goo blog サービス終了のお知らせ 

現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

1週間ぶりにブログ再開

2008-06-22 15:02:28 | ブログ
6/14の甲州市から、早1週間が過ぎ、おそる
おそるブログを開いた。コメントが3件も寄せ
られていました。

「ブログが更新されていませんが、おからだの
具合でも・・・・・」と、ひそかなファンの方がおられ
ることに感激。
「甲州市、行けなくて残念でした・・・・」とは、私の
写真を撮り続けてくださっているNさん。
Tさんからは「私の父も東電勤務でした・・・・」と、
真摯に尺八道に邁進されておられるT氏も、私の
ブログを見ていただいておられるのかと、お恥ず
かしい限り。

この1週間いろいろ考えることあって、ブログが
書けないでいた。見ていただいている方々に感謝し、
もっと“人に優しい、心温まるような”中身が書け
ないものかと思案中です。

とりあえず、「甲州市での公演のその後の顛末」を
つづり、時系列に並べかえました。以下、続けて
読んでください。

6/14 甲州市で公演

2008-06-22 15:02:01 | 虚無僧日記
6/14 甲州市仏教会主催の「古典尺八を楽しむつどい」。

延命院の神田重陽師の計らいで企画されたもので、
地元の「如道会」「貴風会」の方々にも協力出演いた
だいた。
まず、如道会が『無住心の曲』、貴風会が『布袋軒
鈴慕』を吹奏。これぞ “古典尺八” だ。

その後、私が虚無僧姿で『下がり葉』を吹きながら
登場。古典尺八の専門家、各宗派の僧侶が居並ぶ
中での講演はやりずらいものがあった。一方、観客の
大半は尺八のことなど全く知らない方だ。対象をしぼ
れず、支離滅裂な話になってしまった。肝心の一休の
『紫恋慕』を吹くのを忘れ、後でマネージャーに叱られ、
自己嫌悪に陥る。

竹坐氏の3尺7寸管には圧巻、観客の耳目を奪う。
如道会・貴風会、私一路、そして超長管の竹坐、三者
三様の対照的な吹奏で、内容的には変化があって
面白かったと思うが、さてはて。


1 超長管尺八の竹坐氏

2008-06-22 15:01:36 | 虚無僧日記
6/14 甲州市(塩山)での「古典尺八を楽しむ会」
Ⅰ部では地元の「如道会」「貴風会」の方々による
古典尺八の吹奏。Ⅱ部で私の“独演会”、なのだが、
私は、この機会にぜひ、竹坐氏の超長管尺八も
聞いてもらいたいと、彼を同行した。

竹坐氏は「マイクなしで聞いていただきたいんです」
という。はたして200人 入る会場で、音が聞こえる
のか不安だった。
それが、私がマイクを使ってガンガンやった後で、
あの静寂、まさに虚無の空間が、逆に際立った。

皆、耳をそばだてる。いや、耳ではなく“心”で
聞いているのだ。彼は、「尺八、法竹、虚竹、そんな
名称なんて、どうでもいいんです。虚無僧も“普化”
も知りません。唯“竹”を坐して吹くのみ」いや
「竹の音を引き出してあげるだけです」という。
一言も発しない。ただ竹の音があるのみ。その
姿勢に、いつも感服させられる。

伊那谷の山中に住む彼は、私とは何もかも対照的だ。
私は、1尺4寸から2尺(60cm)までの短い尺八。
彼は超長管、3尺7寸(110cm)を吹く。
私は、都会の人混みの中で吹く「都会派虚無僧」。
彼は、山中、静寂の中で、音を追究する「求道の人」。
“動と静”の違いがある。

しかし、求めるものは同じ。気が合うのだ。

“踏み分けるふもとの道は違えても
          同じ高嶺の月を見るかな”

2.尻切れトンボ゜

2008-06-22 15:01:03 | 虚無僧日記
6/14「古典尺八」の会を終えて、竹坐氏と
旅館近くの居酒屋で、今日の感想と反省を
語り合った。
「一路さんの演奏、もっと聞きたいなという
ところで終わるので、もったいないです」と。
彼の感性は鋭い。言葉は遠慮がちだが、私の
演奏が、いつも“中途半端に終わる”という
ことを、ずばり指摘された。

私は「古典尺八は、退屈でつまらないもの」と
いう負い目があり、いつも3分位で止めてしまう。

「長いか短いかは、時間じゃないです。短くても、
内容がつまらなければ長く感じるし、長くても、
内容がよければ、短く感じます。要は、長いと
感じさせない演奏をすることでしょう」と。

竹坐氏は、一端吹き始めたら最後までキチッと
吹き通す。練習でもそうだ。一曲10分~15分
あっても、決して長いと感じさせない。もっと
この空気の中に浸っていたいと思わせる。

