関市にある「岐阜県博物館」「関鍛冶伝承館」で、 4月27日(金)~ 6月24日(日)まで、「兼定 刀都・関の名工」展と、「美濃の名工・ 兼元」展を開催中。
私もかつて「兼元」を180万円で買ったが、鑑定結果偽物とのこと。 15万で売ってしまった。大損!。カタナ買ったが 痛カッタナ。
新撰組副長「土方歳三」の愛刀は「兼定(かねさだ)」。
「燃えよ剣」(司馬遼太郎)では、「池田屋事変で、
土方が二尺八寸(刃渡り84cm)の和泉守兼定(之定)を
振るった」とあり、多くの書が「土方の愛刀は 関の孫六 とも称された兼定」と書いているが 間違い。
「の定・兼定」は、室町時代の関(岐阜県)の刀工。二代目が
「和泉守兼定」を名乗り、銘の「兼」の字の上部が「之」と
見えることから「の定」と通称される。孫六は兄弟弟子。
兼定の4代目から、会津に移住し、幕末まで 11代続いた。
土方歳三は、京都守護職(会津藩主)松平容保から
「11代和泉守兼元」を拝領されたとされる。
つまり、古刀(室町時代)の「2代兼定」ではなく、幕末の
新新刀「11代、和泉守兼定」である。
近藤勇が池田屋事変の後、故郷の佐藤彦五郎に送った手紙に 「2尺8寸の兼定」と書かれてあったそうな、幕末にそんな
長い刀があったとは信じがたい。江戸幕府が「刀は2尺3寸」
を「定寸」と決めていたはず。
日野の「土方歳三記念館」に展示されている刀は「2尺3寸」。
これは鳥羽伏見で敗れて会津に移った時、容保から拝領された 「12代兼定」らしい。会津から函館まで逃れ、最期を覚悟した
土方歳三が、遺品として佐藤彦五郎に送ったものとのこと。 2尺2尺8寸の「11代兼元」はどうしたのかな?。