嗚呼、勘違い・・・・カイゴ日記

ホントはそうでなかったかも  
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やすらかな最期を迎えるために

2023年09月02日 18時25分22秒 | いずれ行く道
今日は「高齢者の死は穏やかであるべき」という終末期医療の講演会に出かけた。

人生100歳時代になって、認知症が進み本人の意志が不明な中で医療行為をするためにベッドに拘束されて点滴されるのは日本の医療現場だけのよう。

最近では欧米などの「ベッドに寝たまま点滴を受け、生きる意味があるのか」という考えのドキュメンタリーを観ることもある。

延命しない看取りが当たり前にならない話しもされたが、食べれるだけ飲めるだけで亡くなった患者さんがいかに穏やかな死を迎えたか。

法的には確定さられていないが、希望しない医療行為、延命措置を受けないというリビング・ウィルを文書化しておく尊厳死の話しです。

母の介護が始まった時、最初にかかったドクターに「父親の時のように管を付けて延命はしたくありません」と言いながら治療を受けた。

骨折で入院し、家に戻って具合悪くなり受けたクリニックで点滴をしてもらった。この点滴はクリニックの師長さんが始業前に在宅で打ちに来て終われば私が針を抜くと一カ月間は毎日、その後だんだん間隔が空いて 177回も家に来てもらった。

そのドクターには「点滴打つのも医療行為で、延命措置と言えなくもない。診ている患者さんで観察するだけでの人もいる」と言われた。

この頃は末期がんの終末期も、胃ろうの知識も全く無く、ただ中学生の時に母方の祖父が枯れるように亡くなった姿と父親の脳梗塞の後の胃全摘出手術の延命措置を比較するしかなかった。

在宅で看取った母は、その後7年の間で何度もうダメかと訪問看護師はみていたようだ。

最期は下の始末をして買い物に出かけた30分の留守の間で呼吸を止めていた。

枯れるように老衰死だった。