橋下徹の歴史認識、問題がどこにあるか気づかない間抜けさ加減は安倍晋三と同じ

2013-05-14 04:42:00 | 政治

 5月13日(2013年)、橋下徹日本維新の会共同代表が大阪市役所で記者会見し、歴史認識について何が問題になっているのか気づかない間抜けな発言をしている。

 《「慰安婦は必要だった」「侵略、反省とおわびを」橋下氏》asahi.com/2013年5月13日13時55分)

 橋下徹「銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で命をかけて走っていくときに、精神的にも高ぶっている猛者集団をどこかで休息させてあげようと思ったら、慰安婦制度は必要なのは誰だって分かる。

 当時の歴史を調べたら、日本国軍だけでなく、いろんな軍で(慰安婦を)活用していた。なぜ日本の慰安婦だけが世界的に取り上げられるのか。日本は国をあげて強制的に慰安婦を拉致し、職業に就かせたと世界は非難している。だが、2007年の(第1次安倍内閣の)閣議決定では、そういう証拠がないとなっている。事実と違うことで日本国が不当に侮辱を受けていることにはしっかり主張しなければいけない。

 意に反して慰安婦になったのは戦争の悲劇の結果。戦争の責任は日本国にもある。慰安婦の方には優しい言葉をしっかりかけなければいけないし、優しい気持ちで接しなければいけない。

 (村山談話について)日本は敗戦国。敗戦の結果として、侵略だと受け止めないといけない。実際に多大な苦痛と損害を周辺諸国に与えたことも間違いない。反省とおわびはしなければいけない。

 (安倍晋三が「侵略の定義は定まっていない」と主張している点について)学術上、定義がないのは安倍首相が言われているとおり」

 問題となっていることは慰安婦制度の必要性ではない。それが軍や警察とは何ら関係のない純然たる売春業者の経営と運営なら、売春禁止法が施行されていた時代ではないのだから、何ら問題ではないだろう。

 だが、橋下徹は頭がいいから、慰安婦制度の必要性から入って、正当性の全体的背景とする間抜けさ加減を演じている。

 問題となっていることは軍や警察が関わって、女性を拉致同然に強制連行し、売春婦に貶め、売春を強要したかどうか、その一点に絞られる。だが、橋下徹は軍・警察関与の強制性を「2007年の(第1次安倍内閣の)閣議決定」のみを根拠として否定している。

 いわば「閣議決定」を絶対的証拠としている。その思考性は「閣議決定」のみに従属し、物事を全体的に把握する柔軟思考の拒絶がそこにはある。誰それがそのように言っているから、そうに違いないという言う類いの硬直した思考に陥っている。

 橋下徹は「意に反して慰安婦になったのは」と言っていることは軍・警察関与の強制性否定の上に成り立たせた文意だから、経済的な理由からの「意に反して」であって、基本的には本人の意思からの慰安婦化とのみ把えていることになる。

 果たして慰安婦の強制性を示す文書類はなかったとする「2007年の(第1次安倍内閣の)閣議決定」は絶対的証拠とし得るのだろうか。

 これまでも当ブログで何度か書いてきたし、多くの人がブログ等で取り上げているが、1945年8月14日御前会議でポツダム宣言受諾、無条件降伏が決定した。

 このポツダム宣言受諾を受けて、同じ8月14日、重要文書類焼却の閣議決定を行い、連合国軍進駐までの約2週間の間に政府や海軍、陸軍が組織的に焼却を実施している。

 戦争犯罪を積み重ねてきた全体主義国家の敗戦国の当然の行為と言えば当然の行為と言えるが、ポツダム宣言10番目の条項、〈我々は、日本を人種として奴隷化するつもりもなければ国民として絶滅させるつもりもない。しかし、我々の捕虜を虐待した者を含めて、すべての戦争犯罪人に対しては断固たる正義を付与するものである。日本政府は、日本の人民の間に民主主義的風潮を強化しあるいは復活するにあたって障害となるものはこれを排除するものとする。言論、宗教、思想の自由及び基本的人権の尊重はこれを確立するものとする。〉とした条項のうち、〈戦争犯罪人に対しては断固たる正義を付与するものである。〉の規定回避を目的の一つとしていたと言われている。

 当然、焼却は戦争犯罪とされる可能性のある行為・行動、作戦指示・作戦実施報告等々を記した文書類はすべて焼却の対象とされたことになる。

 このことを裏返すと、戦争犯罪人とされることの恐れから、これも戦争犯罪の対象とされるのではないか、あれも戦争犯罪の対象とされるのではないかと過剰反応して徹底的に焼却を謀ったと考えることができる。

 その他の主たる目的は将来的に外交関係で不利な立場に立たされる懸念のある文書類で、これは海軍が外地の関係機関に打電した暗号電文を連合国側が傍受・解読し、その暗号解読文書が英公文書館に残されているという。

 この文書類としている中には個人の日記まで含まれていたというから、その徹底ぶりは容易に想像できる。

 外交関係で不利な立場に立たされる懸念のある文書とは正当な作戦・正当な交渉を記した文書ではないことを意味する。

 陸軍も文書類焼却命令を出していて、その原文が防衛省防衛研究所に僅かに残っているほか米国立公文書館に旧陸軍による命令の要約史料として若干残されているという。

 以上のことから、軍・警察が何の関係もない女性を拉致同然に強制連行し、慰安婦に仕立てたことを証拠立てる軍関係の文書かメモ、個人の日記等が焼却の対象となった可能性は否定できないはずだ。
 
