江戸時代初期まで「虚無僧」ではなく「薦僧」だった。
「薦僧」とは「薦筵(こもむしろ)」を背負って、諸国を
旅し、薦を敷いて山野に野宿する者という意味。
鎌倉から室町にかけて「暮露(ぼろ)」と呼ばれる職業が
あった。「ボロボロ」のボロ布をまとっているから「ぼろ」
と云われてきた。
「薦(こも)」も「薦筵(こもむしろ)」を背負っているの
だから、両者は同じ「乞食」のようなものと、今まで
考えていたが・・・・・。
「暮露(ぼろ)」は、尺八を吹かない。その代わり大きな
傘と扇子を持っている。衣装は「清楚な白の紙子に黒の袴」
であって、決してボロをまとった乞食ではない。
また「慕論字(ぼろんじ)」「梵字(ボンジ)」などとも
呼ばれていたことから、「ぼろ」では説明ができない。
どうやら「一字金輪の呪」「のうまく、さんまんだ、
ぼたなんボロン」を唱えて、布施をいただく仏道修行者で、
「ボロンボロン」と唱えるから「ボロ」と呼ばれたのでは?
と考えられるようになってきた。
これは「高野聖」や「放下(ほうげ)僧」と同じだ。
「放下僧」は「ササラ」を振りながら、「暮露」は
傘の長い柄を扇子で叩きながら、念仏や真言の呪を
節をつけて唱歌したのだ。
「薦僧(こもそう)」は尺八を吹くから、念仏は唱え
られない。念仏を唱える代わりに尺八の音で、
人々の心を慰める存在となったのであろう。
「薦僧」は、発生的には、「時衆(宗)」の歌舞音曲
から独立したのではないかと、私は考えている。
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