現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

東福寺内にある明暗寺

2016-11-16 17:41:03 | 虚無僧って?

虚無僧の宗旨は“普化宗”。中国唐代、臨済と同門の
普化禅師を開祖とする。しかし、普化の法を継ぐ者は
無く、中国では普化宗などは存在しなかった。
普化の名を日本で広めたのは、一休である。
一休は、“瘋癲(ふうてん)”と呼ばれ奇行の多かった
普化を真似て、「狂雲子」と名乗り“風狂”を演じた。
こうした一休の言動に感化されて、江戸時代、浪人の
仮の姿である虚無僧どもが、「普化宗」なるものを
創設した。と私は考えている。

虚無僧は得度受戒していない半僧半俗であるから、
虚無僧寺の主は“住職”ではなく“看首(主)”と呼ぶ。

現在、臨済宗東福寺の塔頭善慧院(ぜんねいん)内に
寄宿するカタチで「普化正宗明暗寺」として宗教法人
登記されているが、住職は善慧院のご住職平住仰山師。
平住師は臨済宗の僧侶であって、尺八は吹かれない。
そして「明暗寺看首」として児島抱庵師がおられる。
児島師は、明暗寺に常住されているわけではなく、
滋賀県の医師である。

現在、明暗教会としての会員は200名ほど。琴古流、
都山流の会員もいるが、むしろ、竹保流、上田流、
西園流の諸師が中心となってたばねている。
古典尺八をかたくなに守る人達の集まりなのだが、
上田流の祖上田芳憧も菊水湖風も、多孔尺八の
研究家であった。さらには竹保流家元の酒井竹保師
も、諸井誠作曲の『竹頼五章』のみごとな演奏で、
現代音楽の第一人者とされている。


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