現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

夢の「3Dプリンター」

2014-05-09 20:53:09 | 社会問題
“3Dプリンター銃”初摘発 「夢の機械」に負の側面(産経新聞) - goo ニュース


「3D(3次元)プリンターで、拳銃を製造」まさに
危惧されていたことが 現実となった。

「これで、私もピストルを持つことができる」と考えるのは
早計。まず、本物が無ければコピーはできない。
そして、ピストルはできても「弾」が手に入らない。

容疑者は、海外のインターネットサイトから拳銃の設計図を
入手し、ネジや撃針は旋盤を使うなどして自作したらしい。

それでも、写真で見る限り、プラスチックのオモチャの
ようだ。

さて、ピストルはダメでも「尺八」ならカンタンに作れそうだ。
よく鳴る名器を、次々とコピーできる。これで製管師は
失業に追いこまれますな。

STAP細胞はできないのじゃろか?

「必要経費」とは

2014-05-09 20:21:05 | 社会問題
配当29億円無申告、2審も外れ馬券を経費認定(読売新聞) - goo ニュース

「競馬の外れ馬券は、賞金の必要経費としては認めない」
として脱税容疑に問われた事件。裁判で「はずれ馬券の
購入費も 必要経費と認められる」とされた。当然だ。

「当たり馬券の購入代金だけが必要経費」というのなら、

生命保険の外務員が、さまざまな見込客にノヴェルティ商品や
パンフレットなどのツールを配ったり、接待したりして、
ようやく、お一人の方から契約をいただいた。とすると
「その契約に要した出費だけが“必要経費”」では、
ガソリン代、交通費、贈答用品、チラシ代、電話代など、
契約につながらなかった分は すべて“必要経費”として
認められないということになる。

商店や企業で、売れた商品に要した経費だけを算出するなど
不可能。契約につながらなかった接待費、交際費、契約を
挙げなかった社員の給料は“必要経費”として認められない? 
そんなバカなである。


「ヴェニスの商人」の話。「肉1ポンドを取り上げる」。
「肉はいいが 血は認めない」と、同じような話だ。

さて、一休さんなら、どうやって解決するだろう。

「屏風の虎」の話は明治になってから

2014-05-09 19:41:55 | 一休と虚無僧
「一休とんち話」で、有名なのは「虎退治」。

将軍様に「この屏風の虎を捕えてみよ」と言われて、
「はい、お易い御用でございます。この一休が虎を捕らえて
ごらんにいれます。さぁどうぞ、虎を屏風から追い出して
ください」と。

この話のどこが、“とんち”なのか、面白いのか判らない。
そこで、「はい虎が絵になりましたので“虎絵”ました」と、
“おやじギャグ”にしてみました。(私のオリジナルです)

この話の将軍様は、金閣寺を建てた3代将軍「足利義満」と
一般には思われているが、義満は一休が生まれた時には、
将軍職を息子の義持に譲って関白太政大臣になっている。

この4代将軍義持が、一休 17歳の時、一休のもとを
訪れた。この時「義満」は すでに亡くなっている。

その頃、一休は「西金寺」という(名前は“金”がついて
派手だが)、荒れた貧乏寺にいた。『一休年譜』では
「西金寺」の「謙翁和尚」が、「本尊に金襴の袈裟をかけて
いるという噂を耳にした将軍が、その真偽を確かめるために
来た」と書かれているが、そんなことを糾すために、
将軍が貧乏寺に わざわざ来るだろうか。役人を遣わせば
いいこと。

『年譜』では、「一休は立ったまま将軍を出迎え、“あんかべぇ”を
して追い返した」とある。時の将軍が 御自ら訪ねてきて、一介の
小坊主に 門前払いで追い返された。ただごとではない。

私は、将軍「義持」は「後小松天皇の後の天皇後継者として
一休を迎えにきた」と考える。「義持」の父「義満」は
わが子で「義持」の母違いの弟の「義嗣」を次期天皇に
しようとしていた。
「義持」にしてみれば、弟が天皇になれば、弟にかしずかな
ければならない。絶対に許しがたいことだった。それで、
義持は父「義満」を暗殺し、「義満」が行った政策をすべて
反故にし、後小松帝の子である「一休」を天皇に迎えようと
して訪ねてきた。ところが「一休」はその気がなく、将軍を
追い返した。(次期天皇は弟が即位し「称光天皇」となる)。

さてさて、一休が17歳の小坊主ながら、将軍「義持」を
追い返したという事実から、将軍様をコケにする話が創られた。

但し、それは明治以降のこと。徳川幕府が滅んで、将軍の
権威が失墜してから生まれた話。江戸時代だったら到底
許されない。明治新政府が徳川将軍家を貶めたいという
意図があって生まれた話なのだ。

そこで「屏風の虎」だが、ここに登場する将軍は、
第5代将軍「義教」がふさわしいと、私は勝手に思っている。
「義教」は「義持・義嗣」のさらに母違いの弟。

一休30代の時の将軍。義教は、ささいなことで気に障ると、
即 死罪にするという恐怖政治を行った。世阿弥の子元雅は
殺され、世阿弥は突然、佐渡に遠島となっている。

“万人恐怖”と恐れられた将軍「義教」を誰が、いかにして
諌め静めるか、それを一休に問うたのだ。一休は「管領はじめ、
幕府の要人が将軍を追い出してくれれば、捕らえてみせる」と。

その結果、赤松満祐が、将軍「義教」を室町御所から自邸に招き、
祝宴のさ中に、義教を殺した。まさに「虎」である将軍を
御所から追い出して 殺したのだ。「屏風の虎」の話を、義教の
暗殺とからめれば いっそうリアルな話になるではないか。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。



一休さんの「水飴」の話は・・・

2014-05-09 18:11:23 | 一休と虚無僧
「一休とんち話」の代表格といえば「水飴の話」。
もちろん、これは江戸時代の人の創作。

江戸時代になって刊行された仮名草紙『一休諸国物語』に
登場してくる。ところが、この話は、狂言の『附子(ぶす)』
と同じであり、『沙石集』や中国の『笑禅録』にもあるとのこと。

『沙石集』は、鎌倉時代の中期(1279~1283)に編纂された
仏教説話集。『沙石集』では「坊主と稚児」。

昨今の狂言ブームで、「水飴の話」は「一休さん」より
狂言の『附子(ぶす)』として、知られるようになった
ようだ。中学の古典教科書にも載っているとか。

「附子(ぶす)」といえば「ブス」と誰もが連想する。
「附子」とは「トリカブトの毒・漢方薬」でそうで、
不美人を「ブス」というのは、トリカブトの毒で、
神経がやられ、顔が醜い表情になるからだという。

さて、その狂言の『附子』では、「有る家の主人が、
使用人の太郎冠者と次郎冠者に、“桶の中を覗いては
いかん。臭いを嗅いだだけでも死ぬブスという毒が
はいっておる”と言いおいて外出する。そう言われると
気になる二人。扇で風を払いつつ近づいて、蓋を開けて
みれば、なんと砂糖。二人は奪い合うようにして砂糖を
なめつくしてしまった。
主人が帰宅してみると、大切にしていた茶碗と掛け軸が
めちゃめちゃに壊されている。二人は大泣きして、
“掛け軸と茶碗を壊してしまったため、死んで詫びようと、
猛毒の附子を食べたが死ねず、困っている”と言い訳するの
だが、主人は怒って“やるまいぞやるまいぞ”と、逃げる
太郎冠者と次郎冠者を追いかける」という話。

狂言の『附子』も古い『天正本』では「坊主と二人の
若い僧」だった。

「水飴」で検索してみると、古くは 発芽玄米で、後に
麦芽で作られた甘味料。(麦芽水飴)。

砂糖は江戸時代の半ばまでは、輸入に頼らざるを得ず、
金銀と取引される 大変高価なものだった。砂糖が庶民の
口に はいるようになったのは、8代将軍「吉宗」が
琉球からサトウキビを取り寄せ、栽培を奨励してから
とのこと。

狂言は大名相手の演劇だから、大変貴重で高価な「砂糖」
になっているが、江戸時代初期の『一休話』の頃までは、
「砂糖」は、一般人は見たことも口にしたこともなかった
ので「水飴」になったのだろうか。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。