に動いていくのにはつねに最大効率が求められる、コストを最低にすることが求められる、外部との競争があり、しかも一番大事な事が何かを忘れがちになってマニュアル化の弊害が起こったり、組織の隙間が生じてしまったりしてこういう事故が起こっているのです。(引用終わり)

 私は常々「組織はトップで8割決まる」と主張しています。多くの方々の賛同も頂いています。この私の主張と畑村さんの「組織」とか「会社」という言葉で終わってしまう考えと、どこに根本的な違いがあるのでしょうか。

 第2点は、昨年来、大問題になったNHKの不祥事とそれに対するNHKの対応を扱わなかったことです。

 たしかにこれは「純粋な工学上の失敗」ではありませんが、「失敗」ではあります。しかも、本当の学問が自己批判から始まるとするならば、NHKの番組では、本当ならこれも扱うべきだったと思います。

 第3の、そして最大の欠点は次の事だと思います。

 畑村さんの失敗学は、思うに、善意の人が善意でやった事が失敗した時、その失敗からいかに学ぶかを研究しているのだと思います。

 しかし、世の中は善意の人だけではないのです。悪意の人もいますし、しかも、残念ながら沢山いるのです。そして、そういう人もやはりそういう人なりに失敗学をやっていると思われるのです。

 それはつまり、隠し通せると思って悪意やごまかしをしたが、ある時それがバレてしまった。すると、その「失敗」を反省して、「今度はバレないようにやるにはどうしたら好いか」と考えるのです。

 私は、こういう失敗学も「裏失敗学」として考えるべきだと思うのです。なぜなら、大多数の行政トップは事実上この論理で動いています(裏金がバレたのを反省して、今度はバレないようにやるのもその1例です)から、我々はこういう裏失敗学にも精通していないと、行政の不正と戦って、世の中を好くしていくことができないからです。

 我が静岡県では数年来、教員のワイセツ事件が起きて、その度に教育長が謝罪し、校長会を開いて「綱紀粛正」を申し合わせていますが、全然なくなりません。これを見ていますと、本当の失敗学はやる気がなく、裏失敗学が通用しなくなっても、あくまでも地位と金にしがみつく人間の業の深さを感じます。

 私は静岡県の遠藤教育長に「畑村さんの失敗学でも学んだらどうですか」と提言しましたが、「これまでの方針の徹底を図っている」との返事でした。その後、又浜松市の教員のワイセツ事件が発覚しました。