2018年1月1日、北朝鮮の金正恩が「新年の辞」を演説した。「日経電子版」(2018/1/1 11:15)
金正恩「(米本土到達可能のICBM発射成功に触れて)国家核戦力完成の歴史的大業を成就した。米国本土全域が我々の核攻撃の射程圏内にある。我々は如何なる核脅威にも対応できる。
米国が冒険的な火遊びをしないようにする、強力な抑止力がある。米国は決して我が国を相手に戦争できない。
核のボタンは私の事務室の机の上にいつも置かれているのが現実だ」
記事紹介の発言を意味が通るように順序を変えて記載した。
記事はその〈一方で2月に開幕する韓国の平昌冬季五輪に「選手団を派遣する用意がある」と語り、米国と全面対決を望まない意向ものぞかせた。〉と解説している。
安倍晋三と同様に罰当たりで単細胞なトランプが翌日に素早い反応を見せた。
「Donald Trump 日本語訳 @Mishimadou」 北朝鮮の金正恩は先ほど "核のボタンは常に、自分の机の上に置いてある" と宣言したそうだ そこで、消耗しきって食うにもこと欠く北朝鮮の政権にいる誰かに頼みたいのだがね 私も同じく核のボタンを持っていて、ただ私のははるかに巨大で強力、しかも実際に機能するのだと、彼に教えてやってくれんかな (英文) North Korean Leader Kim Jong Un just stated that the “Nuclear Button is on his desk at all times.” Will someone from his depleted and food starved regime please inform him that I too have a Nuclear Button, but it is a much bigger & more powerful one than his, and my Button works! |
北朝鮮がミサイル搭載の核保有を果たしたと宣言しているのに対して全体的な質と量から見た場合の米国の核はトランプが「核のボタン」に象徴させたように確かに「巨大で強力」な威力を備え、且つ核ミサイルを如何に「機能」させるかという点での米軍の運用能力にしても遥かに優ることは誰も否定しないだろう。
だが、金正恩とトランプのどちらが先に核を使用し得るかと比較した場合は軍事力・経済力・国家資金力等を合わせた国の総合的な体力が米国よりも遥かに劣る北朝鮮の金正恩の方がそれらの劣勢を補う過剰反応を我慢のなさや強がりをキッカケに表に出しやすい誘惑を抱えることになり、核のボタンを先に押す危険性はトランプより高いと見なければならない。
要するに北朝鮮が核のボタンを先に押す危険性を米国の核の方が「巨大で強力」な威力を備えていること、さらには米軍の核ミサイル運用能力が北朝鮮のそれよりも遥かに優秀で機能的であることを、いわばアメリカの核の壁が厳然と高く聳え立ち、例えようもなく頑丈であることをツイッターを通して金正恩に知らしめたとしても、核の先制攻撃を抑止する絶対的要件となる保証はないということである。
にも関わらず、トランプは「自分も核のボタンを持っている」だとか、アメリカの核の方が「はるかに巨大で強力」、核ミサイル運用能力は米軍の方が優れていると、このことを以ってしてさも北朝鮮の核ミサイル使用を抑えることができるかのようにツイートする。
単細胞でなければできないトランプの芸当であろう。
劣勢を補う過剰反応からの北朝鮮による核の先制攻撃という危険性だけではなく、米国が政治的にも軍事的にも経済的にも世界に責任を負っている点で核の先制攻撃は困難であるのに対して北朝鮮の場合は北朝鮮を敵に回している世界に負う責任への負い目も少ないことから、核の先制攻撃はトランプ程には困難を感じないだろう。
以上の2点から、金正恩が核のボタンをチラつかせることでトランプに対してトランプカードの切り札とし得る。その分、トランプの方は金正恩に向けて核について何をツイートしようが、切り札とすることはできないばかりか、却って金正恩に対して核の先制攻撃という切り札を切らせる引き金にならない保証はない。
トランプがこういったことを弁えなかっただけではなく、ただ単に対抗意識を燃やしてアメリカの核の方が優れていると張り合っただけだとしたら、その単細胞は底なしとなる。
トランプは金正恩が「新年の辞」で「核のボタンは私の事務室の机の上にいつも置かれているのが現実だ」と発言したのに対して「私も同じく核のボタンを持っていて、ただ私のははるかに巨大で強力」云々と遣り返しているが、核兵器発射の権限を自身に託されている、いわゆる“核のボタン”の所有格を米国という国に置くのではなく、「私の」と自身に置いている。
金正恩の場合は独裁者=国家だから、“核のボタン”の所有格を「私の」と自身に置くことは許されるが、米国は米国民の民主的選挙によって選出されて国家運営を託された民主国家の大統領であり、核兵器発射はその民主制に則って国を代表して、あるいは国民を代表して行う重大な一つの権限となっている以上、誰が大統領であろうと、“核のボタン”の所有格は米国に置くべきであるのに対してトランプは独裁者のように「私の」と自身に置いている。
このような心理は自身を絶対的存在と自己評価していなければ生じない。金正恩だけではなく全ての独裁者が自身を絶対的存在だと自己評価して疑わないが、トランプはそれに近い生き物だということである。
自身を絶対的存在だと自己評価しているから、気に入らないマスコミ報道全てを“フェイクニュース”と片付けて、何ら反省せずに自らの絶対性を維持することができる。
このように独裁者的色彩を帯びていながら、世界の民主国家の頂点に立つ米国の大統領を務めている。この点からして、罰当たりという評価は的外れとすることはできない。