従軍慰安婦数、朝鮮半島出身者だけで20万人という人数は決して大袈裟ではない根拠

2016-02-21 09:41:24 | 政治

 日本政府代表の杉山晋輔外務省政務担当外務審議官が2月16日(2016年)午後(日本時間同日夜)、ジュネーブの国連欧州本部で開かれた女子差別撤廃委員会の対日審査で従軍慰安婦問題に関する事実関係を説明したことと、その説明内容を2月17日付「産経ニュース」が伝えている。

 説明内容は安倍政権が常日頃内外に表明している例の如くの事実の羅列に過ぎない。記事から説明内容を纏めてみる。

 ●強制連行説は「慰安婦狩り」に自ら関わったとする吉田清治氏(故人)による「捏造(ねつぞう)」に
  過ぎなかったこと。
 ●強制連行を裏付ける資料がなかったこと。
 ●朝日新聞が吉田氏の本を大きく報じたことが「国際社会にも大きな影響を与えた」こと。
 ●「慰安婦20万人」説は朝日新聞が女子挺身隊を混同したためで、朝日新聞もそのことを認め、具体的
  な裏付けがない数字であること。
 ●慰安婦問題は昨年末の日韓外相会談で最終的かつ不可逆的に解決することで合意していること――
  等々。

 記事は末尾で、〈杉山氏は、慰安婦問題は日本が女子差別撤廃条約を締約した1985(昭和60)年以前のことで、同条約は締結以前に生じた問題については遡(さかのぼ)って適用されないことから「慰安婦問題を同条約の実施状況の報告で取り上げるのは適切ではないということが、日本政府の基本的な考え方だ」とも述べた。〉と解説している。

 確かに吉田清治が自著や講演や新聞に述べた、いわゆる「吉田証言」は自身が捏造であることを認めた。だが、捏造は韓国の済州島に限ったことで、済州島の捏造を韓国全体や中国、台湾、フィリピン、インドネシア等々、日本軍が駐留、若しくは占領した全ての地域の、日本軍兵士によって拉致・誘拐同然に強制連行されて慰安婦にされたそれぞれの地域の女性の数々の証言まで全て捏造とすることはできない。

 当然、第1次安倍内閣の時「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」と閣議決定したからといって、元従軍慰安婦が証言した内容を集めた資料に軍・官憲による強制連行を直接示す記述が存在する以上、政府発見資料のみで強制連行は存在しなかったとする説を事実とすることはできない。

 このことを証明する一つの記事がある。《慰安婦記録出版に「懸念」 日本公使がインドネシア側に》asahi.com/2013年10月15日)

 既に掲載期間切れで「asahi.com」には載っていないが、探したところ、《インドネシアでも慰安婦問題で非難される日本》中華民国台湾の真実)なるサイトに全文記載されている。  

 以前当ブログに書いたことだが、内容は朝日新聞が情報公開で入手した外交文書等によって1993年8月、駐インドネシア公使だった高須幸雄・国連事務次長が、旧日本軍の慰安婦らの苦難を記録するインドネシア人作家の著作が発行されれば、両国関係に影響が出るとの懸念をインドネシア側に伝えていたというものである。

 このインドネシア人作家とはノーベル賞候補だった作家のプラムディア・アナンタ・トゥール氏、その著作内容はジャワ島から1400キロ離れた島に戦時中に多数の少女が慰安婦として連れて行かれたことを知り、取材を重ねて数百ページに纏めたものだという。

 記事には書いてないが、プラムディア・アナンタ・トゥール氏はインドネシア共産党関係者とされ、当時のスハルト政権の軍当局に拘束されて1969年8月に政治犯流刑地のブル島(ジャワ島から1400キロ離れた島)に10年に亘って送られていて、そこで日本敗戦後に日本軍に、その多くが17、8、9の少女の年齢でその島に置き去りに棄てられた元慰安婦たちと知り合うことになったという経歴を持っている。

 その書物には日本軍占領下のインドネシアで7、8人の日本軍兵士が荷台に幌をつけた軍用トラックに乗ってきて庭先で遊んでいる数人の少女たちを捕まえて荷台に放り投げ、何個所か回って20人程度になるまで狩り集めてから、日本軍の慰安所に連れて行って閉じ込め、日本兵に強姦同然に姦されていく証言と、占領インドネシアで日本軍軍政の中枢機構であった日本軍政監部が現地行政機関を通して未成年の女子を日本や昭南島(現シンガポール)への留学生募集で釣って、そのまま従軍慰安にされた証言、その他の証言が載っている。

 留学生募集は新聞広告や現地行政機関の広報等の印刷物によって公告の形で告知されず、すべて口頭の伝達によってなされていたという。いわば証拠を残さずの方法で少女たちを狩り集め、性奴隷にしていった。

 この例からも、政府発見資料の信憑性が限りなく疑わしくなる。

 また日本占領下のインドネシアで当時インドネシアを植民地としていたオランダの民間人抑留所でも日本軍は兵士を連れて軍用トラックで乗り付けて、全員を一個所に集めた上で18歳から28歳までの女性を前に出てこさせて一列に並べ、その中から適宜指名してトラックに乗せ、4個所を回って計35名を軍用トラックで運んで慰安所に連れて行き、強制売春を行わせている。

 日本敗戦後の1948年にオランダ軍はバタビア臨時軍法会議を開廷、BC級戦犯として11人に有罪判決、1人に死刑判決を言い渡している。罪名は強制連行、強制売春(婦女子強制売淫)、強姦。

 この裁判記録は未だ残されているという。だが、第1次安倍内閣の閣議決定では、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」としている。

 強制連行を直接示す記述が見当たらない資料だけを漁って、見当たらないとしているようにさえ見える。

 「慰安婦20万人」説は具体的な裏付けがない数字だとしているが、先ず、《アジア各地における終戦時日本軍の兵数》社会実情データ図録/2010年8月9日収録)から、画像を載せておいたが、その数を見てみる。 

 旧厚生省援護局の資料だから、確かであるはずである。

 各地域合計で296万人にのぼる。また同じ旧厚生省援護局の調査で外地で戦死した日本兵は約200万人。戦死者数は各年によって異なるし、徴兵された年も違うから、引揚者と合計すると延べ人数で400万人近くがアジア各地に派遣されていたことになる。

 延べ人数であることと慰安所が存在していなかった地域があることを考えて、半分としても200万人が慰安所を利用していたと見ることができる。利用者は陸軍兵士だけではなく、海軍にしても兵士は艦船の中だけで生活するわけではなく、外地それぞれに基地を設けて、基地内か基地外近辺に慰安所を設けていただろうから、数に入れて計算している。

 200万人の日本兵の性処理を滞りなく行うとしたら、何人程度の慰安婦を以ってしたら充足させることができるのだろうか。

 とても募集だけで間に合わせることは不可能で、そのために拉致・誘拐の荒療治に出たのだと十分に考え得る。

 朝鮮半島全体で33万人強の兵士が引き揚げていることと、朝鮮半島で狩り集められて、中国や外地にも送られただろうことを考えると、ラディカ・クマラスワミ女史が1995年に国連人権委員会に提出した予備報告書で、「約20万人の朝鮮女性の軍事的性奴隷としての徴集された」と、朝鮮人女性だけで20万人だとしていたとしても、決して大袈裟な人数とは言うことはできない。


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