最後までキチッとやり通さないのは、他の事でも
いえる。私の“尻切れトンボ”な性格も含めて
反省させられた。

4.竹坐氏の車が廃車に

2008-06-22 15:00:14 | 虚無僧日記
6/15甲州市を後にして、中央高速に入る。
竹坐氏の車も後から着いてくる。
八ヶ岳山麓で私の知人がそば屋を開いている
ので、昼はそこへ寄ろうと、彼も誘ったのだ。
竹坐氏の車と2台連なって、中央高速を走り、
長坂の手前まで来たところで、バックミラーを
見ると、彼の車から白煙が出ている。ヤバイと
私はすぐ車を路肩に止めた。幸い、カーブで
登坂車線のさらに左に路肩も十分あった。非常
電話もあった。
JAFに連絡して待つこと30分。レッカー車で
小淵沢の修理工場まで運んでもらい、点検の
結果、廃車することに。

高速道路で車がオーバーヒートし、廃車とは
大変な事件のはずだが、竹坐氏をそば屋に誘って
同道していたこと、丁度非常電話のある路肩で
止まったこと。日曜なのに、我々が修理工場に
着くと、たまたま、そこの従業員が前を通りかかり、
シャッターを開けてくれたこと。そこが小淵沢で、
目指すそば屋もすぐ近くだったこと。
すべて、こうなるシナリオが組まれていたかの
ように、ラッキーだった。仏に守られている。

マァねぇ(マネージャーの鈴花)と三人、“平気
平気、気にしない”の極楽トンボ。愉快な旅と
なった。 
     つづく



5.八ヶ岳のGO-SOBAへ

2008-06-22 15:00:00 | 虚無僧日記
甲州市の帰り、中央高速で竹坐氏の車がオーバー
ヒートして廃車に。竹坐氏を私の車に乗せて、
マァねぇ(マネージャー)と三人で、八ヶ岳のGO-SOBAに
向かった。

実は、千代田生命時代の先輩中川豪氏が、八ヶ岳
山麓でそば屋を開いている。その名も「GO-SOBA」。
会社がリストラ退職者を募った時、私と同時に会社を
辞め、彼は“そば屋”に、私は“虚無僧”になった。
「会社倒産、リストラ」がマスコミの格好のネタになった
時代だ。彼も 私も しょっちゅうTVに取り上げられた。
そこで毎年年賀状のやりとりはしていて、いつかは
行ってみようと思っていた。「今年は行きます」と年賀状
に書いて、実現したのだ。

15年ぶりに会う中川氏、変わってない。一人でやって
いるので、店はこじんまり、ロッジスタイル。
13時を過ぎていたが、結構お客が切れ目なく入ってくる。
「豪そば」のイメージとは違って、繊細で上品なそばだ。
混ぜ物に秘伝の工夫があるようで、そばつゆが旨い。

定年後の男の趣味として「そば打ち」が流行りだ。彼も
そんなセミナーに講師として呼ばれるとのこと。TV
取材はすでに10件。6月17日も全国放映されるとか。

彼が、早期退職して八ヶ岳にそば店を開いたのは、実は、
ダウン症の息子さんのためだ。障害をもつ子供のことを
考えて、空気の良い、自然に囲まれた八ヶ岳に居を構え、
子供と二人で生活している。そんな生き様が、雑誌や
単行本に紹介されている。

「だんだん歳をとると身体がエライ」との本音もチラリ。
私もいつまで虚無僧で頑張れるか。(ちっとも頑張って
なんかいないか)

旧交を温めて、八ヶ岳を後にする。   つづく


6.伊那の竹坐氏の家へ

2008-06-22 14:59:44 | 虚無僧日記
中川豪氏の店「GO-SOBA」は、小海線の小泉駅と
大泉駅の間。小泉駅前には平山郁夫美術館がある。
観光メッカの清里とはちょっと離れて、静かな林の
中だが、チーズケーキやアップルパイなどのおしゃれ
な店も点在している。

小淵沢から、また中央高速に入って松川ICに向かう。
途中睡魔が襲う。竹坐氏に運転を代わってもらう。
本当に良かった。竹坐氏の車が壊れてくれたお蔭で、
私は命拾いしたのかも。

出かける前、往復600kmはエラい。松川で竹坐氏を
乗せて行こうかとも考えていた。運転を交替して
もらえれば助かる。彼が私の車に乗るというイメージ
を描いていた。竹坐氏の家に寄ることも予知していた。
そして、予知していた通りになった。

予知能力も高まってきて、よちよち。

松川ICで出て、そこから30分。天龍川対岸の山に
登って行き、その中腹に竹坐氏は住んでいる。山羊と、
わずかばかりの畑で、自給するだけの野菜を作って。


7.神田師からお礼の電話

2008-06-22 14:51:53 | 虚無僧日記
帰路、神田重陽師から マァねぇ(マネージャーの鈴花)の
携帯に電話が入った。「好評だった」とのお礼に加えて、
「竹坐さんは“丹田呼吸”がしっかりできてる」と、
竹友の皆さんの評を伝えてきた。竹坐氏に電話を代わると、
彼は「いやぁ、丹田呼吸なのかどうかわかりません」と、
謙遜なのか、そんなことも一切、知らぬ存ぜぬ、気にせず、
の悟りなのか、どこまでも“一切無”の人だ。

私なら、また得々と、“丹田呼吸”の法について論じて
いただろう。とにかく、彼と私は対照的。いろいろ見習い
たい。