現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

歌声喫茶

2009-12-23 19:38:18 | 虚無僧日記
11/23 中村生涯学習センターの一室を借りて、定期的に
開催されているという「歌声喫茶」に行ってきた。
私より年上の世代 30名ほど。アコーディオンに合わせて
歌うこと2時間。

昭和30~40年代に流行った「歌声喫茶」が、今復活して
いるという。「歌声喫茶」とは云っても「喫茶店」ではない。
公共施設の一室を借りて、仲間が集い、全員で懐かしの
歌を歌う。

カラオケは個人芸。歌の好きな人が得意げに歌うのを、歌に
自信のない人は辛抱して聞かされる。それが愛想をつかされ
たか、カラオケバーやスナックは、不況のあおりも受けて
下火だ。
そこで登場したのが、歌の上手い人も下手な人も一緒に歌う
往年の「歌声喫茶」スタイル。コーヒーのサービス付きで
ワンコイン 500円。

集まるのは、歌声喫茶を体験したことのある世代、団塊の
世代以上が大半。歌う歌も、耳なれている。歌詞なしでも
歌える。反戦歌、労働歌もある。やはり左翼系の政治色は
強い。歌のチカラどこまで。

ところで今日は何の日?。「天皇誕生日」でござったか。
ネットのニュースでは、平成になって最高の3万人が、皇居前
に集まったとか。「“国民の平和”を願うお気持ちは、陛下が
一番ではないか」との声も。そうかもしれない。


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オークション

2009-12-23 19:14:07 | 虚無僧日記
ヤフーオークションに「三節切(みよぎり)」が出ていた。
江戸時代初期に流行ったものだ。歴史的価値は高い。
私は「3,000円」で入れていたが、他人が上回る額で入札
してきた時の連絡メールが入らないため、締切り時間に
チェックするのを忘れ、わずか+100円の 3,100円で落札
されてしまった。残念。

以前『虎月』が出ていた。銘が下手くそで、インチキ臭い。
誰も手を出さない。でも締め切り直前には、何人か入札し、
数万円で落札されたようだ。すると、落札者はすぐまた、
オークションに出してきた。いきなり10万円からのスタート。
お気の毒様。応札する人は一人もおらずに終わった。

結構、みなさん本物贋物を見分ける力があるようだ。


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NHKから取材の電話

2009-12-23 12:42:11 | 虚無僧日記
深夜帰宅したら、留守電が入っていた。
NHKから、「ある番組で『一休』を取り上げるので
ホームページを見て、電話した」 というメッセージ。

いっぺんに疲れがぶっ飛んだ。ホームページは、一珍君が
小学校6年の時、パソコンを買い与えたら、いろいろ本を
見ながら作ってくれた。その天才一珍君ももう名古屋大学
医学部の一年生。6年が経ったのだ。

パソコン教室を開いているという秋野さんから、ホーム
ページについて、いろいろ改良すべき点をご教示いただい
ていた。彼も大学生ともなれば忙しい。ようよう伝えて、
その通りに修正してもらった矢先だった。

また、ブログは3つも開いているのだが、他の2つはとても
メンテナンスができず、ほかりっ放し。「『一休と虚無僧』の
ブログはもう止めなさい」と秋野さんから言われ、その気に
なっていた矢先の、NHKからの照会。消さないでよかった。

一休については、とても電話で語れるものではない。一晩
要点やら関連史料をワープロで6枚したためて、FAXした。
さて取材は いかに なりますやら。


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施設訪問それぞれ

2009-12-23 10:12:59 | 虚無僧日記
毎月4、5件、ボランティアに行かさせていただいている。
そよ風届け隊」の秋野さんからのお誘いを受けてだ。
秋野さんはパソコン教室を開かれており、自分のホーム
ページも開いている。そこへ依頼が入ってくる。「そよ風
届け隊」のメンバーは、民謡、フラダンス、詩吟そして
尺八の私。

行く先は、比較的健康なデイサービスから、寝たきりの方を
介護する病院内の療養施設など。規模も個人の邸宅を
改造したような数人規模から、100人近い所までいろいろ。

規模に応じて、また聞いてくださる方の介護度に応じて
こちらの対応も変えなければならない。相手に合わせる。
これはいい勉強になった。

A施設で すごくウけたので、「次も」と張り切ってB施設で、
同じことをしたら、どっちらけ、なんてことも。
全く反応の無いところ、シラけている所などだと、終わった後
どっと疲れる。多いに盛り上がってくれると、バンバンに
ハッスルしても 疲れないのにである。

施設訪問演奏は、私にとって人生修行の場だ。
でも、○○施設の所長さんが、「我々の施設は、売れない芸人、
素人芸の練習場になっている」と苦言を呈された。心したい。
「素人」でも、プロ以上の感動を呼ぶこともできるのだ。


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北条幻庵の謎

2009-12-23 09:33:40 | 虚無僧って?
 北条幻庵は、伊勢新九郎長氏(後の北条早雲)の第3子であるが、
生没年は諸説あり、はっきりしない。
「北条五代記」では天正17年(1589)97歳で没したとあり、
逆算すると明応2年(1493)生まれとなる。

これが通説となり、歴史上の“最長寿人物”とされている。しかし、
20歳は過ぎているはずなのに「菊寿丸」とか「紅顔」と記された記録も
あるので、私は「1504~1510年頃」の誕生と考えている。

幻庵は子供の頃は、京都三井寺の藤原氏の学問所に預けられ、
京都の文化と高い教養を身につけた。そして、手先が器用で
馬の鞍と尺八(一節切り)を作るのが得意だった。幻庵の作った尺八は
「幻庵切り」として、京都でも評判だった。小田原北条家の家臣の
間では、尺八が大流行した。彼等のうちの何人かが、北条家滅亡の後、
虚無僧となり、関東のあちこちに草庵を建てて移り住んだ。それで
江戸時代、虚無僧寺の多くが関東以北にあると私は考えている。

天文5年(1536)までは、箱根の権別当職を務めてきたが
やがて職を辞し、北条家五代にわたり長老として政務に関わる。
養子に迎えていた氏康の子三郎が、その後上杉謙信の養子に出
された。上杉景虎である。

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