現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

桶狭間からの40年

2009-05-22 22:23:46 | 虚無僧日記
1560年桶狭間の合戦。尾張の一豪族織田信長が
東海一の守護大名今川義元を敗った。時に信長
26歳、義元42歳。そして徳川家康はまだ松平元康
と名乗り18歳の初陣だった。

この22年後、信長は本能寺で死し、40年後の
1600年が関が原、1605年江戸開府だ。
この40年は激動の時代。古代から引きずっていた
ものがすべて破壊され、中世がわずか40年でぶっ
飛んで近世となった。その変わりようは、私が20歳
の時からの40年よりも大きな変革の時代だったように
思う。


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桶狭間の真相

2009-05-22 21:37:06 | 虚無僧日記
織田信長が今川義元を討った「桶狭間の合戦」は、
諸説あって、義元の終焉の地も、本陣とされる
桶狭間山の位置も正確には特定されていない。
「信長は迂回して、太子カ根の山上から義元の
本陣めがけて駆け下った」とする『迂回奇襲』説は
近年否定され、「義元は桶狭間山を本陣とし、
信長は山上めがけて正攻法で突進した」という説が
有力になってきている。

近年発見された『武功夜話』には、蜂須賀小六や
木下藤吉郎、梁田政綱らが、義元に戦勝祝いの酒
肴を提供し、「義元は勝ち戦に酔って祝宴の最中」と
義元の居場所を信長の元に報告したことが記されて
おり、信長は用意周到な謀略戦で勝つべくして
勝ったという説も浮上してきているが、残念ながら、
『武功夜話』は今の所、一等史料としては認めら
れていない。私は信じる立場だが、これを否定して
いるのは、私の慶応史学科の同期、藤本正行君だ。
ライバル対決!

来年は桶狭間から450年。豊明市、緑区の有松、
鳴海、大高と、各自治体が連携してイベントを行なう
という話もチラホラ出ている。来年が楽しみ。


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5/19 桶狭間の日

2009-05-22 20:04:37 | 虚無僧日記
5月19日は、永禄3年(1560)、織田信長が
今川義元を討った桶狭間の合戦があった日。
一路会会員の高島さんの家の隣地に、中島砦の
石碑がある。ここは、信長の軍勢が集結し、
桶狭間に向かって突進した地。そこで、隣家の
近藤氏が自宅兼倉庫を開放して、毎年自費で
イベントを開催し、琵琶の糸井藍水さんとともに
呼ばれている。

出し物は、毎年決まって、琵琶、尺八、太鼓で
「桶狭間」。それが好評で、口こみで今年は
100人以上ものお客さんが集まった。小中学生の
子供も20名ほど。小学6年生の女の子が「祇園
精舎の鐘の声」と平家物語の一説を学校で習い、
暗記しているとのこと。
子供に迎合してアニメソングなどやらなくても、
琵琶や尺八の本物を聞かせることで充分と、
最近思えるようになってきた。