 1944年2月、インドネシアのオランダ人抑留所から日本軍がトラックを乗り付けてオランダ人女性35人を強制的に連行、慰安婦とし、責任者の陸軍少佐が戦後のオランダ軍による軍法会議で死刑を宣告され、刑死しているが、戦争犯罪の程度はあくまでも強制連行の規模、その悪質性を受けた裁判の結果であって、戦争犯罪と指弾されて裁判を受けることがないよう、その証拠隠滅・証拠隠蔽を否でも徹底せざるを得なかったはずだ。

 軍・警察による民間人の女性の強制連行ということになったなら、将来的に外交関係で不利な立場に立たされる懸念も生じる。

 いわば証拠を示す文書類がなかったことだけを以って強制性の否定は不可能であるはずだ。

 前にブログに書いたが、民間の女性ではないが、売春婦を軍が直接募集の形を取って狩り集め、軍のトラックで慰安所に移送したことを伝える資料が天津市の公的機関で発見されている。

 日本軍天津防衛司令部から天津特別市政府警察局保安科へ妓女(遊女のこと)を150人を出すよう指示。警察局保安科は天津市内の売春宿の経営者を集めて、借金などはすべて取消して、自由の身にするという条件付きで募集を行った。

 その資料には229人が「自発的に応募」と書いていあるということだが、そこに日本軍が持つ強制性・威嚇性が働かなかった保証はない。

 その証拠が性病検査後、12人が塀を乗り越えて逃亡した事実であり、残ったうちの86人が軍のトラック4台と10人の日本軍兵士によって移送途中、半数近い42人が逃亡している事実である。

 逃亡は「自発的に応募」が虚構であったことの証拠でもあり、彼女たちにとっては売春の従業の利益よりも逃亡の利益が上回っていたことの証拠でもあるはずだ。

 だったら、逃亡するなら、最初から断ればいい。だが、断ることができなかった。

 そこに日本軍が持つ威嚇性・強制性の存在を嗅ぎ取ることができる。断れない相手だということである。

 それが売春業者が正面に立った慰安婦募集であったとしても、軍の要請を背景としていたり軍の名を騙った場合、軍の威嚇性・強制性は売春業者を介して女性に直接伝わることになる。

 そのような形の募集を軍の強制連行とは無縁の募集とすることができるだろうか。

 この日本軍が持つ威嚇性・強制性が女性に対してではなく、男性に作用した例を挙げる。内務省嘱託員が朝鮮半島内の食料や労務の供出状況について調査を命じられて朝鮮に赴き、1944年7月31日付の内務省管理局に報告した「復命書」に書いてある事実であり、外務省外交史料館に遺されているという。

 「復命書」(動員の方法に関して)「事前に知らせると逃亡してしまうため、夜襲、誘出、その他各種の方策を講じて人質的掠奪・拉致の事例が多くなる。朝鮮人の民情に悪影響を及ぼし、家計収入がなくなる家が続出した。

 (留守家族の様子について)突然の死因不明の死亡電報が来て、家庭に対して言う言葉を知らないほど気の毒な状態
」――

 「事前に知らせると逃亡してしまうため、夜襲、誘出、その他各種の方策を講じて人質的掠奪・拉致の事例が多くなる」云々は日本の支配が可能としていた威嚇性・強制性であって、そこに日本軍や日本の警察が夜襲、誘出、その他各種の方策の実働部隊として、あるいは暗黙の影響力として大きく関わっていたはずだ。

 このような方策を、単に文書等の証拠がないからといって、慰安婦強制連行に応用した可能性は否定できない。

 何しろ戦争犯罪に触れるような文書、メモ、個人の日記の類いを徹底的に焼却している。当然、生き残った兵士がその事実を知っていたとしても、既に焼却という情報隠蔽の悪事を犯しているのだから、その悪事を曝すこととなる証言を行うはずもなく、口をつぐむだろうから、証拠に併せて証言もなかったからといって従軍慰安婦の強制連行を完全に否定することはできない。

 証拠が全てだと言うなら、せめて証拠隠滅・情報隠蔽の焼却の事実だけは伝えるべきだ。伝えた上で、国民に判断させる。

 橋下徹は日本の戦争が侵略戦争であったか否かについて、「敗戦の結果として、侵略だと受け止めないといけない」と、侵略戦争であることを認めている。

 だが、一方で侵略の定義について、「学術上、定義がないのは安倍首相が言われているとおり」だと言っている。

 ここでも橋下徹は問題を履き違えている。

 安倍晋三が言っているように「侵略の定義は定まっていない」か否かではなく、また橋下徹が言うように「学術上、定義がない」云々ではなく、それぞれが個人としてどう解釈するかが問題となっているはずである。

 解釈に応じてその人間の歴史認識ばかりか、政治家なら、政治的立場が明らかになる。

 安倍晋三は「侵略の定義は定まっていない」を口実として、間接的に日本の侵略戦争を否定した。正面切って自らの歴史認識を明らかにし、自らの政治的立場を鮮明にすべきだが、単に正面切って侵略戦争ではないと否定しなかったというだけのことである。

 政治問題化・外交問題化を恐れて慎重な姿勢で曖昧な態度を取っていながら、「定まっていない」とした「侵略の定義」に足を取られて、国内的にだけではなく、国外的にも政治問題化・外交問題化させてしまった。

 それだけ内心の侵略戦争否定衝動が強いということなのだろう。

 橋下徹は安倍晋三と同じく何が問題とされているのか、何が問題となっているのか満足に認識することができないから、的確な判断基準を思い定めることができないでいる。

 その間抜けさ加減は両者同程度だということである。